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ちいかわやメイドアンアビスから考察する現代社会

1、はじめに


イラストレーターであられるナガノさんが描くキャラクター

その名前は「ちいかわ」。

最近若い女性を中心に人気を集めている。

かくいう私もその魅力に興味を抱かずにはいられない。

「小さくてかわいいやつ」の略であるちいかわは、Twitterで漫画が連載されています。

今やちいかわのツイートはキン〇アンドプリンスの出演情報に負けるとも劣らない勢いで拡散される。

またここで次に紹介するのは、これも飛ぶ鳥を落とす勢いの人気を博すアニメ「メイドアンアビス」である。


「引用」

「メイドインアビス」は、つくしあきひとさんによるダークファンタジー漫画である。巨大な縦穴「アビス」に立ち向かう、少年少女たちの冒険物語が描かれている。

アンパ〇マンやガチャ〇ンなどの系統であるかわいいい見た目とは裏腹に、その物語はシリアス展開そのもの。

ヒロインのリコは孤児院で暮らしており、アビスへの憧れが人一倍強い彼女は、母のような偉大な探窟家になることを夢見ていた。ある日の探窟で、リコは謎の存在に生命の危機を救われる。その何者かが放った熱線の跡を辿ると、そこには人間の少年そっくりのロボットが倒れていた。

リコはロボットにレグという名前を付ける。そして、孤児院の大人達の目を欺きながら、共に過ごすようになる。 レグが孤児院に入って2カ月が経つ頃、リコの母親であるライザの白笛と封書が地上に上がってくる。封書には、誰も見たことがない深層の生物の情報と「奈落の底で待つ」と書かれた紙が同封されており、その中にはレグに似たロボットのような絵も描かれていた。

ライザの封書を読んだ2人は、アビスの深層を目指すこととなる。リコは母親に会うために、レグは自分が何者なのか知るために。

とあらすじはだいたいこんな感じである。

そこで今回のは、かわいい見た目のものからは想像できない、相反するようなグロテスク、スプラッター的なストーリーを展開する創作物が人々の心を掴むのか真剣に考えてみた。

私はその可愛さと残酷性のアンビバレンスに現代社会の一つの側面が投影されていると考える。


2,先行き不透明な社会


高度経済成長は終わり、人口の縮小高齢化により経済成長率は下がっていき、どんどん国力を失っていく島国日本。

またロシアとウクライナの戦争により、物価は上がり、円の価値は下がっていく。

日銀の介入により、円の下落を調整しているように思われるが、場当たり的な対応で根本対策にはなっていない。

そんな社会状況のなか甘く温かみだけしかない物語に共感できなくなっているのではないか???

先ほど1章で紹介した、ちいかわの世界は「弱肉強食」である。ちいかわたちは平和で秩序を保たれた世界にいるのではなく、モンスターなどの捕食者がいる。

それらは見るからにおどろおどろしいものから、「擬態型」と呼ばれる一見可愛らしいものまでさまざまある。

ちいかわたちはいつ捕食されるかわからない世界観の中で、危険に晒されながらモンスターたちの討伐を行っているのである。

また生計を立てるため仕事に励むちいかわだが、気になる労働内容は、草むしりやシール貼り、採取、そして討伐など。

つまり非創造的かつ反復的で機械的な仕事か、命の危険を伴う仕事である。


「引用」

まるで資本家から搾取される私たち労働者の投影である。

これは私の個人的見解だが、マルクスが現代で共産党宣言を執筆するならちいかわを参考文献として引用していてだろう。



「引用」

これは食べ物が見つからず、飢餓状態であるモモンガがちいかわを食べてしまおうというシーンである。

新自由主義かつ競争社会で常にそこには勝者と敗者が存在し、価値観の多元化により個人の自由はある程度保障されたが、自助論が前提で他人との関係が希薄化社会的孤立は増加の一途をたどる。

モモンガがちいかわを食べようとしたほどのことは起きないと思うが、自分の欲求を満たすため他人を利用することなど往々にしてあるのではないか。

自分の優位性を誇示するためにパワハラをする上司、金を儲けたいがためにネットワークビジネスを売ろうとする知人。

読者の中にはそういった被害にあわれたかたもいるのかもしれない。


「引用」

上記の画像はちいかわ族が食べられたらメロンパンがでてくる様子を描いたものである。

なにかの犠牲なしにはなにも得ることは許されないといったところだろうか???


3、サイレントマジョリティー


ちいかわ、メイドアンアビス以外にもその外面、姿容からは想像できない表現をしてきた存在がいる。

そう欅坂46である。


「引用」

従来のアイドルとは違い、明るく無邪気な感じな楽曲とは異なり、社会に対する反骨心や、その他大勢にされたくない個を重視した価値観を重視する歌詞が多くの人の心をひきつけた。

これも一種のアンビバレンスだろう。アイドルという常に笑顔を振りまき、かわいさとあどけなさを前提とした大衆の価値観があったが、秋元康氏は見事にそこの裏をかき社会に対する鬱屈とした気持ちの代弁者として彼女たちを表舞台に押し出した。

そういった両価性、両面性がなぜ人々の心を掴んで離さないのだろう?

2章で社会的な背景があると考察した。

もう日本人は完全なる虚像に心躍ることはないのか??

アイドルという非日常、虚像であるべき存在が、日常、実像の代弁者になってしまったことが、今の日本の経済力、幸福度、孤立などを如実に語っているように思えるのは私だけだろうか??

4、おわりに

筆者はアイドルは日向坂46が好きだ。やっぱり笑顔の子のほうが見ていて元気になる。勘違いしてほしくないのは欅坂46の音楽性は否定していない。
またちいかわ、メイドアンアビスも作品として面白いし、実際問題いまや凄まじい人気なのは周知の事実だ。

ただやはりそこに現代日本の闇が垣間見えると思ったのが今回の個人的考察である。



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