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エンプティ・レコード

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【完結済】記憶は再生されていく。とある飼い主と、とある飼い猫。レコードが回るように、互いの視点で語られる、かつての記憶。2021/11/1~11/30 「ノベルバー」企画参加作品
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記事一覧

01 鍵

 これ、宝箱だったんです。

 子どもって、一度はそういうものを持ちたがるでしょう? お菓子の箱とか、ブリキの缶とか。こっそり取っておいて、いっとう大切なものを、そっとしまう。

 でも、ある日突然、いらなくなる。

 たからものが変わってしまったからだと思っているんですけれど。
 この鍵もそう。たからものでした。

 おかしいでしょう、忘れていたんですよ。でも、憶えてる。記憶って、不思議ですね。

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02 屋上

第1話「01 鍵」

 ここです。昔、住んでいたところ。
 よく脱走をしていました。ぬかりなかったんです。
 宅配の人が来るでしょう、玄関を開ける。そうしたらもう、一発です。

 するりと足元を毛並みがすべったかと思うと、あの子、全速力で共用廊下を走って非常階段を駆け上がって、人間じゃとうてい通れない柵をすりぬけて、屋上で、ごろり。優雅なものでしょう?

 ケージには入れてませんでした。だって、あ

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03 かぼちゃ

第1話「01 鍵」

前話「02 屋上」

 いつからこんなに盛り上がるようになったんでしょうね。
 最初は不気味としか思えなかったんですけれど、見慣れればかわいいものですね、ジャック・オー・ランタン?

 日本で言うお盆のようなものなんだって知ったのは、実はつい最近なんです。だって、オレンジと黒の色彩がめまぐるしく踊るんですよ、まさか死者を迎えているとは思わないでしょう?

 でも、そうですね。

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04 紙飛行機

第1話「01 鍵」

前話「03 かぼちゃ」

 天国のポストって、どこにあると思いますか。昔読んだ本に書いてあったんですけれど……。
 でも、手紙の送り方だけは覚えているんです。

 そうです、とどくんです、死者に、手紙が。

 だから真似をしました。
 一生懸命書いた記憶があります。

 どれだけ好きだったか、これからも好きだってことを。絶対に忘れないし、これから何と過ごそうとも、いつまでもあ

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05 秋灯

第1話「01 鍵」

前話「04 紙飛行機」

 爪先から冷えていく、そんな夜でした。
 窓の外では、あかがね色の月が傾いていました。ベッドに入って本を読んでいると、風が窓ガラスをたたく音が聞こえたんです。
 そうです、古今和歌集にもありますね。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

 窓辺を見たときには、すでに宝箱は戻ってきていました。いつかの日、いらなくなった、あの宝

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06 どんぐり

第1話「01 鍵」

前話「05 秋灯」

 ふんふんと鼻を近づけてみる。嗅いだことのない匂いがして、ちょんと前脚でさわってみた。
 まるまるとした形をしているのに、あまり転がらなかった。残念。

 ちょっと強めにパンチしてみる。ころん、と一回転しただけで、その後はちっとも動かなかった。
 仕方がないので、ふて寝する。ふかふかの落ち葉の上にごろりと横になれば、空から赤い葉と黄色い葉が降ってきた。

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07 引き潮

第1話「01 鍵」

前話「06 どんぐり」

 十五億回ですよ。

 生まれる前に聞こえた声が、今でもときどき聞こえてくる。
 風にひげをそよがせて、目を閉じる。

 このところ、階段を駆け上がるスピードが、ほんのすこしだけ落ちた。あの子はいつも追いつけないので気づいていないと思うけど、そろそろ脱走できなくなるかもしれない。

 ああ、いやだなあ、できたことができなくなるなんて、つまらない。それ

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08 金木犀

第1話「01 鍵」

前話「07 引き潮」

 さんざん抵抗したけれど、狭いかごの中に入れられた。これに入れられると、次に出されるときは、だいたいとんでもない場所になっている。めったに見ないおじいさんの広い家だとか(なんと玄関の外じゃなくて家の中に階段がある!)くさい匂いのする、いやな台の上だとか。

 今回は、いやな台の上だった。白衣を着たおじさんに、おしりに何か入れられて、じっとしてたら「熱は

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09 神隠し

第1話「01 鍵」

前話「08 金木犀」

 あの子の布団はあたたかい。折りたたまれた掛け布団の間にもぐりこんで寝ていると、いつもあの子はちょっかいを出してきた。

 でも、なんでだろう、今日はちょっと、寒い。

 そろりそろりと布団を抜け出せば、家の中には誰もいなかった。毎日のことなので気にしない。フローリングが冷たかった。

 もう脱走はできなくなっていた。誰か来ても、もう体が玄関まで飛んで

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10 水中花

第1話「01 鍵」

前話「09 神隠し」

 ああ、今夜だな。そう思った。もう、どうしたらいいかは、わかっていた。
 隠れたら必ず見つけられてしまうし、その後はあの子にめちゃくちゃ怒られるから、とにかくじっとしていた。ときどき掛け布団の間を覗きこまれては、大好きだよ、と額を撫でられる。

 もうあんまり目が開けられない。視界は水の中にいるみたいにぼやけていて、もっとちゃんと見てからお別れしたいと

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11 からりと

第1話「01 鍵」

前話「10 水中花」

 始まりがいつだったか、覚えていないんです。
 徐々にだったかもしれないし、ある日急にだったかもしれません。

 あの子が嘔吐をくりかえすようになりました。

 最初は、またがっついて食べるからだ、と笑っていたんですが、回数が増えてきて、なんだかこれはおかしい、と思うようになったんです。
 でも、おかしいと思いながらも、心のどこかでは、十年以上生きたん

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12 坂道

第1話「01 鍵」

前話「11 からりと」

 獣医さんは、腎臓病になるのは家猫の宿命だと言いました。
 でも、病気なのだからきっと予兆があったはずで、それに気づけなかった落ち度があると思いました。それでももう、どんなに後悔しても、壊れた臓器の機能は回復しません。

 自転車の前かごにケージをのせて、坂道をとぼとぼと下っていきました。自分以外の命って、こういうことなんだな、と思いました。

 ど

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13 うろこ雲

第1話「01 鍵」

前話「12 坂道」

 その日は自転車を押して帰りました。あの子は早く帰って、ケージから出してほしかったんでしょうけれど。

 ときどき立ち止まって、ケージの上蓋を開けるんです。だってこれからきっと、家の中ですら歩くことができなくなっていくんですから。ちょっとでも、外を憶えていてほしくて。

 おかしいでしょう、あんなに元気なときは、外になんか行ってほしくなかったのに。

 

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14 裏腹

第1話「01 鍵」

前話「13 うろこ雲」

 十五億回だと言われています。

 先に生まれようと、後に生まれようと、生物は十五億回分の鼓動を生きる。命は平等で、だから死も平等。

 でも、ほんとうにそうなんでしょうか。
 裏腹だと思いませんか。
 ほんとうに平等なら、どうして老いるまでの時間は平等ではなかったんでしょう?

 後から生まれて先に死ぬこと、おいて逝くこと、おいて逝かれること。

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