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生きると言い続ける生活と記憶

自分の小ささは、自分自身が一番知っている、けれど自分では認めたくないから、誰かの言葉をずっと待っている。


ごみの匂いが本当に苦手。いつも息を止めてごみを捨てる。今日は息を止めなかった。ごみの匂いが気にならなかった。好きなものだけ食べているから?と思ったけど、そもそも嫌いな食べものなんてなかった。わたしの体内がごみになってしまったのかも。悲しくなる言葉の方がしっくりきた。

染まる相手を選ばないと、わたしはどこまでも沈む。なんでも好きだし、なんでも信じてしまう。まず疑う、過去の経験から冷静に物事を見る生き方は、本当に賢いと思う、けれどわたしの心には合わなかった。

わたしはここで「ごま」を名乗っている。最初は「ゆてごま」だった。ゆてごまがごまになった理由は、ただ、みんなが呼びづらそうだったから。呼び間違ってごめんね、と言わせることが嫌になった。そもそも、何となくつけた名前。ごまである理由はない。かといって、もう「ごま」から名前を変えるつもりもない。わたしはだれかを思い出した時にSNSを見る。でもたまに、見つけられなくなる。ユーザー名や名前が変わっていたり、アカウント自体が存在していなかったり。心の中にいるのに、SNSの中に埋もれてしまって、見つけられない。ちっぽけで、いつでも切れる関係だということを思い知らされる。それがとても寂しい。わたしを見つけるための名前が変わってしまったら、わたしの存在はもう誰の中にも残らないような気がした。わたしはなんとなくだれかの記憶に住み着いていたいから、名前を変える勇気がなかった。簡単に言うと、そういうことです。呼ばれ方にこだわりがないのも、存在がそこにあるのならそれでいい、という醜い感情から出た言葉です。

好きな人が「生活と記憶」という言葉を残している。「どちらも大切で失いたくないと思えるようになったもの」と言っていた。「記憶は残らない、忘れてしまう、だから覚えていても無意味だとずっと思っていた」「それでも残したい記憶ができてしまった」らしい。

わたしは小学生の頃からずっと記憶を残していた。手書きのノートが何十冊も実家にある。でもある時、全部無意味に思えて、衝動的に数冊を焼いてしまった。最近も、過去のわたしを好きになれなくて、残せなくて、もっと多くの記憶を消してしまった。今の記憶さえも、残さなくていいと思ってしまった。だから、唯一残ったここで、何度も自分の言葉を読み返すようになった。わたしのための言葉を吐いている、を有言実行しているわたし、を求めている。ということは、記憶を抱きしめているのに、嫌な記憶にばかり焦点を当てて、過去を否定して生きていた。だから、どこかずっと空っぽだったということに、記憶、の話を聞いてようやく気がついた、わたしの盛大な矛盾。

わたしはいつもだれかの話をしているらしい。恋人に言われた。わたしは本当に人が好きらしい。嫌いな人までも許したいという気持ちをずっと捨てきれていないらしい。だれのことも否定できないわたしがわたしを殺し続けているのに。それがわたしらしく生きるということらしい。



一時的な愛を伝えてわたしの体に触れて欲を満たそうとする人がいる。その存在を突き放せないわたしの弱さが久しぶりに顔を出した。会わなかったけれど、また寂しくなってしまった。都合のいい関係という言葉、本当に都合がいい。わたしの感情も行為も全部、都合よく表せてしまう。簡単に言い表せてしまうのに本当は奥が深くてそんなに簡単ではないもの、がエモいもの、なのかな。付き合っていない人との事後にベランダで煙草を吸うことをエモいって言うんだろ、って友人の言葉、そういうことだね。若気の至りと呼ばれるエモさ、それに甘えていたわたしに吐き気がした。

「若い」というだけで色んな言葉を浴びる。「若い女」はもっとひどい。ニコニコすることに飽きてしまった。マスクがあってよかったと思うことが増えた。年を取りたくないという感情が消えた。わたしの若さは内側から年を取った。

髪を伸ばしている。少し大人の女性になれると思ったから。母ゆずりの髪質は少しわたしに意地悪だ。かわいいはお金がかかる。自己投資は楽しい、おかげでいつも金欠、自己投資給付金が欲しい、そうしたらもう少し生きやすくなるかもしれない、というわがままを書いては消す生活。きれいなわたしを残したいという感情は完全には死んでくれない。それは、都合のいい相手から夜のお誘いが来て真っ先に毛の処理をしたのと同じことだと思った。意味が分からなくても愛してほしい。

嫌なことと対峙するとずっと気分が下がってしまう。でも、なにをしても満たされなくなってしまうことよりはマシかもしれない。なにをすれば自分が満たされるのかを見失ってしまうと終わる。わたしはいつも空っぽだけど、本当の意味で空っぽになってしまうのがこわい。

感動が薄い人間になりたくない。経験が増えるたびに色んなことに飽きてしまう。どんどん、なににも満たされなくなっていく。だからなるべく長く、純粋に色んな感情を行き来する人間でいたい。なにをしていても、楽しいも悲しいも殺してしまう人、冷めた目をしている人、と距離を置いてしまうのは、そういうことです。何度も書いているこれ、本当にわたしにとって大事なんだろうな。

久しぶりに過去のツイートを遡ってみた。わたしの言葉の宝箱だった。過去の自分に救われた。残すことがわたしを生かす。世界がわたしを殺す力と、わたしがわたしの言葉で生き延びる力、どちらが強いか。今はまた、見えないなにかに押しつぶされて、なにも感じられなくなっているけれど。過去のわたしに縋りつきながら、今のわたしを更新し続けたい。

今日も生きてて偉いよ、と言い聞かせる。明日も生きる、と決意してベッドに潜り込む。わざわざ言葉にしないと揺らいでしまうもの、生きるという言葉をその中に含めてはいけなかった。でも、わざわざ言葉にするという行為のおかげで、わたしはわたしを更新できている。

朝。いつまで経っても部屋が暗い。今日は太陽がいないことを知った。少し悲しくなった。悲しいと思えるうちはまだ大丈夫。

太陽に照らされたわたしは可愛かった。スポットライトに照らされたあの子に近づけた気がした。わたしの心を生かす基準は、わたしが作っていい。

生きているのに生きると言い続ける生活と記憶。さようならは、まだ少し先。






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