自己紹介
2012年4月にタンザニアに移住してから、早くも7年が経ちました。
会う人になぜタンザニアに行ったのかという質問を挨拶の次に必ず聞かれるので、ここで今に至るまでの話などを綴っていきたいと思っています。
神奈川県出身。高校時にアメリカウィスコンシン州へ1年留学。大学卒業後にずっと興味を持っていたアフリカへ足を踏み入れます。
≪大学卒業後の年表≫
23歳 就職率90パーセントという大学にいながら、就活から逃げ卒業後はそのままバイトでお金を貯めて10月に東アフリカのウガンダへ単身飛び立つ。当初2週間の滞在予定であったが、すぐに気に入りフライトを変更。お金がなくなるまで滞在。現地のNPOで植林/学校建築/エイズ患者支援などをする。南京虫/スナノミ/マラリアなど経験。
24歳 ウガンダで独り暮らし。薪を拾って、火を起こして、鶏を絞めて食す生活。たくさん騙されて泣きながらも5月ごろまで滞在。帰国後、すぐにウガンダが恋しくなる。派遣社員とバイトの両方でひたすらお金を貯めた。
25歳 貯めたお金で再度ウガンダへ。陸路でケニア/タンザニア/ザンビア/ボツワナ/ジンバブエを旅行。この一人旅はかなり鍛えられた。ウガンダでエイズ患者の作った紙のネックレスを持ち帰り、日本でのビジネスにつなげる。帰国後は商社で派遣社員として働く。タイ担当となった。また当時付き合っていたひとと婚約。
26歳 派遣切りにあい、次の職場は試用期間後は正社員になるという話で入社。結婚/正社員が決まったら、自分の自由がなくなっていくような気分になり逃げだしたくなる。以前の商社のタイオフィスよりGWに遊びにおいでと言われ一人でタイへ。飲んで暴れて気を失い、翌日一緒に仕事をしようと誘われる。帰って仕事を辞め、婚約破棄しタイへ。
27歳 タイでの仕事は、犯罪でなければ何をビジネスにしてもよいということで、アフリカとのビジネスを模索。1月にジンバブエに出張。アフリカへの想いが再燃し、タイの会社を辞めて単身タンザニアへ乗り込む。出張で行ったウガンダでパスポート以外の全財産を盗まれ、裁判。黒魔術のお世話にも。タンザニアでビザのために偽装結婚。マラリアで死にかける。
28歳 日本に帰るお金もなかったため、カジノで働く。働いていたところ、お客さんとして来ていた日本会社の駐在の方に声をかけてもらい、面接をして採用される。タンザニア人同僚に自分のポジションを取ろうとしていると思われ、イミグレを呼ばれ強制送還されそうになる。強制送還のスタンプをパスポートにおされる一歩手前で助けられる
29歳 今の夫と職場で知り合い結婚
そして去年こちらで長男を出産し、今に至ります。
なかなか波乱万丈の20代のお話をメインに書きたいと思っています。
追記(2024年6月24日)
この自己紹介の記事を書いてから、何年か経ちました。
あれから夫と別居し、そのあと怒涛の嫌がらせや戦いがあり、そしてお別れし、4年半近くシングルマザーとして息子を育てています。
何も分からずにアフリカにそしてタンザニアに飛び込んだ自分が、こうして子育てをしながら生きているのは感慨深いです。
沢山の困難に揉まれて、やっと肩の力を抜いて人生を楽しめるようになったかなと感じています。
141話あるストーリーですが、読んでいただけたら嬉しいです。
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