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クリシーのサブレは異国情緒の香り〜ハイパーカオスな移民研修で習った基本のサブレ

書き上げて気づいたら4000字近くになってしまったので、今日は目次を。

移民大国、フランス

私が初めてフランスの土地に足を踏み入れたのは、今から10数年前、学生時代のこと。
ベルばらのイメージしか持っていなかった田舎の少女は、金髪をなびかせる青い目の人たちの国だと安易に思っていたくらいなので、現実を見たときにそれは結構な衝撃だった。

時は流れ、今となってはもれなく私も移民のひとり。
パートナーがフランス人ということでビザを出していただき、住まわせていただいている身分なのだが、殊にアドミ関係、役所関連の手続きについて、このフランスという国では色々と苦労がつきない。

こちらに2度目の滞在でやってきてかれこれ10ヶ月が経とうとしているが、こちらが指示通り動いても、未だ健康保険証は届かないし、運転免許の切替も済んでいない。
コロナでしょうがないよね、という部分は多々あれど、大体デフォルトですべてにおいて時間がかかる。

綱渡りのフランス移民生活

そもそも、もっとも大切な滞在許可証のステージで、私は最初からつまずいていた。 

私が移住してきた当時、おそらく今も変わらず、フランスの長期滞在者は、フランスに入国して3ヶ月以内に内務省のHPでビザ番号を登録しなくてはならなかった(しなかった場合不法滞在とみなされる)。

なのに、私の呪われたビザ番号は、なにをどうしてどうやっても登録することができなかった
Otto氏を巻き込んでメール、電話、現場のりこみ等々、あらゆる手段を講じたけれど、お決まりのたらい回しにされまくり、日に日につのる不安とストレス。

もうこれは一度日本に帰ってビザ取り直ししかないなと、入国後3ヶ月きっかりで航空券を取って、帰る気まんまんでいた矢先のこと。
我々の執着心とOtto氏のハードネゴシエーションの甲斐あって、不法滞在までのリミット5日前にようやく仮滞在許可証を出してもらえることができた。

ギリギリでいつも生きていたくなんかないのに、ギリギリでいつも生きている私。

この辺の話は枚挙にいとまがないのだが、要はアドミ関係、一度つまずくととっても面倒。
Otto氏いわく、移民じゃなくても大変だぞと言うくらいなので、最近では精神衛生上、うまくいったら本当にラッキーと思うことにしている。

フランス移民活動、略して民活

一度きちんと登録できると、あとはOFFI(移民局)の呼び出しに従って、フランス語のチェックなどの面接を受ける。

そしてその後、フランス市民として生きるために国が用意してくれた長期滞在者必須の研修(Formation Civique)を受けることになる。
移民研修と私は勝手に呼んでいるが、この研修とは別に、フランス語ができなければ無料のフランス語研修も用意されていたりして、なかなかに手厚い。

この必須移民研修は計4回
最初の3回は、30人くらいの集合研修で、基本的に同じ顔ぶれ。フランスの歴史や国の理念、社会制度などについての座学と、数人のグループになってのディスカッションが終日行われ、最後に研修修了証を受け取り終了。

この修了証が4回分ないと、次の滞在許可がおりない、という仕組みだ。

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わざわざパリ市内とはいえ、1時間くらいかけて遠出して終日拘束されるのは面倒ではある。

でも、移民をフランス市民として受け入れるために、「フランスという国で生きるための知識や素養」を得る機会を与えてくれているわけだから、うれしいことだ。

逆にいうと、ここまで用意してるんだから、ここで暮らす以上ちゃんとフランスという国の理念・制度・文化をリスペクトしなさいよってことなのだと思うけど。

ちなみに、私の研修グループは日本人私ひとり。
平たい顔系は他にひとり女性がいたけれど、他は予想どおり大体コワモテ系ばかりだったので、最初はさすがに日和った。
けれど、たまたま同じテーブルになった、英語フランス語完璧でスーパー優秀なインド青年と仲良くなったおかげで、3回の研修を楽しく修了することができた。

4回目は、アトリエ。フランス文化の1日体験ということで、私のときは、アート(美術)かキュイジーヌ(料理)の2択だった。

キュイジーヌ以外の選択肢はないだろうってことで後者を選択。

ハイパーカオスなキュイジーヌアトリエ

Confinement(外出禁止)が明けた6月中旬、私は朝早くパリ郊外のClichy(クリシー)に降り立った。

クリシーは、最終回の移民研修、キュイジーヌアトリエの会場。郊外といってもほぼパリで、世界のロレアルの本社なんかもある。

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8時30分集合だったので、15分前につけばいいなと余裕を持って到着したら、なんとすでに10人以上着席している・・・!
3回目までの研修は、時間ちょうどについたら一番のり、なんなら講師も毎回遅刻してきていたというのに。
シンジラレナイ。

ラスト3席くらいしか空いていなくて、こりゃ危ないあぶないと思っていたら、その後もどんどんやって来る移民仲間たち。
あれよあれよと教室が溢れかえって、全員入りきれないから外まで溢れ出す始末。

どう考えても教室のキャパを物理的にこえすぎている
講師のおっちゃんも顔面蒼白、私のせいじゃないってずっと言いながら方々に連絡してヘルプを頼んでいた。

おっちゃんの話によると、定員15人のところ、30人以上呼ばれていたという衝撃の事実。
パリとヴェルサイユの両会場から呼ばれてしまったらしく、単純なアドミミスなのだが、あたりに立ち込める不穏感。

もうこれはカオスとしかいいようがない
どうすんだこれ。

結局、本来使わないキッチンを解放して、おっちゃんは3キッチンを行き来することになった。
私が放り込まれたキッチンのメンバー達は、ビニールエプロン、帽子、手袋、マスクの完全装備で待機していたが、とりあえずカフェでも飲んでてと言い放たれ、小一時間放置されることになった。

カフェタイム後、この時点で集合してからかれこれ2時間は経過している。
何をするのかさえよくわかっていないまま、ようやく研修がはじまった。
どうやら今日は、フランス菓子の定番、サブレを作るらしい。

サブレの由来はうんたらかんたらでと軽く説明したあと、壁に殴り書きっぽく書かれた材料とともに、サブレの作り方について猛烈な早口で指示がとんだ。

至極シンプルな移民研修風サブレの材料

・小麦粉:薄力粉(T45でもT55でもいいらしい)を170g 
・グラニュー糖:60g 
・ベーキングパウダー:4g 
・バター :60g。角切りにして冷やしておく。 
・卵;1個

移民研修風なサブレの作り方

1、まず粉類(170gの小麦粉と60gの砂糖、4gのベーキングパウダー)をボウルに入れて混ぜ、60g分の角切りバターをいれ、両手で手を洗うイメージで砂をすり合わせるようにして混ぜて、見た目パルメザンチーズっぽくなるまですりすりする。 
そもそもフランス語で砂のことをSable(サーブル)というので、こういう作り方なんだとかいってた気がする。
マロワールのタルトのタルト生地の作り方を参照していただくとよい。

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2、そこに卵を割り入れて、混ぜて、生地をまとめる。みんな大胆なのでいきなり全部割り入れて混ぜていたけど、案の定卵の大きさによってはべちゃべちゃになるので、その場合は薄力粉を足せばいいっておっちゃんはおっしゃっていた。

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3、本当はここで少し生地を休ませるけど、今日はいいやといって、そのまま特大クッキングシートの上で生地を綿棒で伸ばし、セルクル型でくりぬき、チョコとかナッツでトッピングをする。

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4、170度のオーブンで15分くらい焼く。

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これ1クールやったらお昼ちょい前だったけれど、まだランチの準備できてないからというので、もう1度作れとのご指示。
ランチ後にももう一度作って、トータル3回。Otto氏へのお土産が大量にできた。

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今回のペアは、フランス人女性と結婚して移住してきたというニカラグア出身の紳士。
デコレーションをお任せしたところ、マダムジョリにってカラースプレーで作ってくれた。L抜けてるけど。

早速、家でも復習してみた

知識の定着には24時間以内に復習を。

翌日早速、移民研修風サブレ生地をうちでも試してみることにした。

私のクッキーといえばとりあえずクマ型
Otto氏のおやつ、ナッツのキャラメルがけをくすねてクマたちに抱かせてみた。

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目はハートのクッキー用デコレーション砂糖

なかなかカワイイなあとすでにご満悦な私。

あとはこんがり焼けてきてね♪と気持ちよくオーブンへと送り出したのだけど、

あれっ!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?

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みるみるうちに成長していくクマたち・・・!


このままではクマの形さえも危ういのではないかとハラハラしたけれど、ぎりぎり踏みとどまってくれた。ベーキングパウダーが多いんだなきっと。

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出来上がりはこんな感じ。一応形をとどめてくれてよかった

このサブレ、基本中の基本だからタルト生地とかにもできるぞとおっちゃんは言っていた。

それをいいことに、私はその後試行錯誤しながらもたくさんのおやつを作り、もれなくそのおやつはOtto氏の胃の中に消え、氏のお腹のお肉となっていったのである。


振り返ると、なんだかんだで、楽しかったなあ。 
ありがとう、移民研修。
次回の滞在許可更新、うまくいきますように。


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