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私が理科教員になるまで(1)〜化学にハマった高校時代に至るまで〜

高校教員18年目の今、なぜ私が理科教員になろうとしたのか、改めて振り返っている。
今回はその経緯をつらつらと。

ルーツは「聖闘士星矢」だった?

私が小学生の頃、聖闘士星矢(セイントセイヤ)という漫画・アニメにハマっていた。
聖闘士星矢では、星座をモチーフにした「聖衣(クロス)」という鎧を着て、いろいろな戦いが行われていた。
漫画も全部呼んだし、フィギュアもたくさん買った。
その中に特に、キグナス(白鳥座)の氷河というキャラクターが好きだった。
氷河は「ダイヤモンドダスト」・「オーロラサンダーアタック」・「オーロラエクスキューション」といった必殺技をもっていた。
(上のイラストはこれらの技を意識して掲載)
これらはすべて氷を使った闘技だが、この闘技の根本は「原子の動きを止める」というものだった。
私自身も記憶が定かではないが、それから「原子」とはどういうものか気になっていたのだろうか?

「もしも原子が見えたなら」

それから小学校5年生の頃だったか、理科の授業の一環として特別に「もしも原子がみえたなら」というテキストで、原子についていろいろ学んできた。
あの頃に「原子」や「分子」のことを知った。
小・中学生の頃はずっと理科は苦手だったが、化学の分野は好きだった。
実験も楽しかったし。
それでも、このテキストが化学に興味をもった大きなきっかけだったのかもしれない。

理系に進んだ高校時代

実は私、戦国時代の歴史が好きで、ずっと歴史の研究をやりたいと思っていた。
それで、国公立の大学に入り、歴史の面白さを伝えられる仕事(教員など)に就こうと考えていた。
ところが高1のとき、親しい間柄の担任(数学科)と進路の話をしている中で、担任から言われたこと。

「国公立目指すなら理系クラスに行け」

へ?(@▽@;)
あのー、理系科目、そんなに自信ないんすけど・・・

と思いつつも、そこからいろいろ考え、結局理系クラスに進んだ。
決め手は「化学」だった。
当時の私の高校では文系クラスに進むと、化学が選択できなかったが、理系では化学が必修だった。
2年生で躓いても3年生で文系に移ればいいかなどという、軽い気持ちでいた。
ちなみに化学の授業担当は私の中学・高校の先輩に当たり、これまた親しい間柄の先生だったので、授業は真面目に臨んだ・・・はず。
授業内容については当時あまり理解できず、何となく説明を聞き流していたことが多かった気がする。

本当に化学にハマったきっかけ

それでも私が化学=面白いと思ったのは、酸化・還元という単元を学んでいた時だった。
ある日のこと。
担当の先生から、酸化・還元の化学反応式を完成させてこいという宿題が出た。
授業で当てられかもしれないという恐怖心から、必死こいて取り組んだ。
この酸化・還元という反応は非常に複雑なものが多い。
それでも、この反応式を完成させたとき、ものすごい達成感があった。
今思うと、この経験から高校化学の面白さを感じ、真剣に学ぼうとやる気になっていた。
(図のような過程で、化学反応式を作りますが、お分かりにならなければ流してください)

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ちなみに高校化学では、酸化=電子をもらうこと、還元=電子を放出することという定義がされている。
また、酸素のように相手を酸化させる物質を酸化剤といい、ビタミンCみたいに酸化を防止し、相手を還元させる物質を還元剤という。
まず、酸化剤での反応、還元剤での反応を分けて、電子を含めた反応式(=半反応式)というものを表す。
この2つの式を組み合わせて、完全な化学反応式ができたときに、まるでパズルを完成させたような快感があった。
(現役の高校生の時は、酸と塩基の反応&酸化・還元の反応については理解していたが、高校の教員になって初めて理解できたものがほとんどだったけどね。)

印象に残った世界史の夏期講習

これとは別に、高校で世界史を学んだことが、30代半ばからの私にじわじわと影響を及ぼしているので、ちょいとご紹介。

高1の頃は政治・経済と倫理を学んでいたが、担当は厳しい先生だった。
(ちなみにこの先生は元自衛隊員)
居眠りしようものならブン殴られかもしれないという恐怖心をもって授業に臨んだ。
しかもよりによって、当時の私は社会科の係だった。
毎回の授業前に職員室へ行き、先生から授業プリントをもらい、配る仕事と、今までの授業の進捗状況について先生と確認・報告する仕事があった。
まさに芸能人のマネージャー・付き人みたいなもの。
ただその先生は世界史がご専門で、授業ではよく世界史の話題と絡めて説明をされていたこともあり、その奥深さに引き込まれた。
職員室に行くと、この先生はいつも熱心に学ばれ、緻密な準備をされていた。
そりゃ厳しい姿勢ではあるけど、深みのある授業をされるわけだわ。

高2の頃は世界史を学んでいたが、担当の先生と反りが合わなかったこともあり、先程の先生にいろいろと相談した。
厳しい先生だったと先程は綴ったものの、面倒見のいい先生で、私のこともずっと気にかけていただいていたようで。
ありがたかった。
それでもって、この先生が夏休みに講習をされるということで、私も参加した。
そうしたらビックリ。
この先生の授業では、毎回論述トレーニングをするなど、普段の授業ではすごいことをされていた。
講習での授業内容の奥深さも変わらず、特に社会経済史や思想史については詳しく説明された。
この経験から、私は世界史の方にも関心が向いていた。
40代になった今の私は、化学を歴史的に捉えることに興味があるが、この先生の影響をかなり受けていたからだと思う。

とりあえずここまでで一息

理科教員になるまでというタイトルではあるものの、高校時代の先生との思い出話ばかりになってしまった。
確かに最初のきっかけは聖闘士星矢や「もしも原子が見えたなら」という本がきっかけだった(だろう)。
でも、私が今まで理科の教員を務めてきたのには、こうした先生方との出会いが大きかったのではないかと、今になって思う。

3年間担任としてお世話になり、授業で毎回行われる小テストで鍛えていただいた数学の先生

親しみがあり、アイディアマンで頭のキレる化学の先生
(後に教育実習の指導をしていただいた)

いつも熱心に学ばれ、深みのある授業をされた社会の先生

この他にも、文章の書き方について徹底的に教えていただいた国語の先生もいらっしゃるが、この方々にお世話になったことで今の私がある。

ここから先の話は別の記事にて。
長文ながらもお読みいただきありがとうございます。

理科教育力向上ラボ
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