躁鬱コンビニ店員の叫び
私は大学生の傍ら、某コンビニ店員をしている。今月いっぱいで辞めようと企んでいるのだが。
コンビニ店員は結構楽しかったしやり甲斐があった。常連のお客様とお話したり、小さなお子さんがバイバイって手を振ってくれたり。そういう小さなことが嬉しくて、モチベに繋がっていたと思う。
だけどいつしかリストカットなしでは続けられなくなっていた。なぜ自分の手首を傷つけることでしかストレスに対処できないのか。色んな文献を読み漁った。大事なところはマーカーしたりもした。答えはまだ見つかっていない。
意外と見逃されがちだけど、コンビニって接客の部分が本当にキツすぎる。少なくとも私にとっては。
誰もコンビニ店員になんて高度な接客を求めていない。
そう言われ、励まされたこともある。私はお客様のためにとかそういうことじゃなくて、多分自分本位なんだと思う。どこかで見返りを求めてたりする。
私は全力で頑張ってきたつもりだった。家を出るという行為も厳しい中、泣きながら電車に乗った日もあった。仕事中辛すぎてトイレに閉じこもった日もあった。
それでも私に冷たく当たるお客様もいる。手首の傷を深く、深く刻まれるような事もあった。それは言葉だけじゃない。態度とか雰囲気とかも、場合によっては凶器になりうる。
このやり場のない気持ちをぶつける先は自分しかいなかった。もちろん誰かに相談することもある。けれど、「お客様は神様」という言葉が存在する以上、この傷が癒えることはなかった。
私はこの言葉が嫌いだ。どこの口コミサイトを見てもひとつは書いてあるこの言葉。たかが1分や2分の間、お互いに対等で、嫌な思いをしないのが1番良い。
私は中国へ行った時、店員さんの緩さに憧れたほどだ。これでいい、これがいいと何度も願った。
私はもう出来れば接客業というものからは離れたい。自分の心を壊してまでやることか?って、冷静になって自分を守ることを選ぼう。
私はこの記事を、接客業で悩んでいる人は勿論のこと、多くの人に読んでもらいたいと切に願う。もし接客というものに関わったことがない人、お客の立場しか知らなかった人。色んな人がいると思う。
この記事を読んだあなたが、少しでも今日は店員さんに「ありがとう」の一言言ってみようかなとか。少し態度を改めてみようかなとか。商品投げるのやめようかな(←結構いる)とか。
些細なことを変えるだけで、少し傷が浅くなる、または傷が癒えるということは絶対に覚えておいてほしい。そして忘れないでほしい。
私の叫びはこれは終わり。
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