見出し画像

教育って何がベストか分からない

noteで「無名人インタビュー(有名人だけじゃなく、無名な人にもインタビューをして記事を書く)」というおもしろい企画をされているqbcさんから、対談式インタビュー(というか私が日本の先生からお話が聞けるというありがたい公開レッスン)の機会をいただけました!


↓コチラの記事(私のnoteを読む前にコチラを読んでいただくと、今回のnoteの内容がより分かりやすくなると思います!)


今回は、この対談を振り返ってみて思ったことを書いていこうと思う。

端的に言うと、「教育って何がベストなんだろう、ベストってないんじゃないか」ということ。


私はドミニカ共和国に青年海外協力隊として赴任するまで、教育にほとんど興味がなかった。

職種は一応「環境教育」なのだけれど、「教育」よりも「環境」に興味があった感じ。


・・・なんなら、私は日本の教育に窮屈さを感じていた。ヘアゴムの色や靴下の長さを指定する日本の校則や、やたら集団行動をすることとか。

たぶん、私と同じように日本の教育に何かしら物申したい人って世の中にいっぱいいると思う。教育はみんな受けるものだから、みんながそれぞれの意見を持ちやすい。



でも、ドミニカ共和国の小学校に入って活動していたとき、

「あれ、もしかして日本の教育って実はすごかったのかも?」

と思う瞬間が何度もあった。


日本では、子供たちが授業中に出ていかないし、走り回ったり叫んだりしないし、窓からゴミを投げ捨てない。

国語とか算数とかの教科を教える以前に、日本の教育は規律とか態度とか、「人として大事なこと」を教えていると思う。


ドミニカ共和国に行ったことで、私は教育の影響力を知ることができた。

さらに言えば、「日本の教育ってレベル高い」とすら思った。



でも今回のインタビューを終えたあと、また少し考えが変わった。

「日本の教育ってすごいけれど、ベストではないよな。っていうか教育にベストってあるの?」



日本の教育は態度や規律を子供に教え込む。

規律を守る子供相手だったら先生は授業をしやすいし、学級運営もうまくいく。でも、子供の個性は薄まっていくように感じる(最近よくニュースやTwitterで話題になっているように)。


反対に、ドミニカ共和国の自由奔放な生徒は、先生からしたら授業をしにくいかもしれない。でも、個性が潰されずに済む。


「規律」と「個性」って、どちらも欠けてはいけないものだ。

でも、この2つってけっこう相反するものなんじゃないかな。

バランスをとることが大事なんだろうな。





サポート代は、本代や経験代に使わせていただきます。そして、もっとおもしろい記事が書けるようにします!