こんなことしている場合じゃないが大抵の場合はこんなことしている場合じゃないし「こんな」と貶されることじゃない

 テスト前の掃除、〆切前のゲーム、何か頑張らなくてはいけないものが眼前にあるのに、全く関係ない行為をしてしまうときに言ったり言われたりする定番のセリフ。「こんなことしてる場合じゃないのに!」今回はこのセリフについて考えたい。
 そもそも掃除もゲームも別に「こんなこと」じゃないだろ。何と比べて「こんなこと」と落とされなきゃいけないのだ。テストと比べて掃除は劣るのか。〆切の前にゲームは霞むのか。いや、「こんなこと」と言われる謂れは無い。「掃除をしてる場合ではないのに!」、「ゲームをしてる場合ではないのに!」こう言ってあげた方が良い。
 ではこの前提をもとに、物事に順位をつけるとき、テストと〆切は頂点に立つのか。いや、人間本来の在り方を考えれば全ての行為において優先すべきものは繁栄である。つまりテストも〆切も、人類の将来的な繁栄の前には容易に「こんなこと」になり得る。しかしこの時代にまだ人間の存在目的を「繁栄」にとどめるのはナンセンスだ。というのも、地球という一つの天体に住処が限られている場合、∞に増殖し続けるのは現実的では無い。これは人間が「何を成す」ことが今「すべきことなのか」という巨大な問題と向き合わなければいけないのかもしれない。アンパンマンだって「何のために生まれて何をして生きるのか」について答えを出せないまま死ぬことの悲しさを歌っている。ここは笑うところなので笑って。

 今人間がすべきこと、それは一概には言えないだろう。一概には言えないからさまざまな人間がさまざまなことを行い社会が回ってる。この先は多様性こそが人間の強みと言うように。つまり人間に求められる根本的な「すべきこと」は今の時代において、一人一人の心の中の優先順位であり、共通した「目標」ではないのである。自分に従うことで、自分の在り方が決まる。そいつが「とにかくnoteを書かなくては」と思えば、そいつにとってはnoteを書くことが一番に優先されるのだ。

 ではなぜ、「こんなこと」が生まれるのか。それは、物事に自分で優先順位を付けるからである。大抵の場合「先にやった方が良いこと」から始めようとする。「さきにやった方が良いこと」は期限付きであったり、行為の結果が後々に影響することが分かりやすく確定している場合であることが多い。前者が〆切、後者は試験勉強と考えると理解しやすい。また〆切の場合は誰かに迷惑がかかることも、優先のトップに躍り出る用意んだろう。それに比べて、期限が無く、その行為の結果が明確に分かるわけではないものは、自然と後ろに回る。これにあたるのが趣味である。それによって趣味は「こんなこと」になりやすい。そして、優先されたものが終わったと思えば緊急で「今」増えるタスクもある。優先のものと同時並行しなければいけない場合もある。このように順位をつけたとき、自然と後ろへ後ろへ退けられてしまうものが「こんなこと」になってしまうのだ。

 だが果たしてそれは「こんなこと」だろうか。優先されてる事案はそんなに偉いのか。優先してやらなければいけないことの話の中で、優先されるものは「偉い」なんて話は一切していない筈だ。ただ、順番が先なだけだ。そうなのだとしたら、後に回されるものだけ「こんなこと」と下げてはいけないだろう。後に回るものを「こんなこと」呼ばわりするから、優先順位の高いものはえらく、優先順位を割り込んだものは「こんなこと」になってしまうのだ。「やらなければいけないこと」、「やりたいこと」と言い分けることができるのも良くない。その人の行う全ては「やりたいこと」のはずなのに、優先順位の高いものは「やらなければいけないこと」になり、後のものが「やりたいこと」になるのも、「こんなこと」と呼ぶ原因になっている。「やらなければいけない」存在が「やりたいこと」を「こんなこと」にしてしまうのは不健康だ。
 さらに問題をややこしくしているのは、これらは固定されているはずではなく、入れ替わることが多々あることである。順番通りにやることだけが重要ではない。効率さを求めるなら、一つ終わるまで他のことをしてはいけないという縛りは全くの無駄である。同時並行の方が早く終わる可能性や、モチベーション維持のための方法を考えると、順番に固執し過ぎてしまうのも考えものだと気づくだろう。その際の順位の入れ替えを「こんなこと」と呼んでしまうのは、効率化を妨げる要因になる。順位が常に変動してることを考えると、順位の後先に偉いも何も定まったものが無いことが分かる。悪いのは物事では無く、自覚的に物事の順位を変動したときの罪悪感、それが物事を「こんなこと」と呼ぶのである。その人の罪悪感、価値観が、物事を劣らせるのである。


 ここまでぐだぐだと述べてしまったが、とどのつまり、物事に貴賎は無く、なんなら判断基準も個人のものだし、やらなきゃいけないこととやりたいことは優先度の違いだけであり、優先順位が後ろになったからと言って、自分が今やってたり、やりたいなと思ったことを、「こんなこと」と蔑んではいけない。なぜならその「こんなこと」は「やらなければいけないこと」より「やりたいこと」だったのかもしれないから。「やらなければいけないこと」をやめ、「やりたいこと」だけをすることが、我々のやりたいことであったのではないか。今一度立ち戻る必要がある。

 こんなこと書いているより他にやるべきことがあるかもしれなくても、こんなことがやりたいことなので仕方ないのである。

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