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”完璧な母親”という幻想

コーチングと出会うまで正直”母親”という職業は自分に向いていないのではないかと思う時が1日に1回はあった。どんな母親でも思うのではないだろうか。

私はとても恵まれた家庭環境で育った。父と母のおかげで大学の授業料まで高額な料金を支払ってもらい、欲しい服や靴はサイズが小さくなったり、季節が変わるとまとめて買ってもらうことができた。父は早朝から満員電車に乗って会社に行き、幼少期は家族で旅行に連れてってもらい、母には美味しい手料理を毎朝毎晩作ってもらった。虐待も、ネグレクトも異常な家族もいない平和な家庭でのんびり屋の二女として育ったのが私だ。経済的に困ったことがなく、欲しいものは手に入ったといえる。

私はこの経験を感謝していた。と同時にこの”完璧”な家庭が自分の中に”完璧な母親像”を築くきっかけとなり、その”完璧な母親像”は後々自分を苦しめることになることに気づくのは30歳を過ぎてからだが。

”母親”という言葉は、女性であればだれでも人生のどこかで向かい合わざるをえない言葉だと思うのは私だけだろうか。子供がいる人は子供がいない人生を想像し、子供がいない人は子供がいる生活を想像する。自分が子供を欲しいかどうかも分かる前に世の中は女性に”子供を産む”という仕事を当然のように強いてくる。あらゆる手法を使って私たち女性の脳みそに”女性は子供を産んで当たり前””子供を産むことの誇らしさ””母の愛”などを巧みな映像やイメージ画像によって我々の脳裏に刷り込んでくるのだ。

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私たちは、産まれてから外部の情報に信じられないほど影響を受けている。親の声、メディアの声、周りの声、先生の声と外部の情報は様々な形で私たちの無意識をじわじわとコントロールし、侵略してくる。他人と関わらないでいられるなら、私たちはもっと自分の内面に基づいた自由で開放された人生を歩めたかもしれない。

私も”母親”という言葉に大きな憧れを抱いていた一人だった。大手の銀行を寿退社し、大手証券会社に勤めるエリートな父親を射止め、ドイツ、アメリカ、オーストラリアで駐在員の妻として異国の地でも日本人の駐在員ママ友をすんなり作り、周囲と溶け込みながら夫の身の回りの世話を全て完璧にこなし、車で娘の習い事の送り迎えをしてくれた。やるしかないという環境がそうさせたといえばそうだが、私からすればとても立派に二人の娘を育てたように見える。私が小学校や中学校や高校から家に帰宅すると必ず母は家にいた。穏やかに新聞を読みながら迎えてくれたり、テレビを見ながら迎えてくれたり、とにかく子供が安心する家庭環境を作ってくれたのだった。私は母の作るご飯をまずいと思ったことがない。テイクアウトの夕食は数回しか記憶がないほど、母の手料理は家族それぞれ一人一人に最低5枚はお皿がおかずに使われるほど、美しい見た目でいつも美味しく、完璧だった。母は父が仕事から帰ってくるとご飯を温め直していた。母は娘たちの前で取り乱した記憶がない。母はいつも穏やかで、不要な外出はして家からいなくなった覚えがない。お酒もたばこも吸わない、体系もスリムで、もちろん結婚生活の中でパートナーを裏切るような行為もしていなかっただろう。

私は小さい頃からこの絵に描いたような温かい完璧な母親を見て育ち、自分の中の女性像を確立させていき、自分も確実に母親のように完璧な妻と完璧な母親になるものだと思っていた。そうなれるものだと思っていた。
ところがどっこい現実は違った。

私の母は26歳で結婚し、4歳年上の姉も26歳で結婚した。自然と自分も20代後半で結婚するものだと思い込んでいた。妄想が趣味で特技だった私はどこからともなく白馬の王子様がジャニーズ事務所から現れて私を永遠に愛してくれるものだと思っていた。26歳までに結婚をしないと女として価値がなくなるとプログラムされていた私は周りの女友達が結婚して幸せそうなSNSの投稿を見るたびに自らの焦りを募らせていった。どこかで私を待っているソウルメイトとの妄想とは裏腹に実際には私にソウルメイトどころか、恋に落ち関係を持つのは妻子持ちか彼女持ちの男性だったのだ。

別の投稿でお話したいと思っているが、結論から言うと私は母と姉より1歳遅れた27歳で待望の結婚を手に入れ、28歳で出産も経験した。にも関わらず私は母のような妻、母親にはなれなかった。女としての価値を下げないためと母親に認められたい、期待に応えたいがために手短に婚活を強行突破し高校時代の同級生を一本釣りし、なんとか結婚までこぎつけ、出産もすんなりこなした。そして理想的なライフスタイルを手に入れたと思った矢先に(端的に言うと)理想と現実の差に愕然とした私は自分をどんどん見失っていき、夜に1人でふらふらと出かける習慣が始まり、酒と煙草に甘え、外で出会う異性と浮気や不倫関係にのめり込んでいくのであった。

私は極度のドラッグやセックス、アルコールの依存症にはなったことがないが、浮気や不倫の習慣を依存症の用語を作るなら、”承認依存症”とでも呼べるのではないだろうか。英語でPersonal Validationという言葉があり”自分の価値を証明してほしい”欲求のことだ。下記の記事でも紹介したが、私の32年の人生の大部分を”劣等感”という他者と比べるツールに振り回されてきた私は自分が見てきたような”完璧な母親”、”完璧な妻”になろうとしていたことが更なる苦痛を生み、自身の自尊心を傷つけ、自分の内面の劣等感をどんどん増やし、不倫や浮気をすることで異性に女としての価値を認めてもらうことによって”承認依存”の欲求を満たしていたのだ。

賢い読者の方なら、他人に認めてもらおうとしている時点で自分のこころを満たすことができないのは分かっているはずだ。残念ながら私は潜在能力の力を知り、コーチングに出会う32歳まで自分の内面を支配していたこの”承認依存症”の症状に気づくことができないでいた。

私が1番言いたいのは、劣等感を持つ気持ちや、承認してほしい欲望を持つことは悪いことではないということ。誰のせいでもないし全く悪くない。間違いを犯した自分を責める必要はどこにもないのだ。何よりも、そこからどう自分が変化していくかが重要なのだ。なぜなら、人間はいつだって、どんな時だって、何歳からだって変われるのだから。変わりたいと心から思った瞬間からその人は違う人生を生きられる。
そして、あなたが今悩んでいる原因、直したい性格、変えたい過去、消したい過去、犯した間違いは全て大切にすべき宝物なのだ。その経験のおかげであなたはユニークな人間になったのだ。本来の魅力に個性が足されたのだと思ってほしい。あなたはとても美味しい美しい料理に例えるなら、今までの傷ついてきた経験、寂しい経験、悲しい経験、悔しい経験は全て料理を美味しくするために、ブレンドされた調味料のようなものなのだ。ほんの数年前は”完璧な女性”が憧れられ、細見の控え目な女性がなんとも輝いて見えたものだ。だが今は違う。今は個性を存分に発揮して自分がありのままでいることが評価される時代になってくれた。これは世界の文化の変化の中で輝かしい変動ではないだろうか。

人の成長において過去は全く意味を持たないに等しい。自分が行きたい未来(ゴール)から今の自分を見ることが最も重要だからだ。

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私は”完璧な母親”はメディアから生まれた幻想だと思っている。
完璧でいる必要はどこにもない。それぞれが自分が思う”自分がなりたい母親”を目指せばいいのだ。母親になりたくないなら、ならなければいい。結婚したくないならしなければいい。白馬の王子が欲しいなら見つけに出かければいい。
本来、人間はみな完璧な姿で産まれてきているのではないかと私は思っている。それが、外部の声や自分ではコントロールできないものによって自分に厳しく当たってしまうのではないかと。

私は現在夫と離婚に向けて毎日を過ごしている。3歳の息子がいるがゴールに到達するためには越えなければいけない壁なのだ。この道のりについてもまたエッセイを書きたいと思う。

Love, Yvonne

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