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一回忌

 自分の記録用に。

 今日、7月10日は大切な人の一回忌でした。
彼の訃報をオフィスで知り、嗚咽をもらして号泣した日からもう1年経つというのが、信じられないくらいあっという間でもあり、遠い昔のようでもあります。
 亡くなってから、奇跡のような繋がりで家に招かれ、家族と会うことができ、これまた奇跡のような巡りあわせで、生前の彼の気持ちを知りました。
イスラム教の決まりで、40日間はお墓に女性は近づけないということを知り、その期間を待ちお墓参りに行き、それから数か月に1回くらいのペースで、お墓参りをさせてもらっています。

 悲しみ一色だった気持ちも、日を重ねるごとに出会えた感謝の気持ちも強くなってきて、私をどん底の状態から救ってくれたことを忘れないという意味もこめて感謝の気持ちを伝えに、そして自分自身に絶対後戻りしないという自戒の気持ちを込めて、花を手向けに行っています。

 イスラム教では、お花を手向ける習慣はないようで、彼のお墓にお花が置かれているというのが、彼の家族にとって私が来たという目印になっているようで、連絡をもらったり、共通の友人からお礼を言われたり、そんな関係が続いています。

 7月6日が彼の誕生日だったので、天国での初めての誕生日おめでとうという気持ちを込めて、花を手向けてきました。
そして、今日は義理のお姉さんと1年経ってしまったねと少し話をしました。

 ちょうど昨日読み終えた本に「死」について書かれた箇所があり、「生」において自分を与えることができ、また「死」において自分を与えることができると書かれていました。

もし、私たち人間のもっとも深い願望が、自分を他の人に与えることにあるというのが本当なら、自分の死を最後の贈り物とすることができます。そして、それが無償の贈り物であるとき、その実り豊かな死に出会えることは素晴らしいことです。

「愛されている者の生活」 ヘンリ・ナーウェン著

 これを読んで、涙がこぼれました。
彼と出会えたことによって、私は10年以上固執していた元彼との関係を清算することができました。そして、彼の死によって後戻りは絶対にしないという強い信念が芽生えました。彼との出会いから死まで、全てが本当に贈り物だったなと思います。

 彼と最後にしたハグが本当に力強くて、今でも思い出す度に「頑張れよ、大丈夫だから!」と言われているような気分になります。
もちろんその時には、それが最後になるとはお互い分かっていなかったわけで、それなのに気持ちがこもったハグでした。

 改めて、彼との出会いに感謝します。

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