祈るということ

 私は、小中高とクリスチャンスクールに通っていました。
だから、小学校のときから毎日朝・食事の前・下校前に祈る時間がありました。日直になると皆の前でお祈りをしなくてはいけなかったりで、緊張したものでした。ただ当時は、常に義務的にお祈りをしていたように思います。
ミスをしないようになど頭で考える形式的なお祈りで、心から祈っていたことなんてあったのだろうかと正直思います。

 競争社会の中、一番であることだけが素晴らしいと思っていたし、自分の心を労り感じることなんて必要ないと本気で思っていました。なので祈りで、自分の心を表現することなんてありえないし、格好が悪いとさえ決めつけていました。

 大人になり、恋愛を自由にするようになり、今まで逃げていた自分の心の不安定さと嫌と言うほど向き合わされ、自分の心のネガティブさや自信のなさに気付かされ、打ちのめされました。

 自己肯定感をあげる本を片っ端から読んだし、色んなメルマガを読んだり、沢山のことを試しました。メディテーションにも長い間取り組んできました。でも、あまり良いペースがつかめずにいて、瞑想していても意識がいろんなところにいってしまい、5分が永遠のように感じていました。

 今年になり、教会に通うきっかけを貰い、こちらタンザニアで息子とともに毎週教会に通えるようになりました。そしてバイブルクラスに参加することで、聖書を読みお祈りする習慣も生まれました。

 お祈りが前よりも身近に感じるようになってきつつも、まだ頭で考えたり、人のお祈りを聞き、自分のお祈りの下手さを感じたりしていました。

 何週間か前に息子が大怪我をし、頭を縫ったときに、初めて人に私たちのために祈ってくださいとお願いしました。今までであれば絶対にそんなお願いをしなかっただろうけど、不安の中、教会のブラザーにお願いをしてました。その結果、そのことを皆にシェアをしてくれ、翌週の日曜日には教会で、息子に皆が手を置きお祈りしてくれました。

 この出来事があり、少しずつ私の中でのお祈りに対する姿勢が変わってきました。上手くなくても、短くても、言葉に詰まっても、心にある願いや想いを出していいんだなと思えるようになったのです。

 人に頼るのが苦手な私にとって、自分の弱さを認め「私たちのために祈ってください」と言葉に出来たのも大きな成長でした。
 そして、皆が私のために祈ってくださいと言い合える関係が美しいなと日々感じています。

 そして、お祈りと上手く付き合えるようになってきてから、メディテーションともじっくりと向き合えるようになってきています。

For when I am weak, then I am strong.

2 Corinthians 12:10

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