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余暇は余りでも暇でもなく本命

 無職になる少し前の今。三連休の真ん中、日曜の昼に、自転車を乗りに外へ出た。

 よく晴れていた。夏よりも薄い青でところどころ雲を残すも、冬らしい澄んだ空だった。晴れた日の冬の昼は、毅然としたかっこよさと少しの優しさがある。最近自転車に乗ってないことに気づいて漕ぎ出した。

 散歩が好きだ。朝は起きられないためなかなか機会がないが、きっと好きだ。昼の散歩も清々しく好きだ。夕方の散歩も人々の生活の匂いがして好きだ。夜の散歩は特別で一番好きだ。家の周りからあと少し遠くまで、気が向くままに足を運ぶ。道が分かっていることは少ない。覚えるのが得意ではないため?ただなんとはなしに歩いて、時には音楽を聴いたりして、新鮮な空気と刺激に触れながら足を動かしていると、脳から余計なものがこぼれ落ちて底に追いやられていたものがらゆっくり出てきてくれる、気がする。それが好きで歩いている。もちろん「運動をした方が良いんだろうな」というぼんやりとした日常の指針を元にしている部分もある。

 今日はその散歩を散自転車にすることにして、およそ1年ぶりにサドルを跨いだ。久々の自転車は少し不安定で、しかし歩くより速く、車より遅く、風と同じスピードでゆっくり進み始めた。忘れていた風を切る感覚。冬の風は厳しく痛く冷たい。ただ昼間だったからか、その渇きはぬるくほやわらぎ、無愛想に肌を撫でてくれた。

 ぬるぬると自転車を漕ぐ。速く漕ぎたいわけでもない。どこへ行きたいわけでもない。自転車に乗りたい。その気持ちだけで大きな公園の脇を進む。何人かとすれ違って何台かの信号機を見た。急にパン屋さんのパンを食べたくなったので地元で有名なパン屋さんに入った。買ったパンをカゴに入れて、また漕ぎ始める。冬の香りは潔白で、しかしそれが心地良かった。

 こういうものが好きだなと思う。ばたばたと駆け足で冷たく置いていかれる日々ではなく、必死なビジネスではなく、思いつきの生活が。前の休日では美味しくパスタが作れたので昼からワインを開けた。こういう日々がたまらなく好きだ。かけがえのない大切で必要な余り。これが自分にとっての本分だ。他人のそれも好きだ。思い思いに、自由に人が生きているのを見るのが好きだ。

 転職先が決まらないまま仕事を辞めることだけ決まり、初めて正しさのレールから外れることにちょっとした興奮と恐れがあった。たぶんブランクが空いてしまうと転職活動には不利だろう。でも始めから8時間×週に5日間の労働が同じ場所で40年続くのは無理だと思っていた。ちょっと忙しすぎて遠すぎて未来が固定されすぎてしまう。そんなの少し無理だった。甘えん坊で意気地無しで可能性が好きでそのくせ自分の将来に臆病だ。まだまだでだめだめだ。でもそれでも良いと思う。本当は穏やかな方が好きなだけだから。

 早めにちゃんと仕事を見つけようとは思う。公民の授業で国民に労働の義務があることを知ってから、それは仕方のないことだと思っている。お金も必要だし。でも本来ゆっくりと生きるのが好きで、この好きがなくなるような人生は無いようにしたい。最近本を読めていなくてたくさん詰んでいるのだ。また文章を書くのが好きなのに。これだけ文章を書いたのも久しぶりなのだ。

 どこへ行くのだろうか。どうせ道など覚えていないのだから、心の向くままで良いだろう。

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