夢見遼

魔法使いになれなかった人

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最近の記事

おいしくないラーメンの話

 ラーメンと名の付くものは大抵美味しい。カツオや鶏がらまたは豚骨等から出汁を取り、しょうゆで味付けたスープ。形状は様々だが小麦が練りこまれた麺、変わり種はあるものの、この二種類の組み合わせで不味くなりようがない。おいしいものは脂肪と糖でできている、とからだすこやか茶も言っていた。そう思う。  だが、時折存在する。おいしくないラーメンが。仮にもラーメンの名前を冠しているのに、美味しいと思えないラーメンが。脂肪と糖を満たしているのに適わなかったラーメンが。今回は私の人生で登場した

    • 我が家のISIS(アイシス)へ

       実家で長年乗っていた車を変えることになった。長年も長年で15,6年ほどになる。トヨタのアイシス。大きな故障もなく走った良い車だった。  夜空を思わせるような深い紺色の車体。ヘッドはシャープだが背は滑らかなカーブを描き、かっこよく爽やかな顔をしていた。後部座席はスライドドアで、ドアの加減が分からないうちはガチャガチャと強めに開けていた。ごめんね。車内は広く、乗り心地は最高だった。ほどよい柔らかさと硬さの黒いシートでうとうと、眠りかけるのが好きだった。  我が家は車で帰省す

      • 転職して久々に研修というものを受け、思い出した。ビジネスに都合の良い思考をさも人生の命題であるかのように"成長"やら"自己実現"やらもっともらしい言葉で押し付けられる苦痛を。うるせぇたかだか二十数年の人生でも得た哲学があるんじゃい。

        • 余暇は余りでも暇でもなく本命

           無職になる少し前の今。三連休の真ん中、日曜の昼に、自転車を乗りに外へ出た。  よく晴れていた。夏よりも薄い青でところどころ雲を残すも、冬らしい澄んだ空だった。晴れた日の冬の昼は、毅然としたかっこよさと少しの優しさがある。最近自転車に乗ってないことに気づいて漕ぎ出した。  散歩が好きだ。朝は起きられないためなかなか機会がないが、きっと好きだ。昼の散歩も清々しく好きだ。夕方の散歩も人々の生活の匂いがして好きだ。夜の散歩は特別で一番好きだ。家の周りからあと少し遠くまで、気が向

        おいしくないラーメンの話

        • 我が家のISIS(アイシス)へ

        • 転職して久々に研修というものを受け、思い出した。ビジネスに都合の良い思考をさも人生の命題であるかのように"成長"やら"自己実現"やらもっともらしい言葉で押し付けられる苦痛を。うるせぇたかだか二十数年の人生でも得た哲学があるんじゃい。

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          なるほど故郷は工場地帯だったのか

           雨の降る夜に出歩いてそう思った話。  夏期休暇に入って二日目。夏期休暇と名の付くものが五日で終わってたまるかよ、と会社とかいう組織に愚痴を吐きながら、家族と夕食を共にした後、なんとなく外に出たいと思ったのであった。  夏休みのあのわくわくする響きを永遠のものだと勘違いしていた私は、つまらない以外の不満も無いがただただつまらない会社から与えられた「夏期休暇」が五日間だと知り、すべてのやる気を無くして家にいた。盆はどこも混むだろう。外に出かける気も無ければ人を誘うのも億劫。

          なるほど故郷は工場地帯だったのか

          BeetlesのHello,Good byeの訳を「君はグッバイで僕はハローでうまくいかないなー」ぐらいに思ってたが「なんでグッバイと言われたのにハローと返してしまうのか。分からないな」と解釈するのも面白いなと思った。正誤はともかく翻訳は可能性でもあるから楽しい。

          BeetlesのHello,Good byeの訳を「君はグッバイで僕はハローでうまくいかないなー」ぐらいに思ってたが「なんでグッバイと言われたのにハローと返してしまうのか。分からないな」と解釈するのも面白いなと思った。正誤はともかく翻訳は可能性でもあるから楽しい。

          夜行バスの旅情

           バスタ新宿は混んでいた。人がごった返しになっており、待合室の椅子は全て埋まっていた。3月末の移動だけあってか、人の数と同じだけのキャリーケースが跋扈し、椅子がないからと仕方なしにキャリーケースに腰をかけている人もいた。音声のアナウンスや案内員の肉声で時間とバスの号車と行き先がひっきりなしに告げられた。バスは少しの遅れも許さないようだった。ばらばらと荷物を持った客がやってきては、行き先さまざまなバスが一塊の客を掻っ攫っていく。入れ替わりの激しい待合室と、旅立つバスと、アナウン

          夜行バスの旅情

          卒業式だった。

           卒業式だった。グラジュエーションで、コングラッチュレーションだった。よく晴れた日の2022年3月20日に大学生が終わった。  なんとまあ卒業式の式典自体は味気なくて、昨今の事情のせいで教室のモニターに映された式典の様子を見ながら、立ったり座ったりするだけだった。袴の締め付けが苦しくて早く終わらんかなと思ってた。学位の紙もほいほいと渡されて「あーこんな感じなんだな」と思ってるうちに終わった。送辞も来賓の方々のありがたい話も暇で、「コロナ禍でキャンパスに通えず可哀想にまあ」と

          卒業式だった。

          こんなことしている場合じゃないが大抵の場合はこんなことしている場合じゃないし「こんな」と貶されることじゃない

           テスト前の掃除、〆切前のゲーム、何か頑張らなくてはいけないものが眼前にあるのに、全く関係ない行為をしてしまうときに言ったり言われたりする定番のセリフ。「こんなことしてる場合じゃないのに!」今回はこのセリフについて考えたい。  そもそも掃除もゲームも別に「こんなこと」じゃないだろ。何と比べて「こんなこと」と落とされなきゃいけないのだ。テストと比べて掃除は劣るのか。〆切の前にゲームは霞むのか。いや、「こんなこと」と言われる謂れは無い。「掃除をしてる場合ではないのに!」、「ゲーム

          こんなことしている場合じゃないが大抵の場合はこんなことしている場合じゃないし「こんな」と貶されることじゃない

          マッサージチェアのエアーされるときの圧迫感をぎりぎりまで責めたい。

          マッサージチェアのエアーされるときの圧迫感をぎりぎりまで責めたい。

          人生最後の余暇を持て余して3月

           人生最後の余暇を持て余している。これは大学4年の春休みを人生最後の余暇だと思ってる人間の戯言だが、4月になったら社会人とかいう人生の終点を迎え無事に社会性が身につき社会の歯車に揉まれてあっという間に刃こぼれして死ぬことが決定していると本気で思っている。  20歳直前も同じようなことを思っていた。根拠のない全能を感じていたこどもこそが無敵で最強で青い春で大人は敵でくだらなくてつまらなくて無味無臭の人生を送るあの「大人」になってしまうんだ、と絶望していた。いやまあ結果としては

          人生最後の余暇を持て余して3月

          一番先に好きなクレヨンが無くならない僕らは

          「どんな色が好き?」 「みどり!」 「みどり色が好き」 「一番先になくなるよ、みどりのクレヨン」 こんな童謡がある。私は今でもこの歌を頭の中で、その当時のうたのおにいさんとうたのおねえさんの声で流すことができるぐらい、なぜか覚えているのだが、果たして本当にそうだろうかと思う。本当にそうだろうか。一番先に好きな色のクレヨンがなくなっていたのだろうか。きっとそうでは無かった。それは今の自分の性質を眺めて推測できる。きっとあの頃からそうではなかったと思う。この話は好きなものを最後に

          一番先に好きなクレヨンが無くならない僕らは

          セブンイレブンのカニクリームコロッケは暴力に近い

          セブンイレブンのカニクリームコロッケは暴力に近い

          家で作る冷やし中華やざる蕎麦の〆が甘くてまだ麺の温もりが残ってるやつ、本当に好き。中途半端な人生と似ている。

          家で作る冷やし中華やざる蕎麦の〆が甘くてまだ麺の温もりが残ってるやつ、本当に好き。中途半端な人生と似ている。

          正直献血に嫌な興奮を覚える

           そこのキミ! 献血はしているか? してる? 偉いぞ! できない? そうか、協力しようとしてくれたその心が偉いぞ! 針が怖いし痛いのが嫌? まぁそこまで痛くないので痛みは気にしなくていいが針が怖いとつらいかもな。無理しないで大丈夫だぞ! タイミングが分からない? 大抵都内のでかい駅には献血ルームがあるから、「1時間ぐらい暇になっちゃったな〜時間潰したいな〜」ってときに行け!!! 店入るより金かからないし、Wi-Fiあるし、漫画もあるぞ! みんなも献血をしよう。 〜献血するこ

          正直献血に嫌な興奮を覚える

          ワイヤレスイヤフォンを買うと「音楽を聴く行為に対する手間」がかなり削減されるので音楽を聴くようになる。良い。

          ワイヤレスイヤフォンを買うと「音楽を聴く行為に対する手間」がかなり削減されるので音楽を聴くようになる。良い。