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自由律俳句(その九)『日々唯不死』

無心如意(無の心を意の如くに)

〇 2023年12月、古い都営住宅をとり壊した後の更地を囲む、冷たい無機質の金属フェンスの下から、たぶん昔の住人が植えていたと思われる、紫の朝顔が花を咲かせていた。

道端に咲く朝顔に 住んでいる人の顔が見えた

朝顔

瓦礫に佇む重機は 古の恐竜のように咆哮している

古いから壊す 新しく作ったものに心は住めない

〇 2023年12月、銀座の「ガスト」で飲み、さらに有楽町ガード下の「やんばるダイナー」で飲む。「ガスト」の店員は二人しかおらず、料理はロボットが運んでくる。支払いも基本はセルフになっている。おそらく中国人らしいカップル客が多く、みな定食を頼んでいる。酒を飲んでいるのは、我々ぐらいしかいない。

 「やんばるダイナー」では、欧米人グループが来店してきた。日本語のみのメニューと長い時間格闘していたが、店員が持ってきたのはオリオンビールのジョッキだった。何をつまみにしたのかはわからない。

無言のロボットに ありがとうと言う人間かな

病院食のような小皿に囲まれ 酒が薬に見えた

手頃な値段の酒とつまみ そこにないのは人の心か

銀座の道は どこか外国の道になっている

ゆし豆腐のつゆは 泡盛よりも胃に染みる

おやじが動く姿に 良い肴と泡盛をまた飲む

ガード下の天井の低さに 居心地良さを見た

やんばるダイナー

客の大声がこだまするのが心地よい ここは居酒屋

蕎麦よりもつゆが〆になる 大酒飲みの終わり方

〇 2023年12月末、また一年が終わる。まだ生きている。まだ死んでいない。

一日の終わりに安堵して やってきた朝はまた不安の始まり

時間が長くなるという おや 気づくともう夕方だ

身体は不健康でも 精神だけは健康なんだ

不思議と乱れない生活時間 ここは自らに課した牢獄だから

生きていることが仕事になっている その侘しさよ

酒が飲めなくなった 飯も食えなくなった そういいながら生きている

〇 2024年1月、年が明け、また一年が続く。定年退職から二回目の正月。仕事は見つけられないが、マンション管理組合理事長としての仕事をする。アマゾンの電子書籍で短編小説集二冊を出版する。

二年は長いか短いか 社会とのつながりが少しだけある

今年の冬は暖かい 私の老後も暖かくなればよい

出版といっても形だけ でも爪痕は残せたか

レストランでインド人と知り合う 縁が切れない輪廻転生

笠智衆は一日が長くなった 私は短いままだ

『東京物語』

〇 2024年1月、伊東温泉に宿泊する。往路熱海に立ち寄り、帰路真鶴に立ち寄る。

富士に見下ろされる 自分の未熟さを味わう

蕎麦屋の老婆 レジを間違うのも味のうちか

蕎麦屋の奥座敷に 昔の人が見えた

法被姿の行列は 呼び込みではない21世紀

間違えて着いた函南 初めて丹那トンネルを見た

丹那トンネルは 堀った人が苦労した分だけ長く感じる

寒風吹く露天風呂の 熱い湯に命を少しもらう

打たせ湯の熱さは 病の重さに比例する

閑散とした居酒屋で飲むという 旅の味わい

みそ汁のアラに 店主の滋味が見えた

宿で食べるカップ麺 私は旅にいる

真鶴の地下道が 異界への近道だとは教えないよ

なんでも売る自販機 これが21世紀の生活

蒸気機関車 昔は東海道で仕事をし 老後は新橋で見世物に

東京に向かう途中の どこまでが旅なのだろう

〇 2024年1月、豊川稲荷と富岡八幡宮へ初詣をする。子供時代にお世話になった、売店の老婆と占いの老婆、そして母方の祖母は既に他界している。

節分近い豊川稲荷 鬼はもうどこにもいない

北風に咲く椿は 昔からそこに咲いている

豊川稲荷のおばあちゃんたちは みなお狐さまになった

氏神様に今年もいただいた 酒が清々しい

魂の曇りが溶けていく 初詣帰り

二階から見える交差点に 昔と変わらぬものを探している

英語の商談を 古びた喫茶店で聞いている懐かしさよ

初詣にケーキを欲張る この死に損ないめが

〇 2024年1月末、考えてみれば今年初の公園散歩。神様と思っている公園の桜の木に挨拶する。日当たりの良い道路に、浮浪者風の老人がにこにこと日向ぼっこしている。

公園の神様に挨拶して ここの新年が明けた

公園の神様

道端で日向ぼっこする老人よ あなたは神様ですか

今年も咲いた桃の花に 生きる力をもらってしまう

桃の花?

落葉の上を鳩が歩く そこに人がいるのか

私の寿命を教えておくれと そこの鳩に問う


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