なるほど故郷は工場地帯だったのか

 雨の降る夜に出歩いてそう思った話。

 夏期休暇に入って二日目。夏期休暇と名の付くものが五日で終わってたまるかよ、と会社とかいう組織に愚痴を吐きながら、家族と夕食を共にした後、なんとなく外に出たいと思ったのであった。

 夏休みのあのわくわくする響きを永遠のものだと勘違いしていた私は、つまらない以外の不満も無いがただただつまらない会社から与えられた「夏期休暇」が五日間だと知り、すべてのやる気を無くして家にいた。盆はどこも混むだろう。外に出かける気も無ければ人を誘うのも億劫。勤めのあった平日にやれなかったことでも消化してしまおうと、部屋の掃除をするかと意気込むも、結局気が向かず、冷感シートに寝転がりながら、1人RiJを見て怠惰を貪っていた。ぼんやりとしたアイデアと創作意欲はあったが、脳内をぐるぐると逡巡するだけで、アウトプットは果たせなかった。未だにもう夏休みが無いことにショックを受け、腹を立てていた。

 ガサツなバラエティがテレビから垂れ流された夕飯の卓で、冷しゃぶサラダと茄子の揚げ浸し(最高)をつまみながら、ふと思いつく。外でも歩こうか。元々深夜徘徊が趣味である(年老いたらそれなりの迷惑をかけるのだろうなと今から危機感を覚えるほどには)そうと決まったら多少のアルコールが入っていた方が愉快なので、冷蔵庫から冷えた缶酎ハイを出し、豚バラと一緒に腹に入れると、そのドアを開けた。打ち付ける雨だった。

 それならサカナクションを聞こうと思った。雨降る夜の急な深夜徘徊だ。それしかない。ワイヤレスイヤホンを片耳突っ込み、Apple musicにシャッフルをおまかせしながら、傘を差した。風が強くあまり意味をなさないが、350mlの5%でうっすら火照った身体にはちょうど良かった。
 どこを歩こうかと迷って、とりあえず自らが通っていた小学校を目指すことにした。深夜徘徊が趣味という割にあまり道を知らないのである。かつて大きな工場があった跡地を歩き始める。今はショッピングモールと住宅街に様変わりし、見る影もない。記憶を頼りに歩き進める。そうすると、ああこの横断歩道に交通整備員のおじちゃんおばちゃんが立っていたっけ。ここらへんで脇道に逸れて寄り道したっけ、などとあの日が蘇ってくる。この歩道橋を渡れば学校に着いた。あの頃の記憶よりも我らが母校は家から近く、苦労して歩いたことが嘘みたいだった。伸びた身長と目線と経験が、背伸びして世界を見ていると教えてくれた。

 「三日月サンセット」、「僕は花」、「たぶん、風」などサカナクションが雨の夜のセットリストを好調に歌いあげ、傘の上で雨粒が砕ける音を聞きつつ歩き進めると、あることに気づいた。繁華街でもないくせして、灯りが多い。全体的に明るいわけではなく、ぽつぽつとまとまって光っている。住宅街の柔らかい明かりではなく、夜を照らす剥き出しの光の群れがやけに多かった。近づいて分かった。工場や産業廃棄物の廃棄場が多いのだ。
 思い返せばそうだった。家の周りの道路はやけにトラックが通っていた。やたらに地元の中小企業の工場が多く、何かしらの音がした。錆びついたショベルカーやクレーンが珍しいものでは無く、そこらにあった。通学路沿いにも波形のアルミの囲いがあり、ツナギを着たおじさんが出入りしていた。鉄骨やら木材やら石材がそこらに打ち捨てられていた。ああ、工業地帯だったのだなと思う。東京都に隣接した埼玉県の小さな市。特産品も無く、団地も多いが、でかい道路が通っていた市。なるほど、私は工業地帯に住んでいたわけだ。
 故郷として夢見る豪華さは無くても、確かにこの土地で情緒が育った。元の実家である高台にあるマンションから眺める夜景が好きだった。ちらほらと見える白や赤の強い光と、行き交うトラックの重いエンジンの音が好きだった。

 Apple musicが「アルクアラウンド」を流し始め、「夜のあかり、しらしらと」を噛み締めながら引き返す途中に考えをまとめていると、次の曲は「アイデンティティ」だった。

取りこぼした10代の思い出とかを掘り起こして気づいた 
これが純粋な自分らしさと気づいた

 そうだったのか、と思った。カーン、カーンと遠くに聞こえるなんらかの金属の音が妙に耳に馴染むのは。工場の夜景に懐かしさを感じるのは。当たり前の風景で知らなかったのだ。工場団地で育っていたのだった。

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