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血中ナンプラー濃度を上昇させよ

夏が近い。
いつもこの時期になると心がざわつく。何か特別な思い出や、はたまたトラウマがあるわけではないのだが、切なさや心許なさに少し似たザワザワが胸の奥によぎる。決して嫌な感じではないのだが、しかしなんだかいつも落ち着かない。季節の変わり目を本能で理解しているんだと思う。

そして、これがある意味合図である。
私の中でタイ料理のベストシーズンが始まったのだ。これは脳からの指令であるが、血中ナンプラー濃度を高める必要がある。

ナンプラー。あのなんとも言えない味わいの虜になったのはいつ頃からだろうか。
隠し味の対義語では?と思うほど、味の強さで言えばチョコやカレーともはや近いのではと思うほどに強烈な個性。あの風味が香るとめちゃくちゃ嬉しくなって、なんのお料理であろうともりもり食べてしまう。

パッタイなどの定番はもちろんだが、個人的には焼きナスやチョップドサラダなどといった麗しい野菜にかけて食べるのも大好きだ。加えて言うなら、夏場が美味い。春夏秋冬タイ料理は美味しいけれど、やはり暑い国のものだからだろうか、私は夏にナンプラーの風味を感じることがめちゃくちゃ、もうほんとにめちゃくちゃ好きなのだ。毎度震えるほどに美味しさを堪能してしまう。

だから思う。
この胸のざわめきは血中ナンプラー濃度によるものだ。至急上昇させよ。ラジャー。

…胸のざわめきなんてものは、なんかこう、もっとロマンティックなものだったはずなんだよなぁ。片思いの相手が半袖のシャツを着てきて似合ってるな、とか、髪を短く切ったら綺麗なお姉さんになれたりしないかな、とか、なんだかこの友達とこうやって遊ぶのは今日が最後かもしれないな、とか、そういう時に感じる類のものだった気がする。

何度季節が巡っても慣れないこの感覚に、しかし直結するような身に覚えのある不安定さが幸いにして暮らしの中に思い当たらない。そりゃ色々思うことは日々あるが、ここのところ私の海は凪だ。確かに胸はざわめくけれど、さざなみが立ったとして、それを鎮めたり乗りこなしたりする術を覚えてきたからというのもあるかもしれない。

平たく言えば歳をとったのだ。そして歳をとったといえばそう、体調もね、ぼちぼち気にかけてた方が良かったりするじゃないですか。なんかわからんけど気分が乗らないな〜なときは鉄分が足りないとか、そういう科学的なやつをまず疑って早期解決を図りたいみたいなタイミングが増えてきましてね、ええ。
なので(?????)、私はこの胸のざわめきを血中ナンプラー濃度の低下に結びつけて自らの機嫌を取りにタイ料理屋さんに行くのです。
自分のことなのに、ちょっとばかり離れたところから理由を考えたり傾向と対策を仮定したりして乗りこなすのがよかったりするのね、と思うくらいには大人になったなぁと思う。

それでもやっぱり、胸はざわめく。
芽吹いた命たちが生き物として次のステージに行くエネルギーみたいなものに巻き込まれているのか?わからない。いくら説明してみようとしても難しいものがあるということも、大人として理解してきた。

大好きな季節だ。シャツ一枚であちこちをできるだけ散歩したい。この胸のざわめきがすっかりおさまる頃、茹だるような暑さに世界が包まれてしまう前に。

ナンプラー、大好き。

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