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世界が縮小される。パンデミックで世界がどんどん狭くなることに耐えられない人へ

こんばんは。
かつて、テレビ局グループという絶対安定で平和な世界から、32才のときに世間の荒波に飛び出してまんまと借金生活に転落。
イケメンのために国産スポーツカー2台分をドブに捨てた
元戦場カメラマン社長、出口友子です٩( 'ω' )و。v

さて。都市封鎖(ロックダウン)が現実味を帯びくるなか、このニュースを目にしました。

新型コロナウイルスの恐怖に耐えられず……19歳女性が自ら命をたったという記事を目にして、いま苦しむ人に伝えたいと思い、パソコンを開きました。

彼女は命をたつ前に、姉にこう打ち明けていました。

「パンデミックのせいで世界がどんどんせまくなって、計画が台無しにされて、屋内に閉じ込められることにもう対処できない」

特に彼女は高機能自閉症だったとのこと、世界が狭くなっていくことへの恐怖は相当なものだったでしょう。

私自身ほとんど口にしませんが、ほんの少し前はパニック障害になっていました。人が多い所、急に人に話しかけられることは今でも苦手です。

世界が激変する中で、対応することが苦しい人や、もしかしたら同じ思いをしてる方がいるかもしれない。
勇気を振り絞って、私がパニック障害だった頃の話、そして復活した話をします。
起業する前のほんの1年前。私はコンビニにも行けないほどに精神が弱っていました。

いま、実際にお会いした人たちが、今の姿から想像もできない
とおっしゃってくださるなら、それは周りのサポートのおかげです。

子供の頃から生きづらいな、と感じていたのは
物心ついたころからなので、あまり気にしていませんでした。

母はとても強い人だったので、
少々変わっていた私を、それはそれは強く勇気を持って育ててくれました。
友達がいなかったけど、動物に囲まれて幸せに暮らしました。

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そんな私がパニックを起こし始めたのは、職場での過酷な過酷な環境でのことでした。毎日5時間も、6時間も怒られ続け、恐怖が重なってミスもどんどん増えていき、ポンコツを通り越して障害者なんじゃないかと毎日、毎日言い続けられ2ヶ月以上がたったある日

今日もめっちゃ「ポンコツ」って言われたなー(笑)と、
それまで笑えてたのに、
ある日突然、笑えなくなった日がやってきたのです。

最初は電車に乗れなくなりました。
会社から出れなくなりました。
会社があったフロアからも出られなくなりました。

そして、家にも帰れなくなりました。

そこから3日ほど会社のトイレに寝泊まりしました。

いままで、生きづらいなーとケラケラ笑えてた日々から

私の世界がトイレの1室だけにグッと狭くなりました

そんなことを書いていたら胃が痛くなってきたので、辛い話はこれくらいにして、ここからはどうやって復活したのかの話をします。

あの時私は、人生最後の勇気を振り絞って、
少しだけ将来のことを考えました。

いま、外に出たら、自ら命を立ってしまうかもしれない。
そんな恐怖さえ感じるなか、せめて最後に、1個だけ人生思い残したことをやってみよう。

と奮い立たせました。
それは、ピアノ教室に行くことでした。
震えながら「東京 習い事」で検索。

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結論から言うと、、その最後に通った習い事の先生が、
いま、会社員をしている会社の社長さんです。
(元戦場カメラマン社長は、会社員+副業で社長なのです٩( 'ω' )و

「君、習い事してる場合じゃないと思うよ。」

と、死の淵から救ってくれました。

パニック障害から、日常生活を送れるまでにやったこと。

怒られ続けた会社を辞めて、(ちゃんと辞めれたわけじゃないから偉そうには言えないけど)救ってくれた社長のもとで会社員も復帰し、

さらには副業で起業し、社長業までできるようになったのは、
周りのサポートの一言に尽きます。

いまでも後遺症が残っていて、
電話に出るのが極端に嫌だったり、
スーツを着たイケてる感じの男性が怖かったり(あのときの上司に幻覚が見える)しますが、

パニックを起こしていた当時は、日常生活に支障がでるほど、苦しんでいました。解決方法はいたって、スパルタで、

今、渋谷スクランブルスクエアにあるweworkにオフィスを構えていますが、実は、その怒られ続けていた会社が入っていたのも、六本木のweworkでした。

weworkって、日本国内に30拠点くらいあるのですが、
実は内装って、そのほとんどがほぼ同じなんです。

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天井や床材、ドアや階段の手すりなんて、本当に六本木とそっくり。(写真は渋谷)

だから最初は、幻覚に幻覚が重なって、パニックにパニックが重なって、
泣き出したり、逃亡したりしていました(社長なのに。。)

スタッフはそんな社長を怒ることなく、
連れ戻し、落ち着かせてくれて、何度でも優しくしてくれました

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しばらくのあいだは、トイレがいちばん怖かったですが、(本当にすべてが六本木とそっくりだから)1箇所ずつ、居ても怖くない場所を増やしていきました。

怖くないよ、怖くないよ

そんな風に自分に言い聞かせつつ。
ここには、誰も責める人はいないよ、と。

いまも、脱走癖はありますし、
人様と比べると、極端にできないこともあります。

いわゆる普通までは、まだ全然戻れていませんが、
それでも会社員+社長ができるようになりました。

そんな不安定なら、会社員だけやってれば?と思う方がいるかもしれません。でも、会社員という働き方でパニックを起こした私は、会社員をやること自体もすでに不安で仕方なく、社長があるからこそ、心バランスを保てています。

もし、会社員で不安を感じているのなら、
儲かる、儲からないは別問題として、心の安定のために起業することを私はオススメです。(会社員の給料があれば、多少赤字でも大丈夫!)

心の平安のためだと思って、娯楽費をすべて会社に投入して起業しました。
そんなハードな創業期の話はまた、今度に。

今回は、ひとえに周りのサポートのおかげと感謝しつつ、
誰かの助けになれたらいいな、と願ってこの記事を投稿します。

ここに全てを書けたわけではありませんが、
世界が狭くなることに恐怖や不安を感じているときは、少しお話してみませんか?

あのとき、社長が私を助けてくれたように。
私も渋谷で、誰かの助けになれることを願って。

サポートが必要な方は、あなたが可能な方法でアプローチください。

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