卒業式だった。

 卒業式だった。グラジュエーションで、コングラッチュレーションだった。よく晴れた日の2022年3月20日に大学生が終わった。

 なんとまあ卒業式の式典自体は味気なくて、昨今の事情のせいで教室のモニターに映された式典の様子を見ながら、立ったり座ったりするだけだった。袴の締め付けが苦しくて早く終わらんかなと思ってた。学位の紙もほいほいと渡されて「あーこんな感じなんだな」と思ってるうちに終わった。送辞も来賓の方々のありがたい話も暇で、「コロナ禍でキャンパスに通えず可哀想にまあ」とのことを何度も同情され、「仕方のねぇことをずっと言ってるなよ」と思いつつ、そう言ってしまいたくなるぐらい、その人達にとって大学生活が濃く残ってたと考えると、複雑な気持ちになった。

 卒業式が終わると慌ただしく袴が舞い、研究室で写真を撮り、教授に挨拶し、ご学友の皆々様と写真を撮ったりした。中学校や高校のときのあの感動や悲しさは無く、なんとなくまた会える予感があるから良いかと感じてしまったのは、別れへの慣れなのか、またはそもそも簡単に会うことができなくなっている情勢と折り合いを付けた結果なのかは分からない。色とりどりの着物と袴が花のようにふわふわと舞う中で、私の心もふわふわと大学を漂って、カメラのシャッター音が鳴るたびに消えていくようだった。何とも言えない卒業式だった。

 ほとんど大学へ行けてない時期があったからこの心持ちなのかは知らないし、卒業論文を書き終えてから卒業式まで無駄に空いた月日に懐かしさを少しずつ落としてしまったから、こんなに感慨が無いのかもしらない。どうせたいして会えなかったのなら、また会えなくなるのも寂しくないと不貞腐れた心もあるのか、まだ第一志望じゃない大学だったことを引きずっているのかも分からない。ただ袴を褒められるのが嬉しくて、けれども窮屈で早く脱ぎたくて、写真を撮ったら永遠になるなんて妄想の元に写真を撮って、気がついたら終わっていた。終わったらなんてことはない、ただの卒業式だった。
 

 よく考えれば、卒業論文を書き終えた時点で卒業の感慨は終わってたのだ。きっとそうだ。自分の研究成果を知らない人からもらった薄っぺらの紙より、自分が研究した成果を何十枚も重ねて提出したのが受理されたことが何よりも卒業の形だった。形だけの卒業式にそんなに落ち込むことはない。全体に向けたありがたいお話より、大学で得た知識をフル活用して取り組んだ研究成果について少しでも言及してくれた教授の言葉があんなに嬉しかったんだから、それが卒業式だったのだ。

 卒業式のことを書こうと思ってここまで書いて、なんで書きたいのか分かった。卒業式が思いの外あっさり終わり、空っぽだったのが寂しかったんだね。でも本当は卒業論文を受理された時点で大学生活は終わっていたから、別にそれでも良かったんだね。
 ああ、なんだ。そういうことか。やはり迷ったら文章は書いてみるべきだ。

 家に帰ってから両親に感謝を伝えた。お家がハッピー裕福なのでなんと学費を払っていただいていたのだ。父親に感謝を伝えるときに、「大学楽しかったよ」と言ったら「良かったね」と返してくれた。それがどうにも嬉しくて優しくて仕方なくってこっそり泣いてしまった。
 こう返してくれる親のためにも、楽しかった、と言える学生生活で良かったなと思った。

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