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【日本一周 九州編4】 九州国立博物館〜九州が主人公の日本史〜

・国際交流がもたらしたもの  筆者:明石

 大学の講義において、九州随一の博物館としていくどとなく耳にした九州国立博物館へやってきた。1年ほど前、青春18切符をつかって尾道と入り口まで来たことはあったのだが、旅程の関係で入館は果たせていなかった。1年越しの夢がいま叶う!と勇み、そぼふる雨は意に介すことなく入り口へまわり込んだ。

 入館すると、受付の気さくなおばさんが「荷物はあそこに預けるといい」とか、「入館カードを書くんだよ」とか親切にアドバイスしてくれた。旅先だと人の優しさが2倍、3倍増しで感じられるからすっかり上機嫌になってしまった。

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一年前に訪れたときに撮影した写真


 企画展では中宮寺展をやっていて、広隆寺の弥勒菩薩像と並んで日本で最も有名な半跏思惟像が見られるのか!と興奮したが、時間的に常設展しか見られそうにない。まぁ、奈良に行くときに行けばいいかとポジティブに変換して、常設展への長いエスカレーターに運ばれていった。


 菊竹清訓の設計した九博は、ガラス面と屋根の曲線といった外観も素晴らしいが、吹きぬけの先に平行に並んだ材の飾り天井も美しい。


 エキスポタワーや江戸東京博物館を手がけた菊竹清訓はSFチックでダイナミックな造形が特徴的だが、内観には落ちついたアースカラーがとり入れられることで、人々が地に足をつけて脈々と繋いできた証を展示する博物館にふさわしい意匠になっていると、僭越ながら感じました。

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 東博が写真撮影OKだから、てっきり国立系列の九博もそうかと思いきや全展示NG。トホホ。と、うなだれたけれども、この史料は写真を撮るか撮らないかという選択にさいなまれることなく、全力で鑑賞できるから返っていいのかもしれないとこれまた前向きに処理した。


 常設展は、馬鹿でかいハコから同心円状に分岐する小部屋を、反時計回りに巡っていく造りになっていた。順路に沿って時代も進んでいくのだが、関東の博物館で目にする着眼点と違って、防人や太宰府、元寇というように、九州にフォーカスしたトピックが大きくとり扱われていて新鮮だった。

 まずは、縄文の火炎型土器。東博と違って360°どこからでも鑑賞することができて、細部の造形や対称性を目に焼きつけることができた。このときはまだ美術館訪問にメモ帳を持ち歩く習慣がなかったからスケッチできていないのが残念だけど、それでも東博以上の収穫を得られたからこれだけで来た価値があった。

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岡本太郎によって芸術性を再発見された
火炎型土器。
写真は東博でのもの。


 お次は、えげつない量の銅鏡の復元模型。金属光沢による鏡面の極致というべき反射率を誇っており、これだけ鮮明に自分の顔を見る機会があるなら、すでに当時の人々はルッキズムに苦しんでいたのかもしれないと思いを馳せた。


 続いては、病気の原因となる蟲を図解でしめす書物である。例えば、腹痛のときに暴れる“腹の虫”なんていうのが絵本のような可愛らしいタッチで描かれていて、そんな具合にいくつも列挙されているのだからその素朴さに参ってしまう。当時はこの「真実」がどの程度まで信じられていたのか気になってならない。


 最後は圧巻の伊万里焼ラッシュ。シックな古伊万里から、街の色めきをひとつの器に閉じこめたようなものまで様々である。中国が明から清へと移行する混乱期に、世界一の陶磁器として欧州に輸出された伊万里焼。


 ドイツのツヴィンガー宮殿では、陶磁器の間の室内装飾として壁を覆うだけあって、そのデザイン性の優美さ、千紫万紅の煌めきは工芸品として洗練されすぎている。九州国立博物館はその産地に近いだけあって、豊富な作品が丁寧な解説とともに陳列されていて、まがいなりにも陶芸サークルに所属する身としては心が沸き立った。


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特徴的な乳白色の上に、10年かけて作られる赤色の顔料で描かれている。写真は東博でのもの。


 こうして、ヒットポイントを削られつつも常設展を見てきたわけだが、関東視点の日本史との違いはずばりその国際性にある。


 縄文末期から弥生時代にかけては朝鮮半島からの渡来人により稲作が伝えられ、古墳時代には須恵器の製法がもたらされる。鎌倉時代には元寇を退け、室町時代には鹿児島にキリスト教が伝えられ、のちのキリシタン大名へとつながっていく。江戸時代には鎖国下においてもオランダや中国と貿易を続け、薩摩藩は琉球王国とのつながりももっていた。

 このように、日本史のなかでこれほど国際交流の行われた土地は他になく、軋轢も多かったが、文化の風通しもよかったように思われる。その過程で芽吹いた芸術は育成され、弾圧され、独占され、と様々な道を歩むが、そのどれもが文化の受容のもたらす波紋として興味深いうねりとなる。


 九州国立博物館は、そのうねりを史料とともに肌で感じることのできる優れた場所であった。さてさて、こんなところでひとつ締めくくって、四畳半ほどもある北海道の特大精密地図に見送られながら常設展と別れた。

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ガチャガチャの馬はにわ


 1階のミュージアムショップでは、台湾の故宮博物館所蔵の作品グッズが売られていた。関東の博物館ではお目にかかることのない、九州の土地柄のなせるものである。しかし、グッズの購入は台湾上陸のときに見送るとして、僕と尾道はガチャガチャと対峙した。


 吉野ヶ里遺跡に由来するはにわガチャが設置されていて、ラインナップはどれも可愛いらしい。これからの長旅と自宅に帰ってからも変わりない愛を注げるかを考慮して辞退した僕に対して、尾道はガチャリ。

 ほどなくして、手乗りサイズの馬のはにわが転げ出てきた。むむ、やはり可愛いぞ。けれど僕にはきじ馬が待っているんだとすんでのところで踏みとどまった。


 後日譚。尾道は家に帰ってから案の定馬はにわを持て余しているらしい。しかし、口ではそう嘆きつつも机のすみには彼専用のスペースがしつらえてあるらしく、面倒見のよい男ぶりがうかがえるエピソードとなった。


・メンバー
明石、尾道

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