2つ目の自分(7)>もう元の世界に戻れない
2つ目の自分(6)から続きます。
救命病院から転院し、リハビリが始まった頃。車椅子でリハビリ部屋に移動するときは、ヘルパーさんが車椅子を押してくれた。
唯一覚えている、その時のこと。
車椅子を押してもらいながら、意識の混沌とする幼児のような言動の私。
「原付で事故にあったんだ、」そんなようなことを言ったんだろう。
彼女はその時、深く染み入った声で、
「自分の体、大事にせんといけんよ」、と。
(なぜか山口弁の記憶。笑 そこは大阪だったので、関西弁だったと思うけれど。)
この言葉を、今でもふと思す。
そして幾度となく、自分に問いかけた。
「今、私は私を、大事にできてるか?」
自分で自分に問いかけるという、高度?な「意識」の会話ができるなんて、つい最近のことだ。ここに来るまで、長い長い、、長い、、、
長い、?なんだろう。
「虚無」な時間だった。という言葉が、当てはまるだろうか?軽すぎるような気もする。この感情を言葉で表すのは、どうにも難しい。
話を戻そう。
前回(6)で話したように、赤ちゃんから成長を重ねるわたし。
元の大学生生活戻ったのは、一つ、一つと、行動を母と確認しながら。少しずつ散歩の時間を増やすように、ゆっくりと。
そうして9月の新学期からは、ようやく、一人での生活を始めた。
入学からずっと一緒に過ごした、同級生の友達がいる中に、戻った。
*
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実はいま、この時間を振り返ると、胸が詰まって、呼吸が荒立つ。
何か形のないブレーキがあるように、思考が停止する。
今でもこの状態になった自分に、とてもびっくりしている。
とっくに時間は過ぎ去り、記録に残せるだろうと思っていたのに。
私の身体は、未だあの時間を思い出したくないようだ。
・・・
すこしだけ、上っ面でも話したい。
変わってしまった自分と、変わらない友達、変わらない環境。
当時は全てが以前とは違う色に映ったし、全てがスローに動いた。
その時私がまだ、一歩目を踏み出せていなくても。そんなの関係なく、瞬く間に、流れていく周りのすべて。
対話すると、リズムよく話すテンポの速い会話に、理解が追いつかない。自分だって何か伝えたくても、「思い」が即座に言語にならない。
なにもついていけず、ただその中に立ち尽くすわたし。
当時なんて、今のように、自分のこともわからないのだ。
外見になにも変化のない私は、相手からも、自分からも、何がどう変わったのか、分からない。
ただ笑って誤魔化すだけの毎日。
疲れ切って家に帰り、毎日泥のように眠った。
不甲斐なくてしょうがなかった、じぶん。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました☺︎
二十歳意識不明、高次脳機能障害。
赤ちゃんから成長し直し。大学を卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離恋愛の後渡米、国際結婚、100/8000人でサンフランシスコ一等地アパートご褒美の当選
泥臭くクリエイティブに生きるストーリー
続きます。
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