見出し画像

過去最強にきつかったプロジェクトを過去ブログでたどってみた

今回は、長文です。かなり長いです。

これは、私が過去経験した中で最強にしんどかったプロジェクトのお話です。

2015年ですから、かれこれ6年も前の話になります。最初話がきたとき、はじめてのジャンルのそこまで大変だとは感じ取れないプロジェクトでした。

それがふたを開けてみたらもう、トラブルにつぐトラブル。

その業界のお作法も知らず、成果物のお約束も知らず、これまでのスタイルで対応したら大噴火してしまい、実に多くの人を巻き込んで迷惑をかけてしまったプロジェクトでした。

そんなプロジェクトに関わることを過去ブログでも綴っていました。書いている内容からプロジェクトの状況と自分の心の様子をたどってみようと思います。

【2015年7月27日

今日は新規案件のキックオフミーティングです。

誰でも、初めての事を行う前というのは大なり小なりドキドキしますね。

はい、私もいまドキドキしています。前回のブログで書いたように、このドキドキは、私にしてみたら「おおお、神が降りてきた!」ということだととらえられるようになってから、前よりはドキドキと上手に付き合えるようになりました。

当然ながら、いろんな方のサポートがあって今日のミーティングに臨めます。まだ始まっていませんが、ここまでサポートしてくださった皆様に感謝します。

一旦ここまで。終わってから追記するかもしれません。

(以下追記しました)

さきほどミーティングが終了しました。

用意した資料は順番通りの説明にはならないし、お客様からはいっぱい突っ込みと訂正を入れられましたが、穏やかに進めることができました。

今回は、本当に多くの人のお力添え、心から感謝します!

おぉー、希望に満ちてますね。前向きにやっていくぞ!という感じがすごく見えます。

次はキックオフから1か月ほど経過した時のブログです。

【2015年8月24日】

さて現在、新しいプロジェクトで様々な新しい経験をしております。詳細な事は言えませんが、多くの団体に集まってもらい、会議を定期的に開くことになります。その事務局およびファシリテーターをやることが一番のチャレンジになります。

いやー、初めてのことが多くて、本当にドキドキします。もうすぐ終わるお客様とは、なにもかもが違います。お作法も全く違います。180度真逆と言ってもいいくらいですw

でも、この経験は今しておく必要があるんです。でないと、このチャンスが来るのはいつになるかわかりませんからね。チャンスを先延ばしてもたついてる暇なんてありません。

あのとき頑張っておけばよかった、って後悔するのはいやなんです。

たくさんの人たちがサポートしてくれます。私もプロジェクトメンバーやお客様、関係者をみんなサポートします。

毎日新しい課題が出てきますが、ひとつひとつクリアしていきます。

まだ内容が前向きですね。この時点では全く気付かなかったのですが、実はもうこの時点で本来やるべきであった行動が全くできていなかったのです。

本来は、会議に参加する各関係者に対して議論の内容と結論をどう持っていくかについてすり合わせをしておく必要があったのです。

会社としてこの種のプロジェクトの経験がなかったので、会議の場で普通に議論すればいいと思ってそのまま臨んだのでした。

そしてこの投稿から3日後、一つの課題が解決します。

【2015年8月28日】抜粋

近々開かれる会議で、いろいろと調べたら、会議の議長を選出するらしく、その議長は自社ではなく、どこかの団体などにお願いするのが普通だということがわかりました。

もともと自分の会社ですべて進めようと考えていたし、そんな人をいまから頼むと言っても間に合わないし。。。

結局、発注元に相談するしかないのですが、このお客様とのプロジェクト経験があるチームメンバーから、

「普通に相談したら撃沈する。相談の仕方も話の持って行き方がある。」

と、その話の持って行き方を教えてくれました。

そしてお客様に電話。結果としては、今回議長の選出は不要ということになりました。

いやー、よかった!本当に、こういうことって、(少なくとも日本では)大事です。

これで今週ずっと気持ちがドロドロだったものですから。。。

この経験に、心から感謝します。

既に未体験ゾーンに突入し、いろんな不安が自分の中をかけめぐってきていますね。それでもまだ前向きにこのプロジェクトを進めようという気持ちが残ってますね。

さて、ここからプロジェクトは嵐の中に突入していきます。

画像2

本当にいろんなことがあって、プロジェクトは全然前に進まなくなったのです。

うまくいっていないためにお客様が良かれと思って提案してきた対処方法が我々にとっては余計負担のかかることになってしまったりしました。

何よりもびっくりしたのが、このプロジェクトを推進しているお客様の最重要キーマンがある事情でプロジェクトを去ってしまったことです。

正直、プロジェクトそのものの継続をどうするんだ、という事態に陥りました。(結局継続することになりました。残念!と思ったのは事実ですw)

加えて、うちの会社側も頼りにしていたプロジェクトメンバーが途中で転職。前からきまっていたことなので転職自体をどうこういうつもりはないですが、重なるときには重なるものです。

そんなことが重なり、私は心が折れかけてしまい、ブログところではなくなりました。

そうして、ずっと続けてきた過去ブログに一つの決断を下します。

【2015年10月12日】抜粋

長らくブログの更新ができておらず、申し訳ありません。。。
最近更新できていません。
なんでしょうか、このブログ上でいろいろと書こうという気が起きなくなったのです。
正直、そう思っている自分にいちばんショックを受けたのは、自分です。

いっぱい考え、悩みました。そして出した結論は、

このブログを無期限休止にするということです。

このままこのブログを終了とするのか、新しい別のブログを立ち上げるのか、まだ結論はでていません。

当面このブログから何かを発信するということはやめます。
充電してまた書き始めるかどうか、正直わかりません。

これまで本ブログを読んで下さった皆様、心から感謝します。

もう、ブログどころではなくなっているんですね。なので、いったんブログは休むことにしました。

その後、お客様からプロジェクトがうまくいっていないことに対し、正式にクレームがきました。

クレームを受けて会社は大慌て。体制の強化をはかるのですが、その強化のために追加されたメンバーを、心が疲弊しているプロマネの私がハンドリングできるわけがありません。

そんな中、心強いPMサポートをしてくれるメンバーが入ってきてくれて、自分の心に少しだけ余裕ができました。

【2015年11月23日】抜粋

今年後半、自分にとっては新しいプロジェクトを経験し、強烈な経験の真っただ中にいます。

途中、何度となく心が折れそうになりながらも、実にさまざまな方々のサポートがあって、どうにか今も担当しています。

自分ひとりだけではできる範囲が実に少ないたくさんの人との協力があってこそ、物事はなしえることができるんだ、ということが今更ながら理解できました。

うん、やっぱり、その時その時で経験することは違うし、その意味合いも年齢を重ねることでまた変わってくる。

これは、自分の中の胸の内だけに秘めておくよりは、何かに残したほうがいいよな。

だとすれば、こういった経験を引き続きブログに書いていくことは自分にとって、自然じゃないかな、と思うに至りました。

そうして年末を迎えます。この時点で、お客様と終わらせる予定だった会議が終わらず延長戦突入が確定。

それでも、年末年始はしばし仕事を離れることができました。毎年年末は1年の総括をするのですが、精根を使い果たしていたのでしょう、こんな感じでした。

【2015年12月31日】

2015年もあと少しで終わりですね。
今年も多くの方々に支えられたなぁ、と心から感じる1年でした。
皆さま、本当にありがとうございました。

ここで今年の総括をいろいろしたいところなのですが、今回は文章にすることをやめようと思います。
今は途上であり、心情を文章にするタイミングではないのですよね。
自分の間で書けると思ったタイミングで、一度いろいろと書きたいと思います。
すごく味気ない感じになってしまいましたが、来年もどうぞよろしくお願いします。

年が明けて、会議はプロジェクトメンバーのがんばりによってどうにかこうにか終えることができました。

そして、その議論内容を報告書としてまとめるフェーズとなりました。

実は、これまでの出来事がかわいく思えるくらいの地獄がここから始まったのです。

画像3

あれは。。今でも思い出すと心が苦しくなる位、つらい日々でした。

まだ余裕のある時ですね、このプロジェクトを通じて自分ができていなかったことへの戒めとしてこんなことを書いています。

【2016年2月15日】

さて、わたくし、今回のプロジェクトを通じて、プロジェクトマネージャがなによりも一番大事にしないといけないことを学びました。それは、
「情報共有」
です。
なーんだ、当たり前じゃん、と思ったあなた!
そう、その通りです。
でも、これが、できなくなってしまっていたのです。

一番いけなかったのは、ある情報について、この人に言うといろいろ言われてうるさいから、その人は外してシェアしよう、とか、これを言うと大事になってしまうし、また作業が増えてしまうから、自分の中で飲みこもうとか、そういう考えに陥ってしまったことです。

利害関係者が実にたくさん登場するので、社外に対してはどの人には情報提供すべきかという選別は当然出てきます。

でも、社内で、少なくともプロジェクトチーム内で、それはやってはいけませんね。良いことも、悪い事も、とにかく情報シェア。それも、迅速に。

何かのミーティングが終わったら、議事メモはすぐシェア。議事録も早々に提出して内容をシェアし、合意していく。

プロマネが力を入れるべきタスクの大きな割合を占めるものなのだ、と、沢山の怪我をすることによって痛感しました。

そして、大事なこと。

そのシェアの仕方を「最初に」ルール決めしておく。

これがきわめて重要でした。ルール化できていたら、あとはそのルールに従って回していけばよい。
これがプロジェクト後半、ヘルプに入ってもらったスーパーPMさんの指摘で理解しました。

この年にもなって、こんなことが理解できてないのか!とお叱りをうけるかもしれませんが、私はこういった情報共有を当然これまでもやってきていました。

でも、クレームを受けてパニックになって思考がフリーズしたり、この人にはシェアしなくても「いいかも」という先入観をプロジェクト初期にもってしまったら、情報共有やらなくなってしまうんですよ。

今回、基礎中の基礎、「情報共有」の大切さを、とても痛い経験と共に学んだのでした。

40代半ばにもなって、こんな基礎的なことを、現場の失敗で学べるって、本当に私はラッキーだと思います。

この経験に感謝感謝。

地獄は続きます。徹夜の日が続きます。みんな疲弊していきます。

そんな中、最大のピンチがスッと顔をだしたのです。

画像4

【2016年3月9日】

またもや、プロジェクトが火を吹きました。
詳細は言えませんが、このプロジェクト最大の噴火です。
自分の認識とお客様の認識に恐ろしいほどの隔たりがありました。
社内でもそれを指摘する人がいましたが、耳を貸していませんでした。
結果、極めてよろしくない状況に。大噴火です。

あぁ、この経験に感謝です。。
このプロジェクトの事、いつか詳細な事をブログにかけるのかなぁ。
うーん。。。。
いやいやいや、書けるわけないじゃん!

今でも詳細を書くことはできません(笑)

とにかく、そこからは地獄、地獄、ただただ地獄。その一言に尽きます。

2016年3月11日

プロジェクト大噴火真っ最中のYO茶はいま会社でございます。(※当時のブログネームはYO茶でしたw)
実に多くの人を巻き込んで対応している真っ最中です。
土日も多くの人に対応をしていただくことになります。

私では今の難局はこなせないと判断され、先輩PMがサポートに入り、仕切ってくれています。

その対応ぶりには、本当に学ぶところがあります。
今回の経験は初めてです。だからこそ、この経験は、私にとって大切な宝物です。
失敗こそ大切な宝物。
これをいかに教訓として次に活かせるか。
そこが大事なのです。

地獄だったなぁ。。それでも、自分が逃げたらここまでやってきたことが全部台無しになると思い、自分なりに向き合っていました。ただ、正常な判断ができるような精神状態ではなかったので、何かを言われても全然できてなかったですね。

そんな地獄のプロジェクトも、出口が見えました。

画像5

【2016年4月11日】

4月に入り、満開の桜ももう散ってきていますね。
前回ブログを書いてから、もう1か月経過してしまっていました。
3月は、ちょっとブログを更新できる状況ではありませんでした。
なんというか、連日、まさに連日徹夜が続く日々となっていました。

ただ、原因の多くはYO茶のマネジメントのまずさにありました。
多くの方からアラートを上げて頂いていたにも関わらず、それに対処できていなかった。
結果、プロジェクト終了ギリギリで連日徹夜をしなければならないような状況に陥ってしまった。

言いたいことはいっぱいあります。

しかし、今は私個人の感情的なものがどうしても混ざってしまう為、冷静に考えて導き出される意見が色あせてしまう恐れがあります。
だから、いろんなお叱りを頂戴しますが、受け止めます。
すべての経験に感謝します。

そうして、お客様に成果物を納め、プロジェクトは終了しました。

【2016年4月25日】

昨年の8月から始まった某プロジェクトは、先週終了しました。
プロジェクト自体は3月31日に終わらせないといけなかったのですが、3週間スケジュールが遅れての終了となります。
このプロジェクトを通じて、本当に多くの方々にご迷惑、ご心配をおかけしました。

これほど自分がやるべきことをできなかった経験は初めてでした。周りの方からは自分が成長することの期待も含めて多くの叱咤激励を頂いたのですが、思うようにはなかなかいきませんでした。

実に多くの学びがありました。それにしても、途中危機的な状況に何度も陥ったこのプロジェクト、よく納まったと思います。

ひとえにこのプロジェクトを支えてくださった関係者のおかげです。

心から感謝します。

しばし休息をとり、また始動したいと思います。

うまくまわせなかった責任を感じつつ、なによりもプロジェクトをやり切ったことの安堵感がにじんでます。

このプロジェクト、契約額はそこまで高いものではありませんでした。会社的には小さなプロジェクトの一つだったと思います。

それでも、私にとっては、人生の中で本当に大きな大きな試練を与えてくれたプロジェクトでした。

本当にたくさんの人に迷惑をかけたし、助けていただきました。

一人ではなにもできないということも痛いほど学びました。

今、たいていのしんどい状況が目の前に来ても、そこまで恐れることはあまりありません。

だって、あの地獄を思えばどうってことない、と思えますからね。

画像6

****

実はこのプロジェクト後、さすがの私も心に多少の傷を負ったみたいで、しばらく自分の部署があるフロアに足を運ぶことができませんでした。

なので、共有で利用できるスペースでずっと仕事をしていました。

その傷が癒えるのには3か月ほどかかりました。

この後、私はある大炎上案件にアサインされたのですが、このプロジェクトの経験の事を思えば全然平気でしたね。

自分の中では殻を破れたのだろうと思います。

いやー、長い。この件を語ろうとしたら長すぎる(笑)

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

それではまた!

画像1

日々感謝 m(_ _)m

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?