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実は🇯🇵に帰省していました①

こんばんは。ただはんです。

いきなりですが、わたくしは
5ヶ月前くらいに日本に一時帰国していました。

主な理由としましては、
祖母の他界です。

私の家族で唯一の味方であり、
心の支えであった祖母が
2023年4月14日をもって亡くなりました。

本当は、直ぐにでも日本に帰国を
考えていたのですが、私がまだ
IELTSのコースを受講していたこと、
日本は入国制限があったり、
地震や天候の問題などが重なり
直ぐに帰国するのが厳しい状況でした。

祖母は、私が一時帰国した約4年前に
アルツハイマーの予兆を
迎えていたのですが、それが年々悪化し、
私生活では怪我、病院送りヘルパーさんの
力を借りて何とか生きられたほど…。
最後の最後まで私の名前を呼んで下さっていたのが
日に日に薄れていき、何も覚えていなかった
ように思い出が消えていったのを
母から知らされました。

4年前は、まだ会話の中でも冗談を言ったり
料理や趣味のクロスワードをするくらい健康
だったのですが、私の母の名前を忘れたり
予定を書いたら直ぐ忘れるなど…。
予兆を見せていました。

それでも、私がまたオーストラリアに
戻る前になると…。

「私、次どうなっとるか分からへんから」

と、餞別に幾らか私に差し出してくれた
こと、自分のことより私のことを考えてくれた
ことに涙が止まらず、思わず抱擁したのを
月日が経った今でも鮮明に覚えています。

私がオーストラリアに来た理由の一つに、
家庭環境も関係しています。
子どもの頃に両親が離婚し、離婚する前から
父母の仲が悪く、私の母方の祖父は
私を厄介払いしておりまして。
理由としては、私の父が母に暴力や暴言を
振るったことや他人の血を引いている人間が
家の敷居を跨ぐことを嫌っているからです。

今回の亡くなった私の祖母は母方であり、
祖母はそんな祖父のストッパーでもあった
ので、正直、帰国するのが重々しかったです。

ストッパーである祖母が亡くなり、
私は日本を出てオーストラリアに
遊びに行って、日本で定職に就かず、
ダラダラしている私を見て怒鳴ってきた
ことや陰口を呟かれたこともあり…。

癇癪持ちで昔体質で昭和な祖父や
アルコールや暴力を振るうことが
多かった父、
気分や内容によって、コロコロ態度を
変えて都合が悪くなると喚く母、
父に似た態度とほぼ二重人格で
家庭内では暴言ばかりの姉。

そんな家庭に嫌気がさして
オーストラリアに来たのが5年前、
今ようやくCertificate III and Iv Fitness と
いった自分のキャリアをスタートさせる
ことができましたが、それまでは家族の私を
見る目は、日本で通用しなかったからオーストラリアに逃げた、遊びに行った。帰っても直ぐ日本で
就活。

といった感じが強く、陰口を叩かれていたので…。

だからこそ、
日本だけでなく、
世界で通用するスキルや経験、英語力と
人間力を身に付けようとオーストラリアに
来たわけで…。

学校に干されたり、
IELTSは何回も落ちたり、
学業については散々な結果ですが、
何とか生きております。

オーストラリアから関空に降りたって、
約6年振りに食べたKAMUKURAのラーメン。
22時を回っていましたが、
唐揚げとビールもセットでいただきました。


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