ヨコタ佑輔

詩を書いています。 受容と排斥について考えています。 音楽、本、芸術が好きです。 ギタ…

ヨコタ佑輔

詩を書いています。 受容と排斥について考えています。 音楽、本、芸術が好きです。 ギター、ドラムを演奏します。 写真も撮ります。 芸術とは受容であると思います。 詩を書くことを通じて、居場所づくりがしたいと考えています。 興味ある方はメッセージください。

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 【自己紹介】受容と排斥

はじめまして。 ヨコタと申します。 自分は普段は本に関わる仕事をしている会社員ですが、 読書の他、音楽(主にPunk、Post-Punk、Powerpopなど)を聴いたり、 楽器(主にギター、ドラム)を演奏したり、 詩を書いたり、 芸術に触れたり、 子育てをしたり、 そして 「受容」と「排斥」について考えたりしています。 「受容」と「排斥」ついて考えるとは、 端的に言ってしまえば どうすれば人は相手を受容することができるのか、 どうすれば人が相手を排斥することを止められ

    • 今読んでいる本『ものまね鳥を殺すのは アラバマ物語』が素晴らしい

      自分が何をやっているのかを理解してやっている人は、 この世の中にどれくらいいるのだろう。 この物語に出てくる登場人物の多くは、 主人公家族がしていることをあまり理解しようとしない。 そしてそのことがもつ意味、そこにある蔑視という存在に気付かない。 もちろん気づいてないということを単純に攻めることはできないが、 何かの出来事の背景には、人と人の関係が、 どこまでも続いているということを想像しなくてはいけない。 しかし主人公であるスカウトという少女は、 まさにそのことに気付

      • 詩「川」

        空の穴から川が流れ出ているのを見た ちょっとした丘ぐらいの高さに黒い穴が開いていて そこから下の方に水が落ちていく そして途中でカーブしながら こちらに向かって流れている 川はぼくの横を過ぎて そのまま見えなくなるまで真っすぐ進んでいく 水をつかもうとして 川に向かって腕を振り下ろすのだけれど 何も当たらないまま空振りする 川にはいろんなものが流れている ぼくの帽子とか服とか 大事な本とか 家族とか 心とか そういうものを捕まえようと ぼくは必死に腕を振り下ろす

        • 詩を書く意味とは

          詩が書けない時がしばらくあって、そんな時は 自分はどうして詩を書いているのだろうと考える。 アマチュアの自分にとっては 多くの読者がいるわけでもないし、 それで稼いで家族のためになっているわけでもない。 あまり実際的なことばかり考えると、 詩を書かない理由の方がどんどん見つかってくる。 そんな時ふと、ことばではないものに触れると ふっと考えが融解することがある。 自然でも芸術でもいいのだけれど、 あっ、と思えるものが、どこかのタイミングで見つかる。 告白すると、テレ

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         【自己紹介】受容と排斥

          詩「灯台」

          わたしはその暗い階段を 灯台の展望室を目指して上っていた 階段の表面はじっとりと湿気を帯びて 少々の水溜まりと苔で黒く光っていた 階段の壁には窓は無く 真っ暗なはずの灯台の内部で それでもわたしの目はしっかりと その階段と壁の存在を捉えていた どこまで上ってきたのかわからない いつ上りはじめたのかもわからないが まだまだ上り続けなければならないことは どこかで承知していた 時折壁に手を当てる そのザラザラした感触を手のひらに受けると 心地よい痛みと不思議な安心感があっ

          詩「雨」

          雨が一滴、空から降ってくる まだ上空千メートル、地上では 誰も気づいていない しばらく一滴のまま落ちてきた雨は 上空八百メートルぐらいで風にあおられて 二滴に分裂する 一滴はそのまま風に乗って横向きに 移動していく もう一滴は身軽になったから まっすぐ下へ落ちていく 落ちていきながらまたあおられて また分裂する 上空五百メートル 今度は二滴とも並んで 同じ速度ですすんでいく 最初に分かれた子はどうなったのだろう 風にのって遠くへ行ってしまった 上空三百メー

          詩「玄関」

          わたしは靴を取り出すため 目の前の下駄箱を開いた 玄関という空間は不思議なところだ およそ長い間この空間が 大きな変化を遂げたことはない 誰もがここで靴を脱ぎ ここで靴を履くのだ 故に何十年も経ってから下駄箱を開くとき 昔の思い出が蘇ることがある 取っ手に触れて開くとき 靴を取り出し土間の上に置くとき 扉を閉めてそこに座り靴ひもに触るとき 数々の記憶がわたしの頭に浮かんでくる そうして玄関の戸をくぐり 外に一歩踏み出すとき わたしは現代に帰る そうして得た心の安堵を一緒に連れ

          詩「落ち葉」

          こどもたちが木の下に集まっていた 何もないところだった 生きものの姿も見えない 何の音も聞こえない ただ時々葉っぱが落ちた こどもたちは その葉っぱを手にとって眺めては 足元へ放った 静かだった 誰も動かなかった ただそれでも少しずつ こどもの数は増えていった 長い時間が経って気がつくと 身動きがとれないほどに こどもたちが集まっていた そうしてそのうちに ひとりのこどもが木に登り始めた すると他の子たちも次々に手を伸ばし 近くの木に登っていった 木登

          詩「落ち葉」

          詩「塀」

          生きることは塀の上でバランスをとっているようなものだ 誰もが緊張して恐る恐る歩いている 落ちたら死ぬわけでもないのだが 痛くないわけでもない その痛みが嫌だから なるべく落ちたくない だから慎重に進まざるを得ない ところがよく見ると 周りにも同じような人々がいる そしてそれは思っている以上に 近いところにいる 塀と塀がいくつも並んでいたら ほとんど地面のようなものだ だからたまには人の塀にお邪魔することもある そうして人はバランスを保っている あるいは落ちたとしても 隣の塀

          詩「キャンドルを灯すとき」

          キャンドルに火を灯すとき マッチを擦って火をつけるとき 指を燃やさないか心配になります そんなことはないと思いながら 火をつける瞬間は 少し怖くなります 無事にキャンドルに火がついたとき 自然に思い浮かんでくるものは いま一番気にしている事柄でしょう その揺れる炎を見つめながら あなたはその事をどう考えるでしょうか 暗く寒い冬の夜に 燃えるキャンドルを見つめていると 不思議とどうにかなる気がしませんか 考えている間も火は燃えて 蝋はどんどんと流れ落ちていきます

          詩「キャンドルを灯すとき」

          詩「カーテン」

          朝だからカーテンを開けた ぼくの身長よりもっと長いカーテン ゆっくり開けよう 急がないほうがいい ひだがうまくまとまらなくて 何となく気に入らなくて やり直したりしないように カーテンも 人生も

          詩「カーテン」

          詩「月の舟」

          気が付くと月の上にいた 今夜はきれいな三日月で 本当に舟のかたちをしていたから 乗れるんじゃないかと思ったのだ 乗ってみると、月は本当に舟のかたちをしていた 月はまるいなんてのは嘘だったんだ 落ちないように端は上向きに曲がっているし クレーターのでこぼこもいいすべり止めになっている ひとりでのびのびと乗れる良い大きさだ そしてそのまま船出することにした 周りはすべて海だからどこへでも行ける だからあの人を迎えに行こうと思った ただし今は夜だから、寝ているかもしれな

          詩「月の舟」

          詩の展示をすることになりました

          自分の住む市のイベントの一環で、 詩の展示ができることになりました。 ならまちワンダリングというアートハブ・プログラムです。 これはプラグラムのうちの「部活」という部分で、 自分が詩を書くこともそうですが、 一緒に活動してくれる方の募集も兼ねています。 ただ書くだけではなく、 新たな出会いを経験すること、 そうして感じたことをアウトプットすることで、 参加する人に意義あるものにしたいと思っています。 極端に言えば詩を書いたことがなくても良くて、 そうして何か自分の考え

          詩の展示をすることになりました

          ことばと自然

          たまに本が読めなくなることがある。 本の持つ力は承知しているし、 それによって助けられたことも多々あるにも関わらず、だ。 なぜかといつも思うけれど、 どうもことばが多すぎるらしい、ということを最近感じる。 本当は興味あるような事柄も、 すごく好きなテーマであっても、 ことばが多すぎるときには、入ってこなくなる。 そういう時、自然の中に行くといいということに 最近気がついた。 自然というものは、人間でいう意味のことばをもたない。 自然の中にいるときは、文字通りことばに

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          意味なし小説「下水」

          とある下り坂を下りきったところにあるマンホールに入り、下水に降りた。 そうすると今までの世界とは違うもう一つの世界が現れる。 猫が町中をウロウロしていた現実とは違って、ここには猫はいない。 いるのは異様に多い人間と、人間の飼っているもう1種類の人間だ。 ぼくは昨日見た景色を思い出しながら、水の中に脚を突っ込む。 濡れるとか濡れないとかはどうでもよく、とりあえず進める方に進んでいった。 今までもそうだったが、ぼくのする事は普通ではないと思われるようである。 大体いつも、ただ

          意味なし小説「下水」

          コミュニケーションと暴力

          考える前に発せられた言葉は、 コミュニケーションというより暴力に似ている。 考えないということは、話す内容もさることながら 相手のことを何も考慮しないということでもある。 それは相手が何を言っているか、ということも、 相手がどういう人間か、何が好きで何が嫌か、ということも 考慮されていない。 日々の会話でそんなことまで、と思われるかもしれない。 ただ、それを考えるということは、 相手を思いやるということにつながる。 相手を思いやることがあるのならば、 暴力をふるうこと

          コミュニケーションと暴力