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ふぃーよんが鳴いた夜。

私の記憶の中には

ふぃーーーょんっ

と鳴く虫がいる。

ふぃーーーょんっ

と鳴くから、私はそれをふぃーよんと呼んでる。

姿は見たことがない。

だから実際は虫なのか何なのかもわからない。


ふぃーよんは決まって夏の夜

実家の掃き出し窓の近くに現れた。

見たことはないから、本当にそこに現れてるのかはわからない。

でも、確実にふぃーよんの声は聞こえる。

あの頃はまだ熱帯夜なんてそんなに多くなくて

夜は夏の暑さの休憩時間みたいに涼しかった。

防犯は網戸に任せて窓を全開にしていたから

網戸を縫ってさらさらと風が入ってきた。

今はあまり感じることのない月の明かりが

蚊取り線香の影を作ったりもして。

隣でお母さんがスースー寝ていて

たまにモゴモゴ寝言を言ってたり

飼ってた犬が冷たいフローリングを求めてのそのそ歩いて

たまに私の足の上に乗ってきたりして。

そんな光景の後ろに

いつもふぃーよんの鳴き声があった。


ふぃーよんの声の記憶はずっとありながらも

ふぃーよんの声はいつの間にか聞こえなくなった。

きっとふぃーよんがいなくなったんじゃなくて

わたしがふぃーよんを気にしなくなったり

寝落ちするまで携帯に集中するようになったり

窓を閉めてエアコンをつけて寝るようになったり

そんなことが原因なんだろうとは思っていた。

実家を出てからは尚更

窓を閉めて寝ることがほとんどで

たまに開けて寝ようとすると

車やバイクのエンジン音

緊急車両のサイレン

誰かが大声で話す声

隣人がベランダでライターをカチッとする音

おそらく終電の電車が走る音

そんな音が気になって

結局閉めてしまう。

入ってくる光も

向かいのマンションの明かりや

緊急車両の回転灯

わたしの部屋の窓からは、頑張らないと空が見えない。

だんだんとそんな外の現実から自分を切り離して

いつの間にか痛いほどの静寂でも眠れるようになった。

そうやって

いつの間にかふぃーよんの声も聞かなくなった。

それでも記憶のふぃーよんはちょくちょくわたしの肩を叩いた。

その度に

ふぃーよんの声、最近聞いてないな。

と思う。

ただ、その声を探そうとはしなかった。

ふぃーよんは恐らく、実家のような田舎にしか居ないんだろう。

もしかすると、わたしにしか聞こえていなかったのかもしれない。

妖精や、妖怪みたいな存在だったのかもしれない。

そう思うようにもなった。

ふぃーよんは幻の存在。

それならそれでも良かった。

子どもの頃に見た忘れられない夢のような

子どもの頃に聞いた噂話のような

そんな淡くほわんとした綺麗な思い出みたいなものでもかまわなかった。


それなのに

昨日、帰り道にふぃーよんの声を聞いた。

線路の脇の草むらから、ふぃーよんの声が聞こえた。

昼の暑さからは想像がつかないくらいに涼しい夜だった。

あの頃みたいなさらさらした涼しさだったと、今になって思えるけど

それはきっと色眼鏡。

でも、確実にふぃーよんの声を聞いた。

一度それに気付くと、案外何度もふぃーよんの声が聞こえた。

だから、ふぃーよんは今までもちゃんとわたしの近くにいて

夏の夜には鳴いてたんだろう。

わたしがそれを気にしていなかっただけで。


ふぃーよんはそんなに頻繁には鳴かない

ゆっくりゆっくり

何拍も間を置いて鳴く。

その声は全然綺麗じゃない。

ダミ声で、投げやりな鳴き方。

おーい。おーい。

と、縁側で横になって、おケツをぽりぽり掻きながら呼んでいるような声。

もしもふぃーよんが虫なら

絶対に気持ち悪い見た目をしてる。

だからというわけではないけど

わたしはふぃーよんの正体を知ろうとは思わない。

ふぃーよんはふぃーよん。

その姿は見えなくても

花火や海水浴、夏祭りやビアガーデンと同じように、わたしの夏の風物詩。

そして、お父さんのビールと枝豆と野球中継なんかと同じように、わたしに夏を知らせてくれるもの。


そうか。

花火も海水浴も夏祭りもビアガーデンも、今は行けない。

お父さんのビールと枝豆と野球中継も、実家を出た今は見られない。

だからふぃーよんが、夏が来るぞと知らせてくれたのかもしれないな。


ふぃーよんが鳴いた夜

わたしはひとり、そんなことを考えながら

ふぃーよんが聞こえない真っ暗な寝室で

寝落ちするまでスマホを触っていた。


BGM:風鈴/唄人羽

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