見出し画像

職場のあいさつは必要なのか?

コンドーム使わない男は、あいさつできない男と一緒ですよ

カリスマAV男優の加藤鷹の名言だ。自分の快楽のためにコンドームを付けない男性に対して、人として最低だといっている。AV男優の誠実なことばには女性を中心に賞賛が集まっている。多くの共感を呼んだのだ。そして共感を呼んだということは、つまり「挨拶しない=コンドームしない最低男」と多くの人が考えていると言える。

挨拶は人として基本的な行為とされ、幼いころから大人になるまでに、いかに挨拶が重要か教え込まれた。挨拶をすれば、お互い気分がよくなる。親交を深められる。だからみんなで挨拶をしよう!と。

ただ実際、挨拶していない人は少なくない。特に難しいのが、顔は知ってるけど1回も話したことのない人だ。「自分は相手を知っているけど、たぶん相手は知らないだろうな……」と思える人だ。知らない人から挨拶されたと怪訝な顔をされるのが嫌で、だいたい相手の様子をうかがってから挨拶をするか、スマホでも見て気づかないふりをする。相手や場面によって、つい挨拶しない方法へと突き進んでしまう。

あんなに「挨拶はして当然」と言われて育ってきたのに、朝のあいさつにビビッてできないなんてかっこ悪い。挨拶できなかった時には、いつも小さな罪悪感を抱える。

たしかに挨拶を誰に対してもできるのに越したことはないし、挨拶した人から好印象を持たれやすい。周りに自分の顔を覚えてもらいやすくもなる。挨拶は正直いいことづくしだ。だからみな、少しでも明るい道を人々に案内できるよう、「挨拶は絶対必要」と伝えているはずだ。

それでも話すのが苦手な、いわゆるコミュ障にとっては、挨拶はただのストレスを感じるルーティーンでしかない。この人に挨拶をするべきか?相手が自分を知らなかったらどうすればいいのか?? 挨拶する行為自体ではなく、その手前の「挨拶すべきかどうか」が一番難しい。相手が自分を知らなくてもいいやと開き直れればいい。でもそうまでして挨拶をするのは恥ずかしくて、微妙な相手と会った時には会釈なのかよくわからない首の動かし方をしてしまう。もしくはスマホのメールチェックが忙しいふりだ。挨拶を避けようとする。でも大事な挨拶を避けた罪悪感で、小さな苦しみを抱えてしまうのだ。

挨拶が苦手な人を救うのは、挨拶ではない。「まあ挨拶しなくてもいいんじゃない?」と受け入れる周囲の理解と余裕が必要だ。挨拶が正義と考えられるから、できない側が苦しんでしまう。挨拶にも多様性があった方がいい。受験勉強で推薦をやめて一般受験をする人もいるように、コミュ障なりの人間関係の築き方があっていい。挨拶は目的じゃなくて手段なのだから、別に言わなくたっていいのだ。

ちなみにわたしは、ほぼ関わりのない他部署の人や偉い人へのあいさつはいつも迷う。挨拶しなくて済むなら避けたいと思っている私は、よく相手を知らないふり・見ていないふりをしてしまうのだ。

挨拶はもっと自由になれる。いつか加藤鷹が「コンドーム使わない男は、あいさつしてもしなくていいと言えない男ですよ」といってくれれば、もうちょっと生きやすい環境になるかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?