<閑話休題>『千の顔を持つ英雄』について気になること
TVの「100分で名著」は、いろいろと教わることが多くて楽しいのだが、時々「それはないだろう?」ということがある。今月のジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』は、あまりにもそれが多すぎて見ている途中から唖然としてしまった。それで、そのおかしな点を列記する。
(1)神話について語っているのに対して、そこには英雄しか描かれていないように述べている。神話は第一に神の物語である。そして英雄とは、神と人との中間的な存在(イメージ的に近いのはネフェリム)である。
(2)あたかもキャンベルのみが、ユング心理学を元に神話を研究したとしているが、ユングの友人であるカール・ケレーニイこそ、まさにユング心理学によって神話研究を行った嚆矢かつ泰斗であり、彼に言及しないのは不自然すぎる。そして、ユング心理学の集合的無意識について説明不足だ(もっとも、これをきちんと説明するには、30分は必要だが)。
(3)ハリウッドでは、ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ』を筆頭にして、キャンベルを様々な作品で脚本の参考にしているのは周知のことだが、それを『ロードオブザリングズ(指輪物語)』まで言及するのは明らかに間違いだ。このピーター・ジャクソンによる作品は、英国のJRR・トールキンによる同名のファンタジー小説を映画化したものであり、キャンベルの本から着想を得ていない(そんなことは誰でも知っているが)。そして、トールキンはキャンベルと同等以上に世界の神話を研究し、その成果を小説に昇華させている。従って、本末転倒な説明と言わざるを得ない。
(4)マサイ族の成人通過儀礼を、キャンベルの英雄に関する命題と関連づけているが、マサイ族のものは神話学の対象ではなく文化人類学の対象となるものだ。もし、こうしたことに言及するのであれば、世界各地の神話・伝説・民間伝承の中から紹介するものを取り上げるべきである。従ってこれは牽強付会(牛を紐で縛って無理やりに動かそうとする不合理)と言える。
(5)「呑まれる」ということをキーワードにして、ゲルマン神話のオーディーンなどの例を紹介しているが、旧約聖書『ヨブ記』のヨブが大魚に飲まれる試練は、この概念とは別であり、また「呑まれる」行為のユング心理学的象徴だが、この説明をしていないのは片手落ちである。
<以下、参考として、私がnoteに投稿した、神話学及びユング心理学関係の記事です。>
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