人生最後の余暇を持て余して3月

 人生最後の余暇を持て余している。これは大学4年の春休みを人生最後の余暇だと思ってる人間の戯言だが、4月になったら社会人とかいう人生の終点を迎え無事に社会性が身につき社会の歯車に揉まれてあっという間に刃こぼれして死ぬことが決定していると本気で思っている。

 20歳直前も同じようなことを思っていた。根拠のない全能を感じていたこどもこそが無敵で最強で青い春で大人は敵でくだらなくてつまらなくて無味無臭の人生を送るあの「大人」になってしまうんだ、と絶望していた。いやまあ結果としては「まだ全然こどもだが!?」の顔をして酒を飲むこどものままであったが、それも大学生だからという安心があったと思う。大人になってもまだ学生である心地良さ。世間からは大学生は20歳を越えても大学生として捉えられるので、その中で我々は「世間知らずで馬鹿な酒の飲み方をする社会に出る前の大学生」でいられたのだ。いわば大学生は最後のモラトリアムなのである。

 その大学生も終わってしまう。大人になるだけでもだいぶ嫌だったのに、最後の頼みの綱の大学生からも手を離せと言われる。本当に嫌だ。この甘ったれた考えはまさしく幼稚なので、その精神年齢と合わせて一生幼稚に扱ってもらわないと困る。社会人なんて困る。新社会人というのも嫌だ。舐められるでしょ。私は受験生も就活生も嫌だった。「初々しいな……頑張れ……」と心の中でそう思われてたんだろうなと感じる電車の中で暴れたくなるぐらい嫌だった。新社会人も「新社会人だ……頑張れ……」と勝手に過去を重ねられ懐かしまれ下に見られ、「新社会人だから社会を教えてやらんとな」と傍迷惑に意気込んだ奴らに寄ってたかっていじめられ、「新社会人だから仕事もできないし」と見下され、新卒新社会人だからこちらもその全てにへーこらしなければならない。本当に嫌だ。嫌だ……会社に勤めるの嫌だ……。何事も初めの方は嫌だ。舐められるから。あと週5で働かないといけない生活がこれから60何歳になるまで続く可能性があるの発狂しそう。俺死ぬ前に海外旅行に行きたいんだけど頼むよ。社会制度変わんねーかな。

 とまあ、こんな感じで4月から始まる新社会人生活への憎悪を憎々と募らせているわけだが、その分人生最後の余暇であるこの期間を有意義に使わないと後悔でたまらなくなるんじゃないかと思って焦っている。やりたいことはたくさんあるのに何からやればいいか分からない。その間にも余暇は終わりへ向かっている。焦る。余計に分からなくなる。プチパニックである。新社会人になることを憂鬱に思い過ぎている反動である。
 別にこれが人生最後の余暇であるとは限らないし、まとまった休みが取りづらくなるだけで有給はたぶんあるし、大丈夫だとは思うのだがあまり自信が無い。いやでも今のところ家族を養う気がないので、家に入れる金と私一人の生活を補う金さえあればなんとかなることを考えると、働き詰めなくても良い気がする。いやしかし一度就職してからそうアクティブに転職したり休職したり職に復帰したりする自信があるかと言われるとそれもまた無い。こんなに「見下されるの嫌」とか言う割に「今いる環境を辞めることを人に言う」のがはちゃめちゃに苦手だからだ。「辞めます」を言うのが苦手。心苦しいし、申し訳ないし、失望されるんじゃないかと慮ってしまう。よく分からん。あとは慣れ親しんだ環境を飛び出すアクティブさがその頃に残っているか分からない。これも怖いから社会人になるの嫌なのだ。ぐつぐつと煮立つ鍋の温度が上がっていることにきっと気づけず茹でガエルになってしまうんじゃないか。

 人生最後の余暇をどうしよう。海外旅行には行けやしない。迂闊にどこにも行けない。行こうと思えば行けるけど、この状況で人を誘うのが本当に嫌だ。今できなきゃもうこの先は何もできない気がする。春先特有の憂鬱さが迫っている。麗かな日差しに照らされて心が掻き乱されそうな3月、どのように生きようか。

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