美術科目とアート思考の関係性について
美術はその名の通り「術」にフォーカスした分野だ。何か新しい概念をインストールする時は「理論」と「技術」(術)と「歴史」の三方向からアプローチすることが大切であると考えているのだが、日本の学校教育での教科名は未だ、
美の術となっている。
「歴史は美術史があるけど、アートにおける理論って何なんだ。」
という疑問が湧いた時、その流派は2つに別れる。
1つ目は「美学」派閥、
2つ目は「アート思考」派閥
である。
1. 「美学」派とは
一般的に美術の理論教育としてあげられるものである。文字通り哲学的な側面から美術に関しての考察を行った先人の話をしたり、美術のルネサンス期や、野獣派、キュビズム等の変遷の話を美術の理論とする派閥である。
私は美学派を美術理論とすることには些か疑問がある。例として国語の体系と比較してみよう。
国語は、
作文(実技)+[文学(知識)+文学史(歴史)]
美術は、
制作(実技)+[美学(知識)+美術史(歴史)]
国語も美術も実技の学問的インプットと感性を中庸しているため等しく、比較することが出来る。だが、知識は違う。
長いので一部抜粋するが、
文学とは、「文字や言葉を用いて創作される文化的な表現の形式」であり、美学とは、「美の哲学的な研究や理論」なのだ。まるで性質が違う。また、美学分野は文学や美術史に比べて少なくとも日本では知名度が低い。そのため、美術の理論として、美術史が取り上げられ講義が行われることが頻発している。
2.「アート思考」派とは
これは主に、文部科学省が発行している小学校と中学校の学習指導要領美術編、図工科編を基軸とした派閥である。
一見、抽象的なことをただそれっぽく陳列しているだけのように見えるかもしれないが、ここでフォーカスしたいのは美学派との大きな違いが知識を蓄えることや感覚を科学的に分析したり、哲学的に美しさとは何かを考えることを推奨しているのではなく、見方や感じ方、感性。技術や創造性の向上を目的としているという点だ。
美術の世界では科学的に説明できないことを多く取り扱う。表現、創造のための技術は科学的な側面を持つが、作品制作のビックバンとなる閃き、各人の感性から発達するアイデアは、その感性や閃きの中にある論理や裏付けを説明することは極めて困難であることが多い。説明する必要があるかどうかは本筋からそれるのでここでは論じない。
以上から私は、
「美学」は科学的側面から観察した美術世界の一面に過ぎず、美術の世界の住人であるアーティストが提唱する「アート思考」こそが美術における理論なのではないだろうか。と考える。
そして、
美術に課程学習理論が加わった時、日本での「美術」という概念は「アート」へと変遷していくのである。それはさながら「体育」という言葉が「スポーツ」へと変遷していくように。
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