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舞台 「きらめく星座」 観劇レビュー 2023/04/15


写真引用元:こまつ座 公式Twitter


写真引用元:こまつ座 公式Twitter


公演タイトル:「きらめく星座」
劇場:紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
劇団・企画:こまつ座
作:井上ひさし
演出:栗山民也
出演:久保酎吉、松岡依都美、村井良大、瀬戸さおり、粟野史浩、大鷹明良、木村靖司、後藤浩明、高倉直人、小比類巻諒介
公演期間:4/8〜4/23(東京)、5/7〜5/14(北海道)、5/20〜5/27(神奈川)、5/29〜5/31(福島)、6/3(山形)、6/9(群馬)、6/18(大分)
上演時間:約3時間15分(途中休憩15分)
作品キーワード:和製音楽劇、井上ひさし、戦争、ヒューマンドラマ、ホームドラマ、反戦、心温まる、笑える
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


戦後の日本を代表する劇作家の一人である井上ひさしさんに関係する作品のみを上演する制作集団「こまつ座」の舞台作品を初観劇。
「こまつ座」は今年で創立40周年を迎え、その記念公演の第一弾として1985年に初演された和製音楽劇『きらめく星座』が上演された。
私自身、井上ひさしさんの作品に触れること自体が、昨年(2022年)10月に「虚構の劇団」で上演された『日本人のへそ』に続き2度目となる。
『きらめく星座』の戯曲自体も未読で観劇した。

物語は、1941年の田島町(現在の浅草)にある「オデオン堂」というレコード店を営む小笠原家を中心とした話になっている。
小笠原家では周囲の人々から非国民呼ばわりされていた、なぜなら小笠原家の長男である正一(村井良大)が軍事演習中に逃げ出して行方不明になっているからである。
しかし、小笠原家の娘であり看護婦を目指すみさを(瀬戸さおり)は、600人ほどの軍人と文通をした結果、源次郎(粟野史浩)という軍人と結婚することとなり小笠原家は「美談」とも呼ばれる。
行方不明となっていた正一はこっそりと「オデオン堂」に戻ってきて、小笠原家の人々を和ませる。
一方で日本国に忠実で、軍事演習中に逃げてしまう正一を断固として許さないような源次郎も小笠原家にはやってくる。
そんな中、日本は太平洋戦争へと向かっていく兆しは濃厚になっていき...というもの。

あまり井上ひさしの作品に馴染みがない私が今作を観劇して全体的に感じたことは、舞台セットから役者たちの演じ方から何から何まで、昭和の人々の温もりと懐かしさを存分に感じさせてくれる内容になっていて、観ているだけで心がポカポカと温かくなる、そんな作品だった。
最近では「昭和レトロ」というのが一つのブームになってもてはやされているが、どこかそれにはファンタジー性を感じてしまって、パッケージ化された昭和に感じられてしまう。
一方で、井上ひさしさんの作品が立ち上げる昭和というのは、作り込まれた感じがなくてとても自然であり、この作品に携わっている人たちがしっかりと昭和という時代に向き合って生きてきていることが伝わり、そこに嘘はなくて、日常の一部として描かれている点に非常に惹かれるものがあった。

今作のテーマは、日本が戦争に向かうにつれて、ジャズのような「敵性音楽」を嗜むことは出来なくなり、食料も卵や米といったものは貴重品となって、非常に制約の大きい生活を強いられるが故の生きづらさ、そしてそんな中でも明るく振舞い続ける小笠原一家の人情溢れる姿だと思う。
そこに今の時代の生きづらさとも重なって共感を生むシーンも多々あるかと思ったが、個人的にはあまり共感は生まれなくて、冷静に戦時中の日本人庶民の生活苦の現状を教養として身につけることが出来た。
きっとこれが、戦時中を少なからず経験している、もしくはそういった話がより自分の人生の身近に存在する立場だったら感じ方も変わったかもしれない。客層はU-30のチケットがあるにも関わらずご年配の方が多い印象で、やはりそういった戦時中の面影が残った時代を生き抜いてきた人々に刺さる音楽劇なのだろうと感じた。

小笠原家の夫婦を演じた久保酎吉さん、松岡依都美さんを始め、その長男の村井良大さん、娘の瀬戸さおりさん、そしてその夫となる粟野史浩さんの演技が大変素晴らしかった。
久保さん、松岡さんが演じる夫婦は、きっと戦時中の日本にはこんな人情溢れる夫婦は沢山いたのだろうなと思わせるくらいリアリティがあって、ただ観劇しているだけでも微笑ましくなるくらい和やかな夫婦で素敵だった。
粟野さんが演じる源次郎という軍人は、いかにもこの時代の模範とも呼べそうな筋骨隆々でたくましく、国家に忠実で厳格な様子がハマっていて個人的にはとても好きだった。

井上ひさし作品好きにはもちろんのこと、私のような戦時中が歴史の教科書に登場するくらいの遠い感覚になってしまった20代、30代の人々にも、日本にはこんな酷い時代があって、こんな苦しい生活を強いられていたという事実を教養として堪能して欲しいと感じた。

写真引用元:ステージナタリー こまつ座 第146回公演「きらめく星座」より。(撮影:宮川舞子)

↓書籍『きらめく星座 昭和オデオン堂物語』


【鑑賞動機】

「こまつ座」の舞台作品は数年前からずっと観たいと思い続けていたが、どの演目で初観劇としようかはずっと決めかねていた。「こまつ座」の初観劇の作品は、今後一生思い出となる観劇体験になるだろうと、観に行く作品をずっと吟味していた。
今回の上演は、創立40周年記念公演であるということと、村井良大さんや瀬戸さおりさんといった私として演技が好みな役者さんが複数人出演されている点が、観劇の決めてになった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇して得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

空襲警報のようなサイレンと共に、防毒マスクをつけた人々が次々と踊り始める。
「オデオン堂」という文字が電球によって光り輝くオデオン堂レコード店、こちらでは小笠原家がこの店を営んでいる。小笠原家の主人である小笠原信吉(久保酎吉)とその妻であるふじ(松岡依都美)、そしてキャッチコピーを考える広告文案家の竹田慶介(大鷹明良)とピアノを引き続ける森本忠夫(後藤浩明)もオデオン堂レコード店にいる。彼らは、先ほどの防空演習で小笠原家が非国民扱いされたことについて話している。
小笠原家の娘であるみさを(瀬戸さおり)は、小笠原家が非国民扱いされたことにショックを受けており、どうして兄の正一が軍事演習中に逃げ出してしまったことを黙っていたのかと両親を追及する。
そこへ、憲兵伍長権藤三郎(木村靖司)がレコード店にやってくる。それは、正一が軍事演習中に脱走したことについて、小笠原家の人間を叱りつけるためであった。権藤は、こんなジャスのような欧米の音楽など流しているからだとレコード店に対しても、散々に罵声を向ける。
しかしみさをは、権藤に一つの大きなカバンを差し出す。そこには、軍人たちから貰った大量の手紙が入っていた。みさをは、従軍看護婦になろうと女学校に通っており、そこで600人の軍人から文通を貰ったという。そしてその大量の手紙を風呂桶に入れて、そこから手探りで一枚の手紙をランダムに取り出し、その手紙を書いた軍人と結婚すると決意したのだと言う。そしてその時引き当てた手紙の差出人は、軍人としても優秀な源次郎という人物だったと言う。
その話を聞いて権藤は深く感服していた。そして、兄が脱走しなかったら小笠原家は「美談」だったのにとつぶやき、オデオン堂レコード店を立ち去る。オデオン堂にいる一同は「月光価千金」を歌う。

みさをの挙式でオデオン堂レコード店には誰もいない。そこに、一人の男性が忍び込む。それは小笠原正一(村井良大)だった。信吉が式を終えて帰ってくる。壊れた蓄音機の中に隠れていた正一に驚く。
正一はどうやら、軍事演習を抜け出してから九州に身を潜めていたようだった。正一は九州から今度は北海道へ向かうために道中で浅草へ立ち寄ったのだと言う。軍事演習では、度々鳴り響く音に精神的に参ってしまって抜け出したのだという。
その後、ふじや竹田も続々とオデオン堂レコード店に帰ってくるが、壊れた蓄音機の中にいる正一には最初は気が付かず、少し経ってからようやくびっくりしたように正一の存在に気がつくのだった。
信吉や正一たちは、お互いたばこをふかしていた。ふじは、自分がかつて松竹歌劇団に所属していてスターだったことを明かし、レコード店にポスターとして貼られている「青空」を歌う市川春代をライバル視していたことを告げる。

そこへ、みさをとみさをの夫となった軍人の源次郎(粟野史浩)が帰ってくる。源次郎は非常に忠実な日本国軍の軍人であるため、オデオン堂レコード店に置いているようなジャズなどの「敵性音楽」に該当するレコードやそのポスターを毛嫌いする。その頑固とした姿に対して、レコード店の人間は時には言い争ったものの和やかに接する。
また源次郎は、壊れた蓄音機に隠れていた男が軍事演習から脱走した正一であることを知るや否や、彼を厳しく追及する。
そして、源次郎は信吉や正一たちが吸っていたたばこを見ると、そのタバコに手を出そうとするが、彼の右手が義手であるがために取り出すことが出来なくて苛立つ。
そこへ、権藤がレコード店へやってくる。正一は急いで壊れた蓄音機に隠れる。権藤は、どうやら正一が九州にいたようだったのだが行き違いで、権藤たちが向かおうとした時はもう九州にはいなかったのだと言う。もしかして実家に隠れていたりはしないかと尋ねてきたのだという。ふじは、「北海道には絶対に行かないと思う」と言ってしまう。権藤は随分とピンポイントな発言をするとふじの発言を疑ってしまうが、ふじは慌てて正一は寒がりで北の地には行こうとしないと思うと理由を述べる。
時々蓄音機から男性の声が聞こえてきて権藤は怪しむが、蓄音機が壊れているのだと信吉は説明する。
そして最後に源次郎は、この家で正一を見ていないと嘘をつく。権藤は源次郎の言葉を信じて、この家には正一は来ていないのだと悟り帰っていく。恐る恐る正一は姿を現す。源次郎は、初めて国家の命に逆らって嘘をついてしまったと、自分の忠誠心の欠落に落胆する。夜空にはしし座が見えていた。

ここで幕間に入る。

写真引用元:ステージナタリー こまつ座 第146回公演「きらめく星座」より。(撮影:宮川舞子)


昼間、源次郎はオデオン堂レコード店に貼られている歌手たちのポスターを次々と剥がし、そこに天皇の肖像写真や日本が赤く塗られた日本周辺地図を飾る。源次郎は、こういった西洋まがいの歌手のポスターは好きではないと言う。
竹田は、小笠原一家の元にやってきて一つの卵を持ってくる。最近は戦争の兆しも強まってなかなか食料が手に入らなくなっていると言う。どこの店に行っても行列ばかりで、今できている行列が何の行列かも分からない始末。そんな中、竹田は一つの卵を手に入れたのである。卵はこのご時世では随分と貴重品、信吉と竹田と源次郎はちゃぶ台に卵を載せて、3人でその卵を囲んで卵料理を想像しながら楽しんでいる。
その時、みさをがお腹を抱えて苦しんでいる様子を見かける。どうやらみさをはお腹に赤子を授かったようであった。小笠原家の人間はみんなして大喜びをする。肝心の源次郎はその状況を読み込めず、リアクションが一番最後になる。
男たちは、つわりで苦しんでいるみさをに対して、遠慮せずに卵を食べろと強制的に振る舞ってくる。みさをは今は何も食べる気が起きないのだと説明する。
その時、今度は源次郎の右手が痛みだす。みさをは心配する。源次郎は右手の義手のことについて説明する。かつて源次郎は戦争で右手を撃たれてしまい義手となってしまった。それまでは何でも器用に熟すことの出来た源次郎は、右手を失ったということに精神的な痛みを抱えていた。自分では本物の右手はここにあると信じ続けることと、実際には義手であるということと。そこには大きなギャップがあって、そのギャップに悩まされているのだと言うこと。みさをは、今度九段にある病院で右手を見てもらおうと源次郎に言う。
その時、正一がボロボロの軍服を着て帰ってくる。北海道に行ったのかと皆が正一に尋ねると、正一は北海道にはたどり着かず途中で引き返してきたと言う。どうやら疲労が原因のようで足が動かないような状態だった。

夜、ふじは赤子を背中に背負っていると思ったらそこには風呂敷に包んだ大量の食料があった。ネギ、米、糸こんにゃく、豆腐、肉などがあった。これさえあればすき焼きが出来るではないかとテンションが上がっている。
源次郎を病院へ連れて行ったみさをも帰ってくる。どうやら源次郎は帰る道中で寄りたい場所があったらしく、みさをだけ先に帰ってきたようである。みさをは、源次郎の右手のことについて語る。これ以上痛むようならば別の病院を紹介すると。そして帰り道、靖国の辺りで一時停車した列車の中で、源次郎は何を見たのか右手が痛みだしたため、右手を隠したのだという。
そこへ、正一がオシャレなジャケットと帽子をかぶってやってくる。皆は驚き、正一は今は何をしているのかと尋ねると、正一は上海へ行ってきたのだと言う。日本と上海を行き来する船に乗り込んで、上海へ向かったのだと。上海は楽しくそこで買ったお土産も用意していた。しかし、その船には日本人も沢山乗っていたのだが、その態度が非常に悪くて日本人であることが恥ずかしく感じたのだと言う。
源次郎も帰ってくる。源次郎は、先ほどの靖国で一時停車した列車に乗っていた二人の軍人が、「蒋介石のおかげ」と密かに話していた所を聞いてしまったのだという。そして靖国で二人は降りていくと、彼らはそこで参拝を始めたのだと言う。源次郎は、その光景をみてこんな国家のために忠誠を尽くしていたのかと思い、右手が痛み始めたのだと言う。
正一と源次郎の話を聞いたみさをは、何やら重い大きな石のようなものを持ってきて、自分のお腹を叩こうとする。周囲の人々が止める。みさをは、こんな廃れた国に生まれてくるくらいなら、いっそ生まれてこない方がマシだという思いで、お腹の赤子を流産させようとしたのである。
そんなみさをの元に、竹田はやってくる。自分が人間を商品として売り出すのなら、地球というまるで奇跡のような星に生まれてきた命と文案すると言い、こうやって私たちが人間として生きていること自体が奇跡のようなことなのだから、そんな奇跡をありがたく受け止めて生きようではないかと言う。
星々が光り輝く。

12月7日の夜、小笠原家にはビールが配給される。このビールの配給品も本来なら夏に配給されるはずだったが、計画が大幅に遅れて今になったのだと言う。
今日の夜でオデオン堂レコード店は閉店し、この建物を国家へ明け渡すのだそう。そして小笠原家に集う人間も今日を持って皆バラバラの道を歩むことになる。一同はビールを開けて乾杯する。ふじは、少しオデオン堂レコード店に対して後悔が残っているが、それも含めて発散してビールを飲んでいた。
そこへ、二人の徴兵された若者(高倉直人、小比類巻諒介)がやってくる。二人はこれから戦地に赴くことになるが、最後にやりたかったことを二人で話し合った結果、このオデオン堂レコード店で市川春代の「青空」を聞くことだと一致し、それを聞かせてもらおうとやってきたのだった。ふじは少しムッとするものの承知する。しかし、蓄音機は壊れたままなので、森本の伴奏の元ふじが熱唱する。若者たちは大喜びする。
最後に小笠原家の家族全員が防毒マスクをつけてこちらを向く。ここで上演は終了する。

まず、幕間後の第2幕では、舞台セットも具体的に歌手のポスターから天皇の肖像写真や日本地図に変わっていくことで、次第に戦争の足跡が近づいていることをヒシヒシと感じさせられてよかった。食料もどんどん貴重品になっていく時代の移り変わりも非常にストーリーの中で感じられたし、戦争が生活を侵食していく残酷さを描いていて、反戦舞台として非常に機能していた。
しかし、そんな緊迫感のある舞台であるはずなのに、決して辛く悲しくなるシーンは多くはなく、基本的に小笠原家の人情溢れる明るいポジティブな会話が劇場を明るくしていて、戦争が起ころうとも人々が寄り添える場所、もっとも大事になってくるものというのが、人と人との繋がりなんだなと改めて感じさせてくれて好きだった。たしかに、井上ひさしさんが人というのが本当に好きなのだろうなと感じる一面というのが、こういう所でしっかりと表れているなと感じた。
あとは、今作の一番の見せ所は、『きらめく星座』というタイトルも付いていることから、竹田の地球に生まれた人間として生きられる奇跡という部分なのだろうなと感じるが、どうも個人的にはこの一番の見せ所が今作に対してしっくりこなかった。この箇所で涙を流していた観客もいたので、きっと感動される人は感動するのだろうなと思うが、私自身はどうもしっくりこなかった。メッセージ性が非常にベタ過ぎて現代人にとってはありふれている主張に感じてしまったというのもあると思う。ただそれだけではなく、あまり物語全体を通して星座というものがストーリーと繋がってこなくて、たしかに一幕の終わりでしし座に言及するシーンはあったが、物語全体に星座が絡んでくるのが竹田の人間として生まれてきたことへの奇跡だけな気がしていて、あまりうまく繋がっているとは感じなかったからかもしれない。あとは、人間を商品として売り出すならという仮定も個人的には好きになれなかった。こればかりは価値観の部分もあるかもしれないが、他の同世代の方々はどう感じたのか興味ある所である。

写真引用元:ステージナタリー こまつ座 第146回公演「きらめく星座」より。(撮影:宮川舞子)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

まるで昭和の日常を切り出して来たかのような再現度の高い戦前の世界観が広がっていて大満足だった。最近は「昭和レトロ」を売り出すものも増えてパッケージ化された昭和でありふれている気がするけれど、今作のような着飾らない自然体の昭和が空気感をうまく作っていて素敵だった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
ステージいっぱいに小笠原家の屋敷とオデオン堂レコード店が広がっていた。下手側が小笠原家の自宅、上手側がオデオン堂レコード店になっていた。
下手側は、一番下手には屋敷の奥へと通じる襖があって、そこを激しく開けしめするシーンが何箇所かに見られた。ピシャという音とともに閉まる感じがなんとも懐かしい。その上手側には畳の間が広がっており、中央にはちゃぶ台があった。ちゃぶ台のステージ奥側には神棚と日めくりが配置されていて、その横には上へと伸びる階段があった。その階段からひょこっと正一が顔を見せるシーンは印象的である。
ステージ中央奥には、例の壊れた蓄音機が置かれていた。サイズはとても大きく、最初私はそれが蓄音機だと分からず、巨大な人が一人中に入れる箱だと思っていた。そのくらいサイズが大きい。その手前には、大きな段差があって、ここで小笠原家の自宅とオデオン堂レコード店が仕切られていた印象だった。この段差を演出に活かして、滑稽なシーンもいくつか取り入れられていた。
上手側はオデオン堂レコード店の店舗になっていて、一番上手奥には店の出入り口となるでハケがある。そこからレコードがぎっしり並んだ背の低い棚と、壁紙が貼られている。その手前には森本が演奏するピアノが一台設置されていて、その手前は広々とした空間となっているが、基本的にはそこに竹田がいた印象。
また、ステージの一番手前側は家の外になっていて、そこから正一がよく姿を現していた。
装飾といったら、上手側のレコード店の入り口の頭上あたりに「オデオン堂」と豆電球によって光り輝く看板があり、その「オデオン堂」は左右で逆転していた。また、壊れた蓄音機の上の壁面には、第一幕では市川春代の「青空」のポスターともう一つ歌手のポスター(名前を忘れた)が貼られていた。しかし、第二幕になると、その歌手のポスターは源次郎によって剥がされ、代わりに天皇の肖像写真が飾られ、日本の部分が赤く塗られた日本周囲の地図に貼り替えられていた。
全体的な舞台装置の印象としては、無理に昭和レトロを作りすぎていない自然な世界観が素晴らしくて、例えば障子が一部色あせていたり、一部だけ新しいものに張り替えられているといったリアルな古めかしさが残っている点にリアリティを感じた。

次に舞台照明について。さすがは栗山民也さんの演出ということもあって、舞台照明は抜群にセンスあると感じていた。
まず印象に残ったのは、なんと言っても舞台上に星々が輝いて宇宙空間を表した演出。単純に暗転してステージ上に小さな豆電球のような明かりを吊るして輝かせているのだと思うが、その光の明るさがどれもバラバラで夜空をしっかりと再現している点が素敵だった。今作のテーマにもなっている「きらめく星座」を表すのだが、この星というのは人のメタファーの意味もあると思う。地球が奇跡の星であるのならば、私たちの命もたまたま存在して生きているという奇跡である。そして人々の温かさは星々の光の煌きとも対応している。だからこそ、光の輝き方がバラバラというのは人間の個性も表しているような気がしていて、凄く素敵だと感じた。また、映像とは違って舞台なのでその星が沢山舞っている演出に奥行きも感じられて、よりリアルの星空に近い感じがして良かった。
あとは、細かい照明演出になるが、最後のシーンで中央にある日本地図の日本の部分にだけ光が差し込んでいる演出がとても印象的だった。とても不気味な感じの演出で、まるで日本が裏では邪悪な国家であることを示すような演出に思えて効果的だった。
それと、みさをが自分のお腹の子供を死産させようとしたシーンで、竹田が地球と星の話をするが、そのときにステージ上に照らされる青白い照明が神秘的で好きだった。栗山さんが演出する夜の明かりは決まって神秘的で魅了される。
第二幕が開始する時の、明け方のような明かりが差し込んでいるシーンの照明も、それ以外のシーンと照明の入れ方が全く違っていて見ごたえがあった。

次に舞台音響について。
井上ひさしさんの作品というだけあって、明るい滑らかなピアノの伴奏による音楽劇に心がじんわりと温かくなった。井上ひさしさんの作品を観て、心がポカポカと温かくなる一番の要因は、このピアノ演奏による音楽の優しいメロディにあると思う。人情あふれる和気あいあいとした昭和の日本人には、こういったピアノで優しく温かく語りかけてくるような音楽が一番似合っている。非常に役者の方たちも楽しそうで、それだけでもポカポカと温かくなる。
一番好きな音楽は、やはり序盤で登場する「月光価千金」。有名な曲なのでどこかで聞いたことがあったからこそ、馴染みやすくて一気に音楽に入り込めた。それ以外の楽曲も和気あいあいとしていて楽しそうな楽曲が多くて、とても戦前の緊迫感を感じさせない曲調が素晴らしかった。

最後にその他演出について。
やはり個人的に一番見どころに感じたのは、第一幕では国に忠実だった源次郎が、小笠原家の人情に触れていくうちに徐々に硬い感じが緩和されていって、最後には国を見限るようになっていくということ。その源次郎の変わりように見応えを感じた。それと同時に、徐々に戦争の兆しが訪れて小笠原家の装飾も戦争一色に染まっていく箇所に苦しさを感じられる。本当に戦争の生きづらさを描くのが井上ひさしさんは上手いなと思う。映画とかでは伝わらない、生だからこそ感じられる戦争の恐ろしさを訴えかけられたように思えた。こういう反戦の描き方もあるのだなと思った。
あとは、源次郎の右手の義手が気になるところ。最初源次郎の右手が義手であることを、タバコが開けられなくなっているシーンでようやく気がついた。タバコが開けられないというのは、彼がまだ小笠原家に馴染めていないことを示した演出だと私は解釈しているが、それは一方で、源次郎が自分の右手が他の人間と同じように正常に機能すると思い込んでいるという精神的な病も抱えていることも同時に表わしていると思う。自分の手をこんな状態にさせてしまったのは、戦争を起こした日本国である。だからこそ、靖国でのあの日本軍の態度が、源次郎にとっては癪に障ったのだろう。源次郎は、右手が義手であるというのをいつ受け入れるのだろうか。きっとそれは、源次郎が小笠原家の人間と馴染んで本当の自分を取り戻した時なのだろうなと思う。その時には、きっと源次郎は日本軍の軍人としてはいられないだろうと思う。
その自分を取り戻すということと少し関連するかもしれないが、劇の序盤と終盤で防毒マスクをした小笠原家が登場するのが面白い。戦時中は日本国のために自分のしたいこと欲求などを隠して生きていかないといけない。そんなことを象徴するかのような防毒マスクの登場だった。

写真引用元:ステージナタリー こまつ座 第146回公演「きらめく星座」より。(撮影:宮川舞子)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

とにかくどの役者の方も皆素晴らしかった。彼らが表現する演技はどれも自然な昭和を感じられたし、それに加えて昭和って良い時代だったのだなと改めて感じさせてくれる明るい演技だった。もちろん、戦争がやってくるという点では暗い時代だったと思うが、だからこそ人との繋がりは良いものだったのだなと痛感させられた。
特に印象に残った役者について記載していく。

まずは、小笠原信吉役を演じた久保酎吉さん。久保さんの演技は、先日赤堀雅秋さん演出の『蜘蛛巣城』で演技を拝見している。
凄く優しそうで明るく元気に振る舞うひょうきんな信吉の姿が非常に微笑ましくて、久保さんがその辺りをしっかりと好演されていた印象。凄くはまり役で信吉役をやり慣れているというのもあるかもしれないが、無理が全くなくて自然に感じられた。

次に、小笠原ふじ役を演じた松岡依都美さん。松岡さんは昨年(2022年)11月に上演された『夏の砂の上』で演技を一度拝見している。
『夏の砂の上』では、役柄があまりハマっていないように感じていたが、ふじ役はしっかりとハマっていて非常に元気を貰えるキャラクターとして魅力を感じた。松岡さんは非常に元気のある役者なので、こういった明るくポジティブでよく笑う感じの昭和の奥さんの役はハマっていると思う。
特に印象に残ったのは、松竹歌劇団で好成績を修めていたが、市川春代が売れてしまってそのことに対して嫉妬していること。非常に人間らしくて面白いエピソードだった。さらにラストでは、徴兵された二人の若者が市川春代の代表作である「青空」を聞きたいと言ってきたときに、ちょっとムッとした様子をしていたのが印象的で笑ってしまった。

小笠原正一役を演じた村井良大さんも素晴らしかった。村井さんの演技は、昨年(2022年)8月に瀬戸山美咲さん演出で『スラムドック$ミリオネア』で演技を拝見している。
村井さんのあの独特な体の使い方と演技の上手さには本当にしびれた。村井さんの演技って、他に誰も出来ない気がしていて、彼独特の良さがしっかりと正一という役にハマっていたように思える。
見つからないように蓄音機の中に隠れたり、度々小笠原家に登場するが服装が毎度違うので、その登場の仕方もどこか滑稽に思える。その滑稽さがしっかりと井上ひさしの昭和音楽劇の滑稽さに見事にハマっていて素晴らしかった。村井さんは万能な役者であると同時に、唯一無二のキャラを持っているので本当にすごいなと思う。

みさを役を演じた瀬戸さおりさんも良かった。
瀬戸さんの演技は久々に観劇したが、今回の役は非常におとなしい感じの役で、特に目立って主張するような感じの役ではなかったからか、やや印象は今までの芝居よりは薄かったように感じた。
それでも、瀬戸さんはこういった時代劇は本当に似合うなとつくづく感じさせてくれる。また色んな作品で芝居を拝見したいと思う。

個人的に一番好きだったのが、源次郎役を務めた粟野史浩さん。粟野さんの演技は、劇団チョコレートケーキの『帰還不能点』で拝見している。
体格も非常に筋骨隆々でよく、いかにも戦前の軍隊では重宝されそうな人材という感じがした。国に忠実で厳格でルールに厳しく、あの勇ましい立ち振舞に魅了された。そしてここからがポイントだが、そういった源次郎が小笠原家の影響を受けて徐々に自分自身の心を開き始めて素直になっていく所、そこには右手を失っているという事実も絡んでくるからかもしれない。そういった変化を感じさせてくれたあたりが一番、この源次郎を好きになれるポイントだった。
権藤に対して、初めて正一を見かけていないと嘘をつく時、自分は嘘をついてしまったと自分を攻めるが、その光景も凄く印象に残って居た堪れなくなった。そこには国に背いたという罪悪感も背負っている感じを受けて、ルールを絶対的に守ってきた彼だからこそなかなかの苦しさがあったのだろうなと察してしまう。そういう点も含めて魅力的なキャラクターに感じた。

写真引用元:ステージナタリー こまつ座 第146回公演「きらめく星座」より。(撮影:宮川舞子)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

私自身、井上ひさしさんの作品に触れること自体は、虚構の劇団で上演された『日本人のへそ』と今作の2度しかない。しかし、『日本人のへそ』を観劇した時に受けた印象と今作で受けた印象はだいぶ違うものがあった。もちろん演目が違うというのもあるが、「こまつ座」で上演された井上ひさし作品を観劇するのと、それ以外の団体が井上ひさし作品を上演するので大きく違うからではないかと考えている。
ここでは、『日本人のへそ』を観劇したときの印象と比較しながら、「こまつ座」の井上ひさし作品について考察していこうと思う。

私が初めて井上ひさし作品に触れた、虚構の劇団版の『日本人のへそ』は、全く飽きずに非常に面白く感じさせて頂いた。和製ミュージカルというものを観劇すること自体が初めてだったという新鮮さもあったからかもしれないが、浅草全盛期のあの活気づいた感じや、劇中劇としての伏線回収的なトリックも面白かった。
一方で、「こまつ座」版の『きらめく星座』は、同じ和製ミュージカルの井上ひさしさんの作品であるにも関わらず、実をいうと体感時間が長く感じられて、途中集中力を切らした箇所も何度かあった。それだけ、虚構の劇団版と比較すると没入感に乏しかった。

では一体、なぜ私は「こまつ座」の井上ひさし作品にそこまで没入出来なかったのだろうか。
これは私の中での推測になってしまうのだが、おそらく「こまつ座」は今回の上演の作風、スタイルで長い時間井上ひさし作品を上演してきたのだと思う。「こまつ座」は歴史のある演劇創作団体であるから、従来のファンという層も沢山いるのだろう。だからこそ、今回の客層も非常に年齢層高めだったのだろうと思う。彼らはきっと何年もの間、「こまつ座」の作品を観てきている常連たちだと思う。
だからこそ、「こまつ座」で上演される作風/スタイルもずっと変わらないままなのではないかと思う。多少のアレンジはあったかもしれないが、大きな演出の仕方の変更はなかったのではないかと思う。そのため、その演出手法が古臭い部分がある可能性も十分あると思う。それが悪い訳ではなく、何十年も前からよしとされてきた演出手法だから、そこを「こまつ座」としては提供するのである。

しかし、時代というのは変化するものであり、時代の世相を反映する舞台というものはその時代の変化に伴って変わっていく醍醐味もあると思う。
おそらく虚構の劇団版の『日本人のへそ』は、初めて井上ひさし作品を観劇する観客にとっても馴染みやすいようにエンタメ的に創られた側面は強かったと思う。梅津瑞樹さんのような2.5次元俳優も出演しているので、若年層にも刺さるような演出手法によって井上ひさし作品を立ち上げていたように感じる。
だからこそ、虚構の劇団版の『日本人のへそ』が合わないという層も一定数いた。当時、なぜしっくりきていないのかが私自身は腑に落ちなかったが、「こまつ座」版の井上ひさし作品を観劇したことで、多少はその理由が分かったように思える。

「こまつ座」による井上ひさし作品は、むしろ従来の演劇ファン、井上ひさしファンに刺さるような演出になっていると思う。だからこそ、タイパというのはあまり意識していなくて劇中に出現する無音や間にも意味があって、そこを大事にしているように感じた。しかし、私にとってはそういった間が間延びにも感じられてダレてしまう一因にもなっているような気がしてしまった。
あとは演じている俳優の年齢層も比較的高いのもあると思う。たまに台詞が聞き取れなくて、そういった箇所から没入感が薄く感じてしまったのではないかと思った。

井上ひさし作品を上演するだけでも、演出家や団体によってこんなにも違うものなのかと改めて痛感させられた。
井上ひさし作品をこれからも「こまつ座」だけでなく、他団体の上演も含めて沢山観劇して視野と知見を広めていけたらと思う。

写真引用元:ステージナタリー こまつ座 第146回公演「きらめく星座」より。(撮影:宮川舞子)


↓井上ひさしさん作品


↓栗山民也さん演出作品


↓久保酎吉さん出演作品


↓村井良大さん出演作品


↓瀬戸さおりさん出演作品


↓粟野史浩さん出演作品


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