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【読書感想】読書は必ずしなければならないものか?

こんにちは、Yukiです。

今回ご紹介する本は、齋藤孝(著)『読書力』です。

齋藤先生はこれまで、数々の本を出版され、読書に触れたものも多いです。
そのため、齋藤先生の本を一度は読んだことがあるのではないかと思います。

今回はその中でも、今から約20年前に出版されたこちらの本を取り上げたいと思います。

齋藤先生の読書に対する考え方が非常に明確に表れています。
今回は、「読書力とは何か?」「読書に対する考え方」の2つを見ていきたと思います。

本の内容

まずは本のタイトルになっている「読書力」について見ていきましょう。
そのまえに、齋藤先生は「読書力とはこれだ!」と定義しているようで、あまりしていないように僕は感じました。

また、いくつかの要素に分けているので、ここでは僕なりに読書力というのを再構成したいと思います。

読書力には2つの側面があります。①読書習慣②内容理解力です。
1つ目の読書習慣について、次のように述べています。

「読書力がある」ということは、読書習慣があるということでもある。読書が苦にならずに日常で何気なくできる力、これが読書力である。

読書習慣があるか、だけではなくもうひとつ、その人の読書力がどれくらいあるのかを計測する方法を提案しています。それが「読書力検定」を用いた内容理解力のテストです。

私が読書力検定というものを行うとすれば、やり方はこうだ。全員に同じ新書数冊を渡し、三十分程度で要点に線を引いてもらう。読むのが遅い人は、一冊分に線を引くことさえもできないだろう。反対に読書力のある人は、短時間に的確に線を引いていくことができる。(中略)本を読む力のある人から見れば、線の引き方でその人に対する理解度がわかる。あまりにも中心でないところばかりに線が引かれてあれば、さすがに読書力があるとは言えない。

本を読んで、どこに線を引いているのか。それが要点であれば、その人の理解度は高いと見なしてもいい。このように僕は読み取り、内容理解力の側面が読書力にはある、と解釈しました。

ここまで簡単に見てきましたが、本であれば何でも良いかというと、そうではありません。
齋藤先生は、「精神の緊張を伴う読書」と対象の本を限定しています。

「精神の緊張を伴う読書」とは一体どういうことでしょうか。まず、小学生でも読めるあまりにも楽しい読み物は対象外としています。それから推理小説やエンターテイメント系の本も外しています。このことから、分りやすい本、読みやすい本は「精神の緊張を伴う読書」ではないと見なしているのだと思います。

反対に、多少なりとも集中力を使うような本、簡単には理解できないような本を読むこと。大雑把に考えると、そういった本を読むことが「精神の緊張を伴う読書」であると言えるのではないでしょうか。

これらをまとめて僕なりに読書力の定義を示すと次のようになります。

読書力とは、精神の緊張を伴うような本を習慣的に読むことができ、要点をきちんと理解できる力である。

そして、この読書力があるという目安として「文庫百冊・新書五十冊」をあげています。これはおそらく、このくらい読めばある程度の読書習慣も理解力も身についているでしょう、という考え方からきているのだと思います。

以上が読書力についての説明になります。

その上で、齋藤先生は読書はしなければならないものだと主張します。なぜなら、読書を通じて養われる読書力、情報処理能力、コミュニケーション能力が、日本経済の地力となっているからだと言います。

昔の日本人の読書力は高かった。その根拠として、①識字率の高さ②世界名作全集や思想系全集の売れ行きの高さ、この2つをあげています。

しかしながら、現代は読書はしてもしなくても良いものになってしまった。その結果読書力は低下してしまい、日本経済も衰退してしまったと考えているようです。

だからこそ、読書力を今一度復活させれば、日本ももう一度立ち上がれると言います。

読んだ感想

読んだ感想としては正直、「本当にそうなの?」と疑問に思うところが多々ありました。というのも、僕と齋藤先生の読書に対する考え方が真っ向から対立するからです。

齋藤先生は読書を絶対しなければならないと考える傍ら、こうも言います。

私がひどく怒りを覚えるのは、読書をたっぷりとしてきた人間が、読書など別にしなければいけないものでもない、などと言うのを聞いたときだ。こうした無責任な物言いには、腸が煮えくりかえる。

お察しの通り、僕は齋藤先生の怒りの対象の人間です。
僕は読書をするかどうかは個人の自由だと考えています。

それにしても、文章越しでも強烈な怒りが伝わってくる、かなりのご立腹の様子です。あまりにも怒っているので、読んでいていろいろ通り越して笑ってしまいました。

もし僕と齋藤先生が対談したら、ブチ切れのオンパレードというのが容易に想像されます。

確かに読書に対する考え方は異なります。そして、齋藤先生の主張にいくつもツッコミを入れたくなります。

一方で裏を返せば、齋藤先生の読書に対する熱い想いの表れだと思います。
僕もそれは同じで、できるだけ多くの人に読書を楽しんでもらいたいと思っています。

ですので、読んでいて共感する部分、納得する部分、なるほど!と思う部分もたくさんありました。

おそらく、読書をしてもらうためのアプローチの違いから、考え方の違いに繋がっているのだと思います。

考え方は違えど、参考になる部分も多々あったので読んで良かったです。

終りに

この本を読んで読書に対する考え方は、千差万別なんだと改めて感じました。

最近、ネットのまとめサイトを見れば内容はわかるので、本を読む必要はない、という意見を目にしました。

それは、グルメサイトの評価を見て食べた気になっているのと同じで、本当に読んだことにはならない、と思いました。が、確かに読書に対する考えが昔と今では、かなり異なっているのだと思います。

もし「読書はしなければならないものか?」と問われたらどう答えますか?

正解はありません。是非考えてみてください。

ここまで読んでいただきありがとうございました!


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