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5本で100円の泥ネギを食べまくった冬がもうすぐ終わろうとしている

旬のものを使って自炊をするという行為の贅沢さったらない。今この季節が最も栄養価の高い食べ物と今この瞬間のわたしの人生を捧げて、健やかな未来を静かに願う儀式をしているような気がするのだ。ほとんど毎日のように料理をするが、何のためと改めて聞かれたとしたら「空腹を満たすため」というよりも「未来への祈り」だと答える気がする。

前置きが長くなってしまったが、この冬は信じられない量のネギをたくさん料理して食べた話がしたかったのだ。

今年の冬は長ネギが豊作だったそうで、おかげさまで本当に質が良いネギをお手頃に手に入れることができまくっていた。
どれくらいできまくっていたかというと、毎週お買い物に行く八百屋さんに売られていた5〜6本で100円の泥付きネギを毎週買って毎週食べ切っていたのだ。
破格にも程があったし、何より群馬県から泥つきでやってきたネギの丸々とした瑞々しさったらなかったので、もうネギ目当てにその八百屋さんに通っていたくらいだったのだ。

大きな袋からズルンと取り出して泥を洗い、表面の薄皮を剥がすとツルッツルの本体(?)が現れる。白くて艶っとして、ほんとうにきれい。土の中にある美しいものって、一体いくつあるんだろう。そんな宝石みたいなネギに包丁を入れると、シャク!と音がする。ア〜、いい音。。なんて聞き惚れながらトントン切っていく。

毎日のように鍋をするとき、ネギをごっそり入れる喜びを知った。鍋というのは本当に素晴らしくて楽に美味しく野菜をもりもり食べられて味付けも無限なので毎年めちゃくちゃ鍋するんだけど、今年目新しかったところで言うと斜めに刻んだネギを2本分入れた味噌風味の鍋、あれは本当に本当に美味しかった。野菜をおかずにお米をたらふく食べる愉悦よ。ネギは味噌と合う。茄子と脂の相性くらい良いと思う。

あと、カンカンに熱したフライパンにごま油を垂らしてただ炒めたネギ。クタっとしたところに鍋肌に醤油を垂らしてジュッと言ったのをすかさず皿に持って熱々を食べたのも美味しかったな〜。鰹節かけたらあまりの美味しさにぶっ飛ぶかと思った。地球においてネギと鰹は出会わないはずだろうに、お皿の上ではいとも簡単に巡り合って奇跡を起こしてしまう。

まだある。親子丼で食べたネギ、あれも美味しかった。普段だとどうしても主役が鶏肉に感じる親子丼だけど、今年はネギが主役と言わんばかりにドッサリ入れて作った。濃いめに薄めためんつゆと鶏肉を小鍋に入れて火にかける。フツフツ言ってるそこに刻んだネギを入れると、そう時間もたたないうちに白い部分は透明感を帯びて緑の部分が青々として、香りがフワアッと立ってくる。「植物」が「食材」に変わるこの瞬間は本当にいつもワクワクするのだ。
いい感じ(自炊においてこの、いい感じという確固たる瞬間を感じるのが好きだ。最後の野生のカンみたいなものだと思う)になったら卵を溶き入れて、固まり切らぬうちにホカホカの白ごはんに乗せる。ネギの甘く香ばしい風味が口の中で爆ぜて、ネギって美味しい…冬って素敵…とうっとりしてしまう。

そんなこんなしながら、ネギだくの冬を送ってきた。
そして、今週から店頭にその泥ネギは無くなった。代わりにちょっぴり高いけど細くて柔らかな感じのネギが並ぶようになった。冬の贈り物だったんだね、と言い合いながらその春めいたネギを買い、今日これから食べる。部屋に入る日差しが黄色くなって、来週からは最高気温がようやく2桁になる。春が、来る。

変わりばえのしない日々と思ってしまうけれど、お店や台所に並ぶもの、空気の香りが刻一刻と変わる。そんな中で、祈るみたいに未来を想いながらご飯を作って食べる。私の今は、ちょっと前の私と丸々とした泥ネギたちによって作られているのだ。なかなかどうして、今日も楽しい。そして願わくば、次の冬も美味しいネギにたくさん巡り会いたい。

泥ネギ、大好き。

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