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是枝裕和監督の「万引き家族」が、重いテーマながらも普遍的な物語として受け入れられるのはなぜか考えてみた

人は「個人の物語」に飢えている。

抽象化された社会問題より、
「ある個人の物語」にこそ共感したい生き物なのかな、と思う。

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(C)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.


特殊な題材に思えるのに、共感してしまう理由

大好きな是枝裕和監督の映画に思うことだが、是枝監督の作品は、育児放棄(ネグレクト)を描いた「誰も知らない」や、

ワケありだらけの寄せ集め家族が肩を寄せ合い暮らす、社会の隅っこを描いた「万引き家族」だったり、結構闇の深い社会的問題が取り上げられていることが多い。

だが、その映画を観て、モヤモヤが残ったり、いろいろ考えてしまうことはあれど、登場人物に「怒り」を感じることは、滅多にない。

それどころか、自分の身の周りでは起こっていないような出来事なのに、なぜかその登場人物に感情移入をしてしまい、胸がいっぱいになって涙をこぼしてしまう。

どんなにひどいと思われる環境からも、そこにいる「人間」という普遍的なエッセンスを抽出して見せるから、というのが大きいだろう。

それは「親」だったり「子ども」だったり、人としてこの世に生を受けたらだれしも必ず経験する物語。ひどい親だった。も然り、親がいない。も然り、親との確執も然り。「親子」の問題は特に全人類共通のテーマだ。

そしてもう一つ、これらの物語自体が「社会問題」とか「問題提起」としてではなく「ある、一つの家族のストーリー」として撮られているから、というのが大きいと思う。

犯罪かどうかではなく「そうするしかなかった」

是枝監督の作品は、「万引き家族」のような社会問題が混ざったようなテーマのものが多いが、重いテーマでも好きでいられて、さらに読後感がモヤモヤする理由が「誰も悪くないから」だ。

たとえ犯罪に手を染めていても、登場人物全員が今置かれている環境の中で必死で生きているのが伝わってきてしまうのだ。

「盗みは良くない」とか、どこかの青臭い大人が言いそうなことを吹っ飛ばす迫力がある。

お腹が空いていて倒れそうで、その目の前に食べ物があったら、それを取ってしまった。これがないと生きていけないから、そうした。それを本気で「悪」と責められるだろうか。

「万引き家族」では、訳ありすぎる人たちの寄せ集めで構成された「家族」が、万引きを生業にして生活していたりするわけだ。それは当然「窃盗」だし、ネグレクトに遭う女の子を見かねて「家族の一員」として一緒に生活するのは、「誘拐罪」にあたるのだろう。

たとえばワイドショーなら、そういった人物は「加害者」として、「絶対悪」としていいようにほじくられ、好き勝手に過去を暴かれ、なぜか当時の友人とかいう人が顔を隠して音声を変えて「昔からそういうところはあった」なんていい加減な証言をして、世間にボコボコに叩かれるようなキャラクターだ。

だが、それをする側にもいろんな背景があったり、その人自身にも愛嬌のような人間味や、とてつもない弱さ、寂しさを抱えていたりする。

とはいえ、登場人物のあまりの弱さに
「こいつ何やってんだ」と嘆息することもある。

だが結局、一周回って考えると

そうするしかなかった

と思わざるを得なくなり、結局「誰も悪くない」のに、なんだかバッドエンドな感じ。だけど当人たちは少し幸せそう。な展開にモヤモヤするのだ。

世の中的には絶対悪で、された側も大迷惑だとしても、一概にそれを「悪」と断罪できない「何か」が描かれていて、人としてその弱さを自分の中にも持っているから、ついホロリと来てしまう。そんな人間の弱さをうまいことついてくるので、観た後には複雑な気持ちになるのだろう。

「誰も悪くないのに、うまくいかない話」は、とてもモヤモヤする。

戦時中にわたしの母がした「窃盗」は、ほんとうに”悪”なのか?

こう思うのは、わたしの母が戦時中に疎開し、田舎で貧困にあえぎ、飢えて飢えて、さらに疎開者としていじめられて、その中でたくましく生きた話を聞いたからかもしれない。

わたしの母は終戦時に7歳だったが、神戸でB29の空襲を受けた経験があり、家に掘った穴に入り、布団をかぶって震えながら、焼夷弾が当たらないように祈っていたそうだ。空襲警報が明けて外に出ると、隣人が焼け死んでいるのが当たり前。わたしたちには想像できない壮絶な経験をしている。

そして、70年以上前の記憶ながら、疎開先での思い出も毎度のように話す。母を含めた兄弟4人は、遠い親戚の家がある徳島に疎開したものの、疎まれいじめられ、はじきものにされ、食べるものに困って子どもをダシにご近所にお米を「借りに」行かされてていた。

今日食べるコメがないから「借りに」行くのだが、当然返すあてがない。だから、大人が行くと貸してもらえない。ということで、幼い子どもは憐れみをアピールするためにお米を借りに行く役目を担うことになる。

それでも手に入る白米はほんのわずか。お弁当は黒い麦飯の上に薄く白米を置き、「なんちゃって白米弁当」に仕立てるが、当然いじめっ子にバレてお弁当にツバを吐かれる、なんて日常茶飯事だったらしい。それでも4人兄妹の中でもっとも腕っぷしが強い母はへこたれず、身体の弱い弟まで守りながら生き抜いたそうだ。

戦後は、ここ最近のネットのいじめとはまた違う、壮絶な毎日が繰り広げられていたのだ。

そんな母は関西人らしいユーモアを交えて、幼いわたしに何百回と苦労話をした。お母さんに食べさせてあげたくて、美味しそうに熟れた畑のスイカを盗んで持ち主に何度も追いかけられた話や、美味しそうな柿をどうしても食べたくて、柿の木によじ上って持ち主に見つかり石を投げられた話、家の薪を取りに行くため学校を休み、人目を忍んで山に登り薪を集めていたら日が暮れて道に迷い、二宮金次郎みたいに薪を背負ったまま転がり落ちたらどこかに着くだろう、と本気で転がり落ちた話、ともはや武勇伝を超えたとんでもない話が飛び出した。

たとえばそれを「それは窃盗だよ!」と咎めたところで、何になるのだろうか。その境遇で盗んだスイカは「窃盗品」なのだろうか。

わたしは昔の母が、自分のお母さんに食べさせてあげたいと願ってスイカを盗んだ行為を「窃盗罪です」とひとくくりにしたくない。もちろん盗みは良くないのだろうけど、そこに置かれている境遇、その感情を想うと、胸がいっぱいになってしまう。

もう戦争体験者も少ない世の中だ。わたしのように戦時中の話を体験者から直接聞いたことがある人は多くはないだろう。

けれど、是枝監督の作品を観ると、わたしが母の話を聞いた時のように

「それは簡単に”悪”といえるのだろうか?」

という気持ちにさせられる人が多いのではないだろうか。

是枝監督の次回作に観る前から鳥肌

きっとこれからも、是枝監督は、いろんな映画で何度もわたしたちにこの問いを投げかけてくるだろう。もちろん「真実」や「海街diary」のようなライトなトーンで来ることもあれば、「誰も知らない」や「万引き家族」のように、ぐっと踏み込んでくることもあるだろう。

だからこそ、是枝監督の映画に惹かれてしまう。

次回作はなんと、韓国の映画俳優と言えばこの人!のソン・ガンホを迎え、「赤ちゃんポスト」を題材にした作品らしい。

観る前から鳥肌が立ってしまうこの作品を楽しみに待とうと思う。

今日もお読みくださりありがとうございました!



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