Yuka

神奈川県出身。大学卒業後初アフリカ大陸、ドはまりしそれから行ったり来たりを繰り返し、2…

Yuka

神奈川県出身。大学卒業後初アフリカ大陸、ドはまりしそれから行ったり来たりを繰り返し、2012年にタンザニアに移住。 全財産を失ったり、強制送還させられそうになったり、逮捕されたりしながらも、しぶとくタンザニアで生きています。 2018年に息子出産。シングルマザーを謳歌中♡

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自己紹介

2012年4月にタンザニアに移住してから、早くも7年が経ちました。 会う人になぜタンザニアに行ったのかという質問を挨拶の次に必ず聞かれるので、ここで今に至るまでの話などを綴っていきたいと思っています。 神奈川県出身。高校時にアメリカウィスコンシン州へ1年留学。大学卒業後にずっと興味を持っていたアフリカへ足を踏み入れます。 ≪大学卒業後の年表≫ 23歳 就職率90パーセントという大学にいながら、就活から逃げ卒業後はそのままバイトでお金を貯めて10月に東アフリカのウガンダ

    • 2023年、心穏やかに過ごせた6つの理由

       12月に入り、2023年も終わりに近づいてきました。 今年は振り返ってみると、気持ちのアップダウンが少なく、1年を通してポジティブで落ち着いた気持ちで過ごせています。  もともと私は気持ちのアップダウンが激しく、周りの人や環境に左右されがちなところがありました。今年はどんなことをやれていて、逆にどんなことを止めていたのか振り返りたいと思います。 1、日曜日・祝日以外はジムに行けた  ジム通いも2年が過ぎましたが倦怠期に陥ることもなく、毎日鍛える部位を決め汗を流せていて

      • 神様から与えられた奉仕(孤児院支援)

         2012年にタンザニアに移住してきた当初、この土地でビジネスで成功し、さくっと金儲けをして、そのお金で貧しい人たちを助けるという野望に燃えていました。だが現実はそんなに甘くなく、全財産を強奪され、日本に帰るお金もなく、飢え死にしそうななか偽装結婚してカジノで働くことになりました。そしてその後も色々なハプニングに見舞われる中で、当初抱いていた野望なんて自分の心の奥底に仕舞い込んでしまっていました。  それでも、ハプニングが過ぎ去り、心に平穏が戻ってくるたびに、ここ(タンザニア

        • 食事のありがたさ

           最近、ようやく重たい腰を上げ、自分の食生活を改めることにしました。 昔から食に対して無関心なところがあり、毎日同じものを食べても平気だし、逆に一度美味しいものに巡り合ったらそれだけ食べてられるような感じでした。料理も得意ではないので、息子の食事には気を使っても、自分はすべてを一緒に炒めてドンブリに入れて終わる適当なもので済ませてしまっていました。  でもふと、筋肉がもっと効率的につくように、きちんと献立を考えてみようと思い立ち、献立表を作成!そして週に1回する買い物の際に

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          ピカピカの1年生

           2週間前、息子がグレード1(日本でいう小学校1年生)に上がりました。 シングルマザー生活ももうすぐ4年、どんどんと母として強くなっていく自分を感じながらも、小学校選びに少しの恐怖と面倒臭さを感じて、先延ばしにしていました。  最初に行きだした幼稚園はお受験幼稚園みたいなところがあり、「これできないとビッグスクールに行けないよ!」と事あるごとに言われていたようで、息子は全部できるようになったし、はやく小学校へ進みたいという気持ちが芽生えたようでした。  その後移った幼稚園は、

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          一回忌

           自分の記録用に。  今日、7月10日は大切な人の一回忌でした。 彼の訃報をオフィスで知り、嗚咽をもらして号泣した日からもう1年経つというのが、信じられないくらいあっという間でもあり、遠い昔のようでもあります。  亡くなってから、奇跡のような繋がりで家に招かれ、家族と会うことができ、これまた奇跡のような巡りあわせで、生前の彼の気持ちを知りました。 イスラム教の決まりで、40日間はお墓に女性は近づけないということを知り、その期間を待ちお墓参りに行き、それから数か月に1回くらい

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          慌ただしい日々の中での学び

           今週はとても慌ただしい一週間でした。 そんな中にも学びがあったので、備忘録のために記します。    まずは月曜日。  スクールから戻ってきた息子と電話で話したら、「ママ、今日ねスクールでなんか飲み込んで、痛くて泣いたんだ!でも水を沢山飲んだし、もう大丈夫!」と青ざめるような話をさらっとされて、固まる私。 お手伝いさんに、それがどんなものだったのか聞いて貰おうとするも、「丸い」以外の情報が出てこない。スクールに連絡するも、結局誰も何を飲み込んだのか分からず。  一旦は様子を見

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          友人の洗礼旅行へ

           またまた良い機会に恵まれて、今年2回目の旅行に出かけてきました。 数か月前に、友人が「洗礼を受けてクリスチャンになる、そして洗礼はできればザンジバル島のきれいな海でしたい!」と言っている話を教会のブラザーから聞き、こんなめでたいことに同行しない訳にはいかないと、即行で参加を決めました。 (そして、これまた今年やりたいことリストに書いていた息子とザンジバル島へ旅行!という夢が叶うことに!神様ハレルヤ!)  とはいえ当初、友人の気持ちが変わってやっぱり洗礼いいや!とか言い出し

          友人の洗礼旅行へ

          3年半ぶりの旅行へ

           気付けば3年半ほど、住んでいるダルエスサラームから出ることなく過ごしていました。もともと旅をするのは好きな性分なのだけれど、息子が生まれシングルになり、子連れで遠出するのがすっかり億劫になってしまっていました。  今年の始めに息子と通える教会がようやく見つかり、毎週通うようになりました。ある日曜日の礼拝後に、何人かの教会のメンバーから、イースターの旅行に一緒に来ないかと声をかけてもらいました。行先は今住んでいるダルエスサラームから約250km離れたルショトという場所でした

          3年半ぶりの旅行へ

          祈るということ

           私は、小中高とクリスチャンスクールに通っていました。 だから、小学校のときから毎日朝・食事の前・下校前に祈る時間がありました。日直になると皆の前でお祈りをしなくてはいけなかったりで、緊張したものでした。ただ当時は、常に義務的にお祈りをしていたように思います。 ミスをしないようになど頭で考える形式的なお祈りで、心から祈っていたことなんてあったのだろうかと正直思います。  競争社会の中、一番であることだけが素晴らしいと思っていたし、自分の心を労り感じることなんて必要ないと本気

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          怒りをコントロールする

           「怒りをコントロールする」、よく息子と話すことの1つだ。  息子に対してでもあるし、自分自身に対しても言えることだからだ。 基本的に、私は子どもに対して声をあげ怒る必要はないと思っていて、駄目なことであればそれを説明するべきだと思っている。  声をあげて怒鳴ったところで、萎縮するだけで学べることなんてないからだ。もちろん、気持ちが萎縮して、親の言うことを聞く表面上のいい子は出来上がると思うが、それは最終的には解決にならないと思っている。  とはいえ、言うのは簡単で、お調

          怒りをコントロールする

          愛を伝えることで循環させる

           日曜日は、息子と唯一一緒に過ごせる日なのだが、一週間分の買い出しもしなくてはいけないし、海に行って自分自身をチャージしたいし、教会にも行ってと慌ただしい。  そんな合間をぬって洗濯をしていたら、リビングで映画を見ていた息子が大声で「ママー!」と呼ぶ声が聞こえてきた。洗濯機がないので、手洗いをしており、すぐに駆けつけられる状態ではない。「ちょっと待っててー!」と叫んだら、少したって洗濯をしているところまで来て、「I love you!!!」と叫んで戻っていった。  こういうこ

          愛を伝えることで循環させる

          すべての起こる出来事には意味がある

           ようやく、この歳にして「すべての起こる出来事には意味がある」ということを頭でも心でも理解できるようになった。  思えば、比較的小さいときから、自分の望み通りにならない人生を嘆いて生きていた気がする。だからと言って、決して大変な幼少期を過ごしたわけではなく、しっかりとした教育を受けさせてもらい、高校時には留学までさせてもらい、どちらかというと恵まれていたのにだ。  あの頃の私は、他人からの注目が欲しく、頑張っている自分を理解し認めてもらおうと必死だった。  そしてその傾向

          すべての起こる出来事には意味がある

          幸せの素

           ずっと綴っていたアフリカ大陸に上陸してからの自分史「アフリカと私」が一旦終わりをむかえ、自分の今心にあることを綴るようになった。  そして「やはり言葉を綴ることが純粋に楽しい!」と気付くことができた。  少し生活が落ち着き、自分の心に平穏がおとずれ、自分がどんなときに幸せになるのかを敏感に感じ取れるようになってきたのだと思う。  最近、自分が幸せに感じる好きなことを羅列してみようと思う。 やはり書くこと、言葉を綴ることが好き。 読むこと、そしてそれに対して自分の考えを

          幸せの素

          与えることができる幸せ

           アフリカ大陸に初上陸したころ、私は沢山の怒りを感じていた。 タンザニアに来たころの私も、また常に怒りで震えていたように思う。  何に怒りを感じていたのか?簡単に言ってしまえば、頼られること、求められること、弱肉強食の世界にだった。  私が初めてアフリカの地を踏んだのは、大学を卒業して間もなくだった。大学を卒業し、就職をせずに続けたアルバイトでやっとの思いで貯めたお金でやって来たのだった。  外国人が住んでいないウガンダのど田舎に、急に来た日本人。  噂を聞きつけた人たちが

          与えることができる幸せ

          どんな状況でも愛を受け取ると決める

           仕事中に息子のスクールから電話があると、いつでもドキッとしてしまう。  昨日、急に電話がなった。スクリーンには学校の名前の表示。 やっていたことを止めて、即行で電話に出た。 「頭を打って、かなり出血していること。傷口が深いので縫う必要がありそうなこと。これから病院に行くから、病院で待ち合わせましょう。」と早口で伝えられる。バックでは息子が大泣きする声が聞こえていた。    やっていた仕事をストップし、スタッフに事情を伝え、バックだけ持ち急いで病院に向かった。二週間前にも、目

          どんな状況でも愛を受け取ると決める