老人と海
せっかくキューバにいくのだから、ヘミングウェイくらいは読んでおかなければなるまい。どうせ読むなら、やっぱり「老人と海」だろう。そう思い立ったのは、飛行機がとびたつほんの少し前のことだった。
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「老人と海」って、コンビニでいう鮭おにぎりと同じくらいの確実さで書店に並んでるものだと思ってた。
でもそれは大間違いなことが、今しがた判明した。羽田空港の書店を、くまなく探したのに。どこの書店にも置いてなかったのだ。
そしてまた羽田の書店に並ぶラインナップが私の血圧をあげてくる。眉唾ものの健康法ムック、「泣ける」の一点だけで買わせようとするPOP付きの小説、極めつけは、陰になったコーナーに(でもしっかりと幅をとる)エロ小説たち。
・・・・・・ニッポンのサラリーマンを憂いた。
そんなこんなでがっくり来て、ついでにお昼のタイミングも逃して、半ばふらふら。とにかくチャンピオンで焼肉ロールだけ食べよ、あとのことはそれからだ!と思ってたものの、エアカナダのカウンターがオープンしてたので先に並ぶことに。
荷物は持ち込みたかったのに、バックパックは預けてって言われてしまいました。去年インドにいったときのANAは持ち込み大丈夫だったけど、エアカナダ、厳しめ。
あまりの空腹でふらふらふわふわしながらバックパックを預けたら、カウンターを離れた直後、カメラを入れっぱなしなことに気づく。
「あとで回収するので、バックパックが戻ってきたら携帯に連絡しますね」とカウンターのお姉さん。よかった、と一瞬安心するも、今度はポッケに入れてたはずのiPhone・・・が・・・・・・ない?
「・・・!!!」
もう、持ち上げられて叩きつけられて心臓のジェットコースターがひどい。
カウンターのお姉さんに泣きついたら、「京急バスの中に置き忘れてましたよ」と連絡がついた。ほんと、この数分間、生きた心地がしなかったよ・・・ここが日本でよかった。
あんなちっちゃい電子機器一つに、私はどれだけ頼ってるんだとなんだか悔しさすら感じた。あらためて、大事に持ってよう。
前置きが長すぎたけど、老人と海。
結局Kindleで購入。ありがとう現代文明。(最初から買え)
読む前は、マッチョなおじさんがマッチョなカジキと闘う話だと思ってた。好みのタイプの小説じゃないし、だましだまし、旅行の期間全部を使って読了する感じかなぁと思ってたけど全然違った。
読み始めたら、止まらない。
文章はシンプルで淡々としてるのに、なぜか目の前に海が広がる。読み終えた今の気持ちは、「大冒険したなぁ」。
なによりおじいさんが、思ったよりちゃんと「おじいさん」で(後半どんどん強くなるけど)、頑張りたいけど頑張れない、うじうじしがちの元・肉体派で、その葛藤具合がなんだかハマってしまった。
船の上で何度も、仲の良い少年のことを思い出しては「やっぱり連れてくればよかった」と言い続けるところとか。亡くなった妻の写真を、つらすぎて飾れないところとか。
カジキを仕留めるまでの話かと思ってたから、後半三分の一はびっくりした。ある意味衝撃のラストです。前半は敵ですらあったカジキが、死んだあとになって仲間になる感じ、もはや身内というか、確実におじいさんの一部になっていく感じ。ダイナミックに関係性がかわっていって、でもそれをおじいさんもどこか疑問に思っていたりして。
何度も、これが夢なら良かったのに、と彼はつぶやく。生きてくことは、殺すこと。どこかからりとした口調で語られる。
星は殺さないですむから良かった、というセリフが残った。彼は、海に出て出会ったあらゆるものを殺すことで生きている。それを食べている人も、結局は殺している。でもそれが罪かと言われると、食わにゃ生きてけんのだよね。
海の色、魚の色、なんだかライフ・オブ・パイとか見終わったあとみたいな気持ち。きれいな景色を見た、大きな冒険をした、すごく疲れた、ベッドと甘いコーヒーが心地よい、もう少し夢を見ていたいなあ、そんな気持ち。書いてたら私も眠くなっちゃった。というか書き始めた瞬間から眠い。寝よう。
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