<書評>『メソポタミアの神話』、『シュメール神話集成』
『メソポタミアの神話』 矢島文夫著 ちくま学芸文庫 2020年
『シュメール神話集成』 杉勇及び尾崎亨訳 ちくま学芸文庫 2015年
概説書である『メソポタミアの神話』の方が先に発行されたのかと思ったが、専門書に近い『シュメール神話集成』の方が先に発行されている。つまり、そもそもメソポタミアやシュメールの神話を読もう、または知りたいという人は、そうした分野に特別関心を持つ人に限定される一方、一般の人が教養の類として読むことはまずないから、専門書の需要はあっても概説書は不要だったということだろう。つまりは、メジャーなエジプト神話に比べればかなりマイナーな世界の話になる。
ところが、『メソポタミアの神話』の解説にあるとおり、昨今の大学生はメソポタミア神話の神々の名前を良く知っているという。なぜなら、コンピューターゲームのキャラクターに、世界神話の神々の名前が引用され、そのなかにメソポタミア神話の神々の名前も入っているからだそうだ。だから、より専門的なものが先に出版された後、世の中のコンピューターゲームの流行に影響されて、なぜか一部でメジャーな世界になってしまい、とうとう概説書が出版されることになったということなのだ。
なんでもそうだが、商魂とかポピュリズムとか娯楽の世界は、常にたくましく、そして恐ろしい。
一方、私と言えば、大学生の頃から世界の神話・伝説に関心が高く、カール・ケレーニイの神話学に親しむ傍ら、インド(パンチャタントラ)、ギリシア・ローマ(ギリシア悲劇、ホメーロス作品、ヘロドトスの歴史、転身物語など)、ゲルマン、ケルト、北欧(エッダ)、エジプトなどの各神話や各伝説、さらにキリスト教聖者(殉教者)の物語(ありがたい物語のため、「黄金伝説」と称されている)の文献を少しばかり渉猟してきた。さらに、ジェイムズ・フレイザー『金枝篇』やジュール・ミシュレ等の魔女・魔術・錬金術の解説書に加えて、文化人類学関連の本も様々に読んできた。
そうした中で、最近ヒストリーチャンネルの「古代に宇宙人」シリーズを視聴しているうちに、メソポタミア(シュメール)神話についての教養が不足していることに痛感した。それで、慌て買い求めたのが、この二冊の文庫本であった。敢えて弁解させてもらうが、「世界征服」した気分だった私に、メソポタミア(シュメール)神話についての知識がなぜ不足していたのかという理由は、私が大学生の頃(1970年代後半)には、まだメソポタミア(シュメール)神話について十分な発掘・研究がなされていなかったが、近年になってようやく日本でも啓蒙的な研究成果が出版されるようになったからだ。そして、その「近年」の頃に、私は仕事に忙殺される日々を送っていた。これが私の弁解だ。
一方、日本人にとって中東・アラブ・イスラム世界というものは、石油産地以外には縁がなく、それらを知るための知識も解説もずっと不足していたように思う。その後イランのホメイニ革命やパレスチナの連合赤軍事件などを契機として、歴史よりも政治的に中東を研究・紹介する本が次々と出版されていった。また、TVニュースでも、中東の風景が出てくることが多くなったと思う。さらに、近年のインターネットの発達に伴う「世界の知識の共有化」のおかげもあり、中東関連を学べる機会(手段)が大幅に増えた。
また日本人にとって「西域」と言えば、私が小学生の頃は「シルクロード」や「敦煌」に限定していた一方、この砂漠の世界に対して過大なロマンを感情移入(画家平山郁夫の功罪が浮かぶ)し、また遺跡発掘とか考古学のイメージにそのまま直結していた地域であったように思う。しかし、本当に人類の文明史の起源を探ろうとするのであれば(つまり、遺跡発掘と考古学の王道だ)、中国よりも、インドよりも、エジプトよりも、最も古いメソポタミアに行き着くべきったのだ。そこに行くまでに、日本だけでなく世界もかなりの時間を要してしまった。また、まだまだ未知の領域が沢山残されている。
ところで、本書に掲載された個別の神話について、私の「古代の宇宙人」的見解(発想)を紹介したい。
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〇「古代の宇宙人」説とは?
簡単に説明すれば、長く新石器時代の生活をしていた人類が、紀元前五千年に突然に複雑な精錬を必要とする青銅器や鉄器を「発明」し、さらにピラミッドのような高度な建築物を固い岩石を滑らかに切断して建設し、さらに東西南北の方位のみならず、星座との位置関係まで正確に一致させて作れたのは、紀元前三千年当時の人類が持つ技術から見れば、あまりにも不自然だからだ。しかも高度に加工された岩石によるピラミッド建築は、エジプトのみならず、インド・中国・東南アジア・中南米まで世界中にあるのだから、その世界的な同時性は、古代人の移動可能な距離から見て、どこかが発祥地でありそこから別の土地に伝播したとは考えられないからだ。
そうした諸々の理由を考えてみると、メソポタミア、エジプト、ギリシア、インド、中国、日本、マヤ、アステカ、インカの各神話、そして旧約聖書にも描かれている「神」は、実は宇宙人であり、古代(紀元前五千年及び三千年)に地球に飛来して、人類に対して文明の発展を促すべく様々な技術や科学を教えた。しかし、宇宙人同士の争いもあり、それが「神々の戦い」として神話に記録されている、という理解になる。
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こうした「古代の宇宙人」説の観点から、以下の神話を読み解いてみた。
「イナンナの冥界下り」:
ギリシア神話のデーメーテールとペルセポネーの原型と思われるが、その面白いところは、冥界の七つの門を通るために、イナンナがあらかじめ身に着けていた宝飾や衣服をひとつずつ門番に取られていき、最後には裸にされてしまうところにある。また最後に、冥界の女王エレシュキガルは、苦労の末自分を訪ねてきたイナンナを殺して吊るしてしまうところも不思議だ。
私には、この「吊るす」というくだりが、それまでひとつずつ脱がされていく文脈からかなり唐突に思える。そのため、この最後に「吊るされた」のは、イナンナの肉体ではなく宇宙服ではないかと考える。そして、イナンナが宇宙人であれば、宇宙服なしでは生存できないから、そこに「殺人」=「死体を吊るす」という要素が入ってきたのではないだろうか。
「ウルの滅亡哀歌」:
ウルの街と人と家畜を破壊しつくした「暴風」とは、たんなる自然現象ではなく、また敵の軍隊の比喩などでもなく、現代の核兵器ではないだろうか。なぜなら、この「暴風」は、当時の煉瓦作りの家を一瞬で吹き飛ばしてしまった上に、「火」で焼き尽くしている。これは、当時の(火矢はあっても)重火器を持たない大勢の軍隊による侵略では短時間では実行不可能なものであり、たとえ核弾頭まではいかなくても、かなり高性能かつ大規模な爆弾による破壊行為があったのではないか。つまり、当時のウルを破壊したのは、ウル(の宇宙人勢力)と敵対していた(別地域の)宇宙人勢力であり、またウルの大多数の住民は宇宙人だったのではないか。
なお、一般住民を「黒頭」と記述していることも面白い。これは神々や王などの統治者と別に生活している人々を象徴しているのだが、なぜ「黒頭」なのか?日本人などの東洋人なら、「それは髪の毛が黒いからだ」で結論してしまうが、当時のオリエント地方には黒くない髪の毛の人々がいてもおかしくないと考える。なぜなら、ヨーロッパ(東欧やロシア)からの距離がさほど遠くはないし、大規模な民族移動はなかったとしても、黒以外の髪の毛を持った人々の一部がオリエントに住んでいても不自然ではないからだ。
では、なぜ「黒頭」と称したのか?私の理解では、識別の道具としての帽子またはヘルメットを被っていたからではないかと考える。なぜ識別が必要であったのかと言えば、政治的意味合いもあっただろうが、むしろ「古代の宇宙人」たちが宇宙服のヘルメットを被っていたのに対して、もともとの地球人たちが「古代の宇宙人」を真似て、自分たちも頭に被り物をしたからではないだろうか。
帽子の歴史について専門ではないが、人類の歴史として、頭の上になにか被るという行為は、太陽光線や雨を避ける、または戦争の際に頭部を保護するなどの実用的意味合いよりも、遠くから見て識別しやすい頭の上に、その人の属性を表すものを被ったというのが原初ではないかと思う。実際、歴史的に王冠や羽飾りはこうした意味合いのものであり、現在でも軍隊や警察・消防などの識別として有効だ。
「悪霊に対する呪文」:
気になる言葉があった。それは、「強い銅」というもので、本書の注釈には、「病気治療の霊力を備えていると考えられていた銅器?大きな音を立てる楽器?」と説明されている。?付きのため、この解釈は定説となっていないばかりか、正直よくわかっていないのだ。
一方、これは悪霊=病気を退散・治癒する器具であり、銅でできているということは確かだと言える。もし現代でこうしたものを思い浮かべれば、なんらかの医療器具が該当するだろう。私が思うには、それは「古代の宇宙人」が使用していた、医薬品注射器兼レーザー(低周波音波)治療器なのではないだろうか。そして、「古代の宇宙人」はシュメール人にこうした器具を与えていたのだ。・・・もしかすると、イラク周辺の古代博物館にこの器具に該当するような遺跡が展示されているかも知れない。
「シュメールの格言と諺」:
皆なかなか秀逸だ。そのうちのいくつかを紹介したい。
〇彼にとり楽しいことは―結婚
熟慮してみたら―離婚
〇次のことは前例がないことだ―「若い婦人は夫のひざの上でおならをしない」だなんて。-そんなことは長くは続かないのさ。
〇浪費癖のある妻が家の内に住んでいると、あらゆる悪霊より恐ろしい。
〇楽しみ-それはビール。いやなこと-それは(軍事または商用の)遠征。
こうしたものを見ると、今から四千年前の人たちの考えていることと、21世紀の我々が考えていることとは、寸分も違わない、というか、四千年経っても人の生活に対する感慨はまったく変わっていないということだ。
・・・つまり、人類は何も進歩していないのだ!そして、(もしもそれが必要であり、人類が望むのであれば)次の進歩をするためには、再び(三度?)宇宙人に来訪してもらって、教示してもらうことが必要なのだろう。
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