語らないのが作家とか言われた時代もあった
どうでもいい話をフト思い出したのですが、
私は、自分が制作したものを「制作の根幹=なぜ作るのか?」ということ以外は全て語れますが、独立して10年ぐらいはギャラリーやお店の人たちに「にへーさんのように作品を全て説明出来ちゃう人ってなんかつまんないね」なんて良く言われたものです。
ちょっと学習に自負のあるお客さまにも言われたりしましたね。
まあ「自作を語る」ということ自体を自分の芸風として押し切ったので、そのまま「良くしゃべるヤツ」ということで定着してくれて、途中からはあまり言われなくなりましたが。。。
他の作家さんはそんなに自作を解説出来ないよ、
「にへーさんみたいに、自作をなぜそうなのかを全て解説出来ちゃうと謎が無くなっちゃって冷めちゃうよ」
(作家は自作をそんなに解説出来るべきじゃないし解説出来てもするべきじゃないって態度で)
なんていろいろな人たちから言われてましたが、同時に、先に作品を観ていただいてから自作を解説すると、解説されなくてもその通りになっている、全く言われたとおりに出来ている、解説されてさらに深く理解出来た、とも同じ人が言うのです。面白いですね。
それは単純に「作家は語るべきではない」というヘンな刷り込みがあるからです。
繰り返しますが「なぜ作品をつくるのか?」と「作品そのものを語ることは出来ない」ので、どんなに私が喉を嗄らして自作を解説しても、謎は残りますし、その謎の無い作品は無価値なのです。
そういう「作家は語るな」と主張する人たちに私は非常に疑問を持っていました。
はぁ?
作品を”出力”するための仕組みや狙いを説明出来ないヤツなんているの?そんな思いつきのモノを作品と称して発表する無責任なヤツがモノ作ってるの?もちろん【作品そのもの】は制作した人でも解説は不可能だけど(それゆえに作品そのものは謎そのものなのですよそれが創作でしょ)みんな何言ってんだ?
その人間の創作の構造を分からないで作家とか自称しているのか?みんな、創作や美について、深く考えたこと無いのか?みんな美大とか行ったり先生について勉強したんだろ?
と思うも、わたくしはちゃんと忖度して(笑)
「いやあ、みなさんは才能があるから、感覚で出来ちゃうんですよ。でも私は才能も学習も無いから、一つ一つ確認しながら作らなければなりません。だから説明出来るんですよ」
なんて言ってたのです。
イイヤツでしょ。笑
でも、何にしても「新しい創作なら、その解説は必要」なのは当たり前の話なんですよ。
人は知名度があるもの、権威に認定されているもの、知っているもののちょっとアレンジや上級バージョンであることで安心して受け入れます。
なので、本当に新しい作品を世の中に発信するなら「作品を出し続け、それをあらゆる方向から解説し続ける」ことが必要で、それを丁寧に、シツコクシツコクやって、10年以上かかって、やっとそれが世の中に受け入れられ始め、さらにコピーされるようになります。
しかし、コピーされるようになると、それが最初からあった、というふうに認識されてしまう。しかし、それは悲しむべきことではなく、それだけ「公共化された」ということなんですね。
新しいものの公共化って(個性の公共化=文化として社会に定着する)それぐらい忍耐力が必要だし、理解されてもその構造や背景は一般には理解もされないし、尊敬もされませんが、しかしそれが「直接現実的に世の中に影響を与える仕事の醍醐味」なんですよ。
だから、私は生業でこの仕事をしていますが、しかし根幹的には、マンガの「ワンパンマン」みたいに「趣味でやってます」ってところが無いと続けられないですね。笑
費用対効果が悪過ぎるので。。。
コピーする方は自分が最初にやった、と言いますしね。こちらよりも有名なところが。しかし今はWEBの時代なので先手を打っておくとある程度は防げるのは良い時代になりました。
しかし権威も認定も無い状態で、世の中にしっかり痕跡を残す楽しさと喜びは大きいものです。純粋に、自分の力で痕跡を残す、ということですから。
10年ぐらい前から、自作についてちゃんと語る人も増えてきて良いですね。
昔の創作作家はそれぐらいテキトーでも良かったのだ、とも言えます。
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