見出し画像

中途半端な好きでいい

全部、わたしが知っているわけではないんだから、わたしが正しいわけでもないんだから、他人の言葉を否定したくない、し、ある程度は受け入れたい、たまに、苦しくなってしまうけれど、苦しかった選択は、次から選ばなかったらいい、上手に生きる、は、選択を間違えないこと、わたしらしく生きる、は、すべての選択を経験すること。

人の言葉に耳を傾けてしまう。全てが良心から出た言葉でなかったとしても、それに気が付くのは受け取ったあと。人を否定できないわたしの弱さは、ずっとわたしを救ってきたし、苦しめても来た。そんな生き方、しんどいを重ね続けた今になってようやく、愛おしい。

全部、中途半端だよね、って言われた、高校一年生のわたし。この言葉は、呪いのようにわたしに付き纏った。最近知ったバンドがとても好きだ、という話をしていたら、「色んなもののことを好き、って言ってるけど、本当に好きな人からしたらにわかなファンは迷惑だよ、わたしの友達でそのバンドのことを好きな子がいるんだけど今の言葉を聞いたら怒るよ」って、言われた。今なら反論の言葉がいくらでも出てくるんだけど、その時のわたしはただ、ごめん、ということしかできなかった。間違いではないと思ったから。わたしはみんなが好きなものが気になるし、追いかけてしまうし、これと言って自信を持って好きだと言えるものがなにもなかった。何かに特化した知識もなかった。わたし、〇〇が好きなんだよね、と言うと、じゃあ〇〇は?と知らないことについて聞き返される、見栄を張ることができないわたしは、何それ知らない、と恥ずかしそうに笑うしかない、いつの間にかわたしの特技も、趣味も、何一つ自信を持って言えるものがなくなってしまった。

上には上がいる。わたしが一生かけてなにかを成し遂げたとして、その上を行くものがこの世の中にはたくさん存在している。昔は、上の存在を知ることなく、自分が一番だと信じ込んで一生を終えられたかもしれない。けど今は、ネットで検索すれば上の存在を認識することができる。世界の広さと自分自身の小ささを実感させられる。結局、なにをしていても誰かの二番目になってしまう。新しい物を作りたいという気持ちも、あっさり既製品に崩されてしまう。あなたがこれだけは他の人より勝っていると胸を張って言えることはなんですか、の答えはない。

わたしはジャニーズが好きだった、けど、ある時から全くコンサートに行かなくなってしまった。それは、同じジャニオタの子たちから、知らないを否定されているような気がしたから。もちろん、全員がそうではないけれど、推しという対象に対する熱意が、誰かへの対抗心に変わる。比べられ、否定され、蹴落とされる。「好きだというなら一番でいないといけない」という考えの押し付け合いに、耐えられなかった。

色んなものが好きだよね、は今になってようやく、わたしの生き方を教えてくれるヒントになった。一つのことだけを追求できない、過去に好きだったものを嫌いになることはないけれど、ずっと好きで居続けることもできない。それなら、あえて多くのものに触れて、広く浅く世界を知ろうと思った。その中でなにかにのめり込むことができたらラッキー。だからわたしは面接で自信を持って言う。「わたしは変化を楽しむ人間です。」

そんなわたし、こんな言葉ばかり書くたび、本当に人が好きなんだなあ、と実感する。ひどい言葉を何度も言われてきたし、何度も言ってきた。中途半端、と言った友人とぶつかったこともあるし、誰かに対して怒りを覚えて爆発したこともある。過去のごめんなさい、全部含めて、人が好き。人のことを信じるのはこわい、裏切られるのがこわい、良心を無駄遣いされるのがこわい。でも、それよりもわたしは、ひとりになってしまうことがこわい。だれのことも想えないわたしになってしまうことがこわい。人のために生きている人は損をする、けれど、人のために生きられないわたしは生きている意味がない。人に会えることの全てが好きです、と面接でいうと面白い顔をされる。曖昧な答えは良くないよ、と言われた。理解している、わたしが面接官だったとしても同じことを言う。けどこれがわたしの本心で、自信を持って言える、好きなこと。


目に見えるものは、本当に一番でないと意味がない、でも、目に見えない想いは比べることができない。比べて一番を決めたとして、見せかけの一番に、意味はない。わたしにとっての一番は、人を想う、というわたしの弱さに、向き合う強さ。


余談。中途半端と言われてから、好きになったアーティストの曲はなるべく全曲聴くようになった。もちろん、好きな曲、そうではない曲がある、でも全曲聴くことで、そのアーティストの色を感じられて、より一層音楽を楽しめるようになった。そんな中、全ての曲を愛せたのが、クリープハイプとチャットモンチー。わたしの半分はクリープハイプ、もう半分はチャットモンチーでできている。だから、noteの言葉の中に、この二組の歌詞が入り込んでしまうことが多い。好きはなりたいに近い、というツイートをいつかのnoteに貼ったけれど、この言葉を体現しているのがわたしです。好きなものに染まる、つまり広く浅く色んなものに染まるわたしは、とても身軽なカメレオンのような気がして、ある意味唯一無二で、変な人で、とても好きです。中途半端、とわたしに言った友人とは、確かめ合わなくても親友と言える、そんな関係になっています。

中途半端でも、好きでいい。なんでも愛してしまうことは、わたしらしく生きることだった。

ありがとう。また。


↓ わたしの好きの一部。



この記事が参加している募集

スキしてみて

最近の学び

いつか青い鳥になって、あなたの下へ幸せを届けます。