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慌ただしい日々の中での学び

 今週はとても慌ただしい一週間でした。
そんな中にも学びがあったので、備忘録のために記します。
 
 まずは月曜日。
 スクールから戻ってきた息子と電話で話したら、「ママ、今日ねスクールでなんか飲み込んで、痛くて泣いたんだ!でも水を沢山飲んだし、もう大丈夫!」と青ざめるような話をさらっとされて、固まる私。
お手伝いさんに、それがどんなものだったのか聞いて貰おうとするも、「丸い」以外の情報が出てこない。スクールに連絡するも、結局誰も何を飲み込んだのか分からず。
 一旦は様子を見ようと言ったものの、飲み込んだものが何か分からないので、どんどん不安になり、家に帰って直接聞いてみることにした。そうして帰路についた車内で、お手伝いさんより、またお腹が痛いと言い始めたと電話をもらい、不安で泣きながら教会のブラザーに事情を話し、「今、私運転していて祈れないから、祈ってください!」と頼む。
 息子とお手伝いさんと病院で合流して、お医者さんと私で息子に飲み込んだものが何なのか、辛抱強く聞き続けた。そして、その詳細をスクールの先生に電話で伝え、写真を送ってもらい、飲み込んだものが直径1センチ位のLEGOのブロックであることが判明。やっとホッとしたのだった!

 翌日、火曜日。
 スクールに朝送って行って、帰ろうとすると。ママに帰って欲しくないと大泣きをされ、仕事に行かないといけないと説得をするも、1時間ほど愚図られ、私のほうが精神的に参ってしまった。最後は先生何人かが、諭すように連れていってくれた。

 木曜日は祝日だったのだが、スクールがあったので、迎えに行き、お出かけをするも、これ買ってあれ買って攻撃で、若干険悪ムードになってしまう。話をして最後は笑顔で帰宅。

 そして金曜日。
 夏休み前の最後のスクール日だというのに、またママにスクールに残って欲しいと大泣き!一緒に祈るが、効き目なし。火曜日にあんなに話をしたはずなのに、という気持ちも強く私自身に余裕がなかったのもあり、先生に委ね半ば強制的にスクールから退散した。

 ただ1日中、あの対応で良かったのだろうかと自己嫌悪に陥っていた。
こんなときに、一気にシングルマザーの孤独さを感じたりして、ネガティブになり、神様の愛すら忘れてしまう。
 ジムに行って、少しすっきりして帰路につきながら、渋滞にはまってしまった。ワーシップソングを聞き、心の平穏を保ちながら、前の車にぴったりくっついて、強引に右折をしようとしたら、直進するはずのバイクタクシーのお兄ちゃんが止まってくれていた。窓をあけて、手をあげて感謝を示した。そうしたら、お兄ちゃんが大声で、「アサンテ-、ムレンボ!(ありがとう、可愛い子!)」と言ってきた。「アサンテ!」と返しながら、あーこうやって自分が放ったものが、そのまま自分に返ってくるんだ!と気付いた。
 
 聖書にもすべての行動を愛をもってしなさいと書いてあるけれど、息子の話を愛をもって聞けていただろうか。自分が説明したいことだけを並べていただけなんじゃないかと気付いたのだった。

 その反省をもとに、帰宅後じっくり息子の気持ちを聞き、共感と傾聴を息子をお腹の上にのせながらしていたら、安心したのかあっという間に寝息をたてて寝てしまったのだった。

No temptation has overtaken you except what is common to mankind. And God is faithful; he will not let you be tempted beyond what you can bear. But when you are tempted, he will also provide a way out so that you can endure it.

1 Corinthians 10:13

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