30年後の想像なんてする必要あるのかな?
先日友人と話している時に
どうやって死にたいか
という話題になりました。
私はその時、その質問に対して
疑問を持ちました。
『どうやって死にたいか』なんて
考える必要あるのかな?
おそらくその友人の言いたかった事は
理解出来ます。
将来どういうおじいちゃんになって
どんな志を果たして
その後にどのような形で
この世から離れるのか
でも死ぬ瞬間がいつになるかなんて
全く想像もつきません。
今日事故に遭って死ぬかも知れないし
明日通り魔に刺されて没命するかも知れません。
仮に100歳まで生きていれると仮定して
99歳で現在28歳の私が想像している目標に
達成出来たとしても
その頃にはもっと高い志が出来て
その為に悪戦苦闘していると思います。
つまり人生のゴールは『死』かもしれないが
ゴールを『死』としてしまう事は
悲しすぎると感じます。
そもそも100歳まで生きれるのか
どうかはわかりません。
それどころか
30年後この世界がどうなっているのか
20年後どうなっているのか
10年後どうなっているのか
それすらもわかりません。
AIやインターネット回線が発達して
10年前、20年前に当たり前だった事が
現在では当たり前ではありません。
20年前はドローンやYouTubeは無かったし
スマホもありませんでした。
当時の人間が今の人生を想像出来る人は
限りなく少ないはずです。
なので今の瞬間を精一杯生きたいと思います。
遠い将来はわからなくても近い将来の
想像する事は可能です。
情報がある人の方が情報の少ない人より
先を読む力は優れています。
例えば
今後の卓球界はどうなりますか?
と聞かれた際に
卓球の知識が少ない私は全く想像がつきません。
しかしその知識が豊富な人は
数年先の卓球業界を想像する事が出来ます。
それを人生に当てはめて考えると
現在の情報をたくさん
インプットとアウトプットをすることで
その力をつけて今を精一杯生きる事で
数年先の想像が出来て、
その先の想像出来る年数を
増やしていけるようになりたいですね。
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