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山の修理屋④

《山の部品管理》

 洗濯機の場合は翌日だったのと、余り日を置くのもよろしくないだろうと思い、翌々日の夜に電子レンジの回収に行った。
 同じような製品の一番手前に積まれていたが、その日は客が数名来ており、私の電子レンジを手に取る痩せた中年男性がいた。そしてなかなかそれを戻そうとしなかった。

 平屋の窓から、スーさんが手を振っており、近づくと、あなたの電子レンジはこちらですよと話し、裏口から中に入った。先ほど積まれたものと同じもので、ちょっとたまにベーシックな直し方をしたかったので、基盤を取り換えずに直したという話だった。

 お母さんは、私を息子の大学時代の知り合いと勘違いしており、息子の方も、母親の勘違いを聞いて、私が大学の関係者だと誤解していた。
 もう二年も大学へは行っていないし、この身体だと向こうも面倒がっているし、要はバリアフリーには金がかかるってことですね、と器用に椅子から椅子に飛び移って私の電子レンジを持ち上げた。

***

 彼は博士課程まで行った段階で、小児麻痺が悪化したらしく、杖ではどうにもならず車いすになってから、自宅から大学に行くまでの様々な困難を乗り越えることができず、病気が良好になるまで休学しているそうだった。
 この近辺のバスはバリアフリーではなく、大学に行っても構内の一部しかそうした設備は整っておらず、講師になる手前だったので、学費がかかるということで断念したとのことだった。

 子供の頃から父親の仕事を手伝っており、今はもっぱらコンピュータ基盤担当とのことだった。私が大学関係者ではないことを知ると、逆に話しやすくなったのか、パソコンに接続された数台のモニターに同時進行で修理している機器の一覧と修理スケジュールと直し方の専門用語がちりばめられた大きな表を映してくれた。

 彼に山の引出しの話をしたくてたまらなかった。しかし、もしかして修理屋の親父さんの秘密かもしれなかった。しかし、モニターの片隅に大雨注意報が出ていたのもあり、山が近いことの危険についての話を振ってみた。

***

 彼は知っていた。むしろ、彼がそれを設計していた。窓際に積まれたドローンが、必要な基盤やチップを運んでくる仕組みであることを教えてくれた。そういうことだったのかと腑に落ちた。

 どでかいトタン屋根の乱雑な工場内では、ドローンが運ぶべき部品を指示することが難しく、全ての部品の正確な置き場との紐づけが必要だった。それを山の引出しは実現していた。

 実際にこんな風にねと、彼はパソコン上で何か操作すると、夜中にもかかわらず1台の小さなドローンが飛び立ち、ものの数分で小さな部品をカバー内に入れて戻ってきた。
 在庫管理のソフトはリアルタイムで変化のあった部品の数を点滅させ、引出しの映像とともに部品置き場の論理図が映しだされた。

 しかし、なぜそういう精密機械を扱うものが山の引出しという砂埃や雨にもさらされるところにしまわれているのか疑問だった。凄い仕組みを実演してもらった遠慮もあり、埃や雨とか、と私が言いそびれると、それが一番難問で、それが一番乗り越えねばならない条件だったんですよ、といってスーさんは明るく笑った。

 夏の夜風が山の湿った匂いを運ぶと、見せてもらった一連の出来事が遠い国の映画のワンシーンに思えた。
 モニターでは大雨注意報が繰り返されたが、災害については、十分な準備をしているといって、それ以上は口にしなかった。
彼の病気では逃げ遅れる危険もあり、何か諦念のようにも聞こえた。

***

 会社の後輩がスーさんと同じ大学出身だったで、スーさんのことを知っているか聞いてみた。すると、スーさんは大学では有名だったらしく、さらに教授に論文盗用されたという噂があることを教えてくれた。
 スーさんが大学に来なくなってから、彼を教えていた教授が共同研究とは言いつつ、学会の発表で徐々に自身を中心にプロモートし、スーさんの核心的な理論からスーさんの名前が語られなくなってきているという話だった。

 真偽はともかく、もはやネットの時代なので、いくらでも反論できそうだったが、スーさんなら、そういうことはどうでもよくなっているんだろうなと思った。

 後輩はスーさんが小児麻痺で自宅療養していることも知らず、何かの事情で突然姿を消して、という話を続けていた。


【山の修理屋】

山の修理屋①《修理屋との出会い》
山の修理屋②《山の引出し》
山の修理屋③《修理屋の息子》
山の修理屋④《山の部品管理》 ←今ここ
山の修理屋⑤《嵐の日》
山の修理屋⑥《不在の家》
山の修理屋⑦《山への誘導》
山の修理屋⑧《山の中へ》
山の修理屋⑨《いつもの暮らしへ》

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