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僕はLGBTQの当事者。Tであるトランスジェンダー。女から男に戸籍を変えて生きている。仕事は地元名古屋で同じLGBTQの子を主に雇用したBAR「Venusビーナス」と「Wダブル」の2店舗を経営している。

性別違和を打ち明けられなかった存在

物心ついた時には、すでに気持ちは男だった。通っていた幼稚園の女の先生が初恋だった。
服も二個上の姉が好んで着ていたフリフリの洋服のお古は着たくなかった。
男っぽいものを好んで着ていた。

しかし気持ちとは裏腹に周りは鈴木家の次女「英理子」として扱う。
心とは違う、自分は女なんだという事は自覚していた。

心と体が違う。女の子の事を男として好きな事は、幼いながらにもそれは「言ってはいけないこと」だと思った。

そこから小学校、中学校と当たり前に過ぎていく義務教育。上に上がれば上がるほどに性別違和も強くなるが、と同時に誰にも言えないことだという罪悪感、不安感も強くなっていった。

消えてしまおう

いつからか「逃げ場」をそこに求めていた。
大人になったら誰にも言わずに小学生の頃にお正月TVで見た東京歌舞伎町のオナベバーで働こう。
その選択肢だけが当時の僕の生きる希望だった。

それほどまでに親にカミングアウトして生きていくという選択肢はなかった。
1980年生まれ、当時は令和の今ほどの理解とLGBTQなんていう言葉もなかった時代。
事実を伝えて悲しませたくないが大前提だったが、大正生まれの祖父母、厳格な父、専業主婦の母はとてもやさしかったが事実を知ったら家族が壊れてしまう

漠然とそんな気がしていた。そもそも。自分の心と体が違っているという事実を打ち明ける勇気が僕にはなかった。

心だけが違うだけだから、家族から見たら普通に女の英理子。まさか自分の子供にそんな障害が起きている事なんて予想もしていないがゆえ、僕の悩みには誰も気付いてくれない。
自分もいっぱいいっぱいで、わかってくれない家族との温度差は増えていくばかりだった。
それに耐えられなくなった時僕は壊れた。
家庭内暴力に家出、高校中退。

この頃の僕に家族は理由もわからないがゆえに頭を抱えていた。

こんな雑に生きた思春期。
その後
辿り着いた水商売という仕事に親はまた心配することになる。

今思う家族と居た時間

23歳の時、女で居ることに限界を感じた僕は当時の彼女に同席してもらう形で、意を決して親にカミングアウトをした。
その後、性同一性障害の治療に向かい心と体の性が近くなるにつれて、僕の心は安定していった。

物心ついてから、ずっと英理子でいることに苦しんでいたけど、この頃からやっと本来の自分になれた!そんな気がした。

自分の心が落ち着いてやっと、家族の気持ちに目を向けることが出来た。
しかしそれは、だいぶ時間が経ってしまっていた。

性別違和を抱えていっぱいいっぱいだった僕は、帰れば誰かがいる家。
温かい出来立てのご飯があって、お風呂が沸いていて、ふかふかの布団で寝る。そんなありがたい事が当たり前で、「そんなこと」だと思っていた。

未熟すぎた僕は、自分の幸せは誰かのおかげで成り立っているということに気付くことが出来なかった。

家族がいつまでも元気で笑顔でいつもの場所に居てくれることがどれだけありがたかったか。なんで気付かなかったんだろう。

今になって後悔ばかり。

当たり前なんてない。喉元を過ぎると忘れてしまうけど、忘れているという事自体も幸せだということ。
たまにでも思い出してほしい。
今の生活が当たり前じゃなくすごく奇跡的で幸せな事だということを。

そして家族の代わりはいないという事も。

どうか今、どんな悩みを抱えていたとしても僕のような後悔をしないように願う。

今の穏やかな毎日は当たり前に明日もあることじゃない。

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