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アナザースカイに出演した安藤忠雄の心に響いた言葉を振り返る

この頃仕事に対し苦戦中。そんな熱い言葉で自分を震えたたしたい!!そこで、アナザースカイの安藤忠雄さんの熱い言葉たちを振り返ってみようと思います。あの時、この番組を見て、感動したのをよく覚えています。

2012年11月30日
日本テレビで建築家”安藤忠雄”がアナザースカイ に出演。

当時の自分は建築家という職業を知らなかったので、さほど興味を示さなかった。ただ、実家の母親が録画した放送をDVDに焼いてくれていたことで、建築系の大学に入り直した後、運よく見直すことができた。

知っている人なら分かると思うが、安藤忠雄は信じられなくらいのパワフルさをお持ちの方である。圧倒的な人間力で人生を突き進んできた。

啓発本を自分は一切読まないのですが、時々アナザースカイに出演される方に影響されることがあります。安藤さんはそのひとりです。

今回、2012年11月30日に放送された安藤さんの言葉を主にまとめてみました。少々熱い言葉が多いかもしれませんので、お気をつけて(笑)

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シーン1:彼の輝かしい経歴とU2 「Vertigo」番組挿入歌

大阪マルビル、ベネッセミュージアム、表参道ヒルズ、東急東横線渋谷駅、ベネチア・プンタ・デラ・ドガーナ、光の協会と、彼は多くの作品を残しており、1941年大阪の下町生まれ。前職はプロボクサー、17歳の時に独学で建築家になることを志す。海外及び国内の大学教授を経験。国内外の賞を数多く受賞。愛犬の名は”コルビジェ”
そんな彼が建築家になる前に行ったこと、それは世界を旅することだった。

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挿入曲:U2-Vertigo

シーン2:テキサス州フォートワースに設計した"フォートワース現代美術館"

安藤忠雄のアナザースカイはアメリカ。
フォートワース現代美術館10周年記念式典に参加し、サイン会講演会サイン会取材出資者限定のサイン会講演会出資者との食事会と、長丁場の体力仕事をこなします。

シーン2 安藤忠雄の仕事ルール
・荷物は他人には持たせない
他人に持たせないと海外で仕事もできないと思われるのはみっともないのが理由
・エレベーターは使わない
エレベーターを待ってるようじゃだめ。時間がもったいない。
・スケジュール管理は自分で行う
全て手帳で管理する
・中東では宿泊はしない
どんなことがあっても宿泊せず日帰りで帰る。

フォートワース現代美術館でのシーンで、安藤忠雄の出張時の際のこだわりが見えました。自力でやるということに強いこだわりを持っていることが分かりますね。

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シーン3:マサチューセッツ州 ウィリアムズタウン

安藤忠雄は、フォートワースで宿泊した後、飛行機と車、クライアントの自家用ジェットを乗り継いで、クラーク美術館リニューアル工事の現場に向かいます。クラーク美術館は、面積570,000㎡、東京ドーム12個分の大きさの敷地面積内にあり、安藤忠雄が向かった時には完成まで7割の現場状況だった。そこで現場管理の進捗状況や打ち合わせ、出資者との会食を行った。

シーン3 安藤忠雄語録
「建築は物としてみないと(現場をみないと)、自分でしか分からないところもあるからね。」

「建築は基礎ができたら大体半分いうんですよ。人間も一緒でしょ、人間も基礎がしっかりしとったらすぐ立ち上がる。」
「ショックは2、3分せないかん。その後スッと次の答え出さないかん。家に持って帰って考えるってことをやってると世界のスピードに遅れてるんですよ。」

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シーン4:20世紀の傑作ニューヨーク・建築家という夢と旅

安藤忠雄は1976年に住吉の長屋を発表。当時インターネットのない時代にも関わらず海外メディアが押し寄せた。その成功を収める前に、彼は建築を巡る世界一周の旅に出かけていた。

1965年、海外の渡航が解禁された翌年世界一周の旅に出かける。ヨーロッパを経てアメリカへ。グレイハウンドバスと呼ばれる100ドルで100日間乗り放題ののチケットを買い、ロサンゼルスからニューヨークを目指した。

1ヶ月の給料が1万円、しかしアメリカのホテル一泊の料金が1万円だった為、ホテルには泊まらずバスの停留所で寝る生活を続けた。そんな過酷な旅を乗り越え、最終目的地ニューヨークに到着。ブルックリンブリッジをバスの車窓から見ることができた時、この世のものとは思えず、言葉にできない程感動したそうです。

シーン4 安藤忠雄語録
「バスの停留所ありますよね。だからそこで寝る。若いいうんは怖くないね。体力はあるけどお金がない。目標はあるけども物は分からない。英語は喋れない。今も喋れませんけど。世界共通用語で、それは情熱。」

「ニューヨークが世界で一番すごいものがあると当時思った。ブルックリンブリッジを渡りたかった。夜についたんですよ。12時頃かな。うわぁーと電気がついててこの世の物とは思えなかった。」
「仕事が上手くいかなかったらその時に見た写真を見て、もうちょっと頑張ろうかなと、思うんですね。」
「建築家はやっぱり、どれだけたくさん見ていくかが大事やね。と同時に中に入って体験する。」
「面白い物があるいうたら分からなくても行ってみる、挑戦してみる。その気持ちが大事。」

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シーン5:カルフォルニア西海岸マリブの個人住宅・旅の出発点グレイハウンドのバス停でのスタッフとの会話

海辺に建つ個人住宅の設計の打ち合わせの為、ニューヨークに宿泊後、ロサンゼルスに飛行機で向かった。大型施設を手がけることが多い安藤忠雄だが、個人住宅の設計も行う。多忙でも熱意があるクライアントの依頼しか仕事はしないと言い切り、誇りとプライドを持って今まで仕事をしてきた姿勢が伝わってくる。

シーン5 安藤忠雄語録
「いざという時はどないでもなる。ノックダウンしたらいいと。」
「せめて一生に一回くらいは自分の思うような建物を作ってみたい。そう思って建築をやり始めた。(その夢は叶ったか?)一回一回が全力投球ですから、自分なりには納得してます。」
「敷地が狭い、予算がない、クライアントが難しいと、いうようなことが頭の中をよぎったら引退したいと思ってます。」
「全力投球でやれば可能性を見つけ出せるもんだろうと思ってますし、仕事というのはそういうもんだと、その気持ちがある時はまだ青春だと思ってます。」
「お金は何の栄養にもならんということだけはよく分かりました。」
「45年というけれども右向いて左向いた感じですね。」
「安藤さん連戦連勝違うのか、言うような人が多かったですけども、私は負けてばかり。初めは大学も行けなかって負ける。だからハンデキャップありますよね。」
「条件が悪い、難しい、それを超えていく時に人生面白くなるんじゃないですか。」
「夢持ったら夢ができるんじゃないんですよ。夢持ったら過酷な時間すごしていかなあかん。」
「人間人生休む暇なんかないよ。まぁ休む時は霊柩車乗った時や。」

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シーン6:ビバリーヒルズの書店にて、アメリカでの最後の仕事

アメリカ最後の仕事は豪邸立ち並ぶビバリーヒルズのサイン会。サイン会の列に並んでいた日本人のキョウコとパートナーのケビン。二人は安藤忠雄のサイン会にやってきていた。安藤忠雄がサインを書いている最中、「私たち結婚するんです!私たち二人とも建築家なんですよ。」と伝える。返した答えは、「そりゃ絶望的やな!」満面な笑みで目を細めた。

シーン6 安藤忠雄語録
「全力でやればね、必ず向こうから面白いことが寄ってきますよ。お金がない、何がない言わずに、とにかく夢中でやれば向こうから寄ってきますよ。私は全力でやってましたから少しは向こうから寄ってきました。」

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シーン7:安藤忠雄さんにとってアメリカとは

シーン7 安藤忠雄のアナザースカイ"アメリカ"
「アメリカは魅力的な場所ですね。スピードとパワーと、そして人間力のある場所でしたね。」

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少々熱い言葉どころか熱すぎる言葉が多すぎました!こうして安藤忠雄の言葉を振り返ってみると、仕事に対してどう向き合うかまた自分なりにも考えてみるきっかけになる言葉だらけ。

安藤忠雄のことをを少しでも気になった方はこちらがお勧めです。読んでいただきありがとうございます。仕事頑張りやしょう!





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