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舞台 「帰還不能点」 観劇レビュー 2021/02/27

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【写真引用元】
劇団チョコレートケーキ公式Twitter
https://twitter.com/geki_choco

公演タイトル:「帰還不能点」
劇団:劇団チョコレートケーキ
劇場:東京芸術劇場 シアターイースト
作:古川健
演出:日澤雄介
出演:岡本篤、今里真、東谷英人、粟野史浩、青木柳葉魚、西尾友樹、浅井伸治、緒方晋、村上誠基、黒沢あすか
公演期間:2/19〜2/28(東京)、3/13〜3/14(兵庫)
上演時間:約120分
作品キーワード:戦争、日本史、会話劇、考えさせられる、重厚
個人評価:★★★★★★★☆☆☆


明治から太平洋戦争までの日本史、特に戦争ものを題材として創作を加えながら作品作りをする劇団チョコレートケーキの舞台作品を初観劇。
今回の作品は劇団チョコレートケーキの新作公演であり、内容は1941年(昭和16年)に各官庁・陸海軍・民間企業からエリートを選抜し、世界との総力戦に向けて組織された総力戦研究所の第一期生が、終戦の5年後に再び集まって戦時中の思い出話や本音を語り合う会話劇。
私自身が太平洋戦争時の歴史に詳しくないため深く考察することが出来ないが、会話劇全体を通して役者たちから感じられた、太平洋戦争という大きな時代を乗り越えて色々大変だったがその苦労の思い出に浸る感じが観ていてとても居心地が良かった。凄く役者陣全体に一体感があって洗練された感じが、流石長年役者をやっていらっしゃる方々の底力なんだろうなと染み染み感じた。物凄くNHKの時代劇ドラマ(大河ドラマや「その時歴史が動いた」など)を観ているような感覚で、舞台全体に流れる空気感が凄く重厚且つ落ち着きがあり、そこに流れるチェロの音楽が絶妙だった。
前半は元第一期生たちが演じる戦時中の内閣会議の寸劇がメインで軽快に物語が進行するが、後半は元一期生たちが終戦後も持ち続ける苦悩の核心を突いたような緊張感のある展開になる。この終盤への畳み掛けが非常に感動して素晴らしかった。
歴史好き、大河ドラマ好きには観て欲しい舞台作品。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/news/417125


【鑑賞動機】

以前から気になっていた劇団だったから。昨年2020年7月末に上演されていた新作公演「無畏」を観劇したかったのだが、コロナ禍ということもあり客席数を減らしての上演だったのでチケットが取れず終いだった。今回はリベンジも兼ねて(作品名は違うが同じ劇団ということで)観劇することにした。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

舞台は1941年(昭和16年)の夏、日本軍が南部仏印(現在の東南アジア)へ進軍するか否かを意思決定する会議の場から始まる。陸軍軍人以外は今の日本軍の戦力とアメリカとの戦争が不可避になることを考慮して進軍することに反対していたが、陸軍軍人は断固として進軍することを強く要求する。そして総理大臣の意向も南部仏印への進軍は避けられないとして、結果的に進軍することが決定してしまう。

終戦から5年後、岡田一郎(岡本篤)という人物が居酒屋に現れる。彼は、1940年(昭和15年)に創立された各官庁・陸海軍・民間からエリートを選抜して総力戦体制に向けた教育・訓練を施す機関である総力戦研究所の第一期生である。岡田は、総力戦研究所の同期で仲の良かった山崎進次郎の死を知り、当時の同期を集めて彼に献杯を捧げて飲み会を企画していた。その居酒屋として、山崎の妻である山崎道子(黒沢あすか)の営む店を選んだ。
早く店に到着した岡田は、道子と山崎のことについて話す。山崎はどうやら過去の事を全く話さなかったらしく、岡田と共に総戦力研究所にいあたことも知らなかった様子である。

続々と総力戦研究所の同期たちが居酒屋に集まってきた。全員揃うと山崎に向かって献杯し、飲み始める。どうやら山崎という人物は、頭が物凄く良く計算も早いが寡黙であったためあまり仲の良かった人はいなかったようである。
そして太平洋戦争の話になる。総戦力研究所の第一期生であった者の中で、日本がアメリカに敗戦すると予想していたのは全員であることが分かる。当時の総力戦研究所の第一期生たちによって行われた、日米戦争を想定した机上演習(シュミレーション)である模擬内閣演習では、シュミレーションの結果は日本の必敗となっていた。その結果からも、その当時から日本がアメリカに負け戦を仕掛けるようなことだということは皆分かっていた。
しかし、その事実を知っていたのは当時政治に関わっていた人間だけであり、道子を含め何も知らされていなかった国民は日本がアメリカに勝てるものだと思っていた。

ただ総力戦研究所の第一期生たちは、あのアメリカとの戦争を止めることは出来なかったと口を揃えて言う。その理由として、日中戦争を泥沼化させた時の内閣総理大臣である近衛文麿の存在を上げる。彼は高貴な家柄出身の政治家であるが故、世間知らずで評判も悪かった。総力戦研究所の第一期生たちも皆近衛文麿のことを悪く言い出す。
そこで、第一期生たちは近衛内閣が成立して日中戦争が勃発した当時の内閣の様子を寸劇で演じる。この時近衛文麿を久米拓二(今里真)が演じる。
次に日独伊三国同盟が締結され、日本軍が中国へと進軍していく最中の内閣の様子を寸劇で演じる。(たしか)

しかし、1939年(昭和14年)に日本が知らぬ間にドイツがソ連と不可侵条約を締結しており事態が急変する。再び内閣総理大臣に成り上がった近衛文麿は、外務大臣に松岡洋右を抜擢する。この近衛文麿と松岡洋右の2人が日本を戦争へ導いてしまったと口を揃えて言う。
この時の寸劇を第一期生たちは演じる。たしかこの時は近衛文麿を城政明(粟野史浩)が、松岡洋右を泉野俊寛(西尾友樹)が演じる。そしてずっと影に潜めていた岡田も何か役をやれと言われ、渋々苦手な寸劇をすることになる。
近衛文麿と松岡洋右は、ドイツがソ連と不可侵条約を結んだことを逆手に取り、ドイツ、イタリア、日本、ソ連の四国同盟を結ぶことによってユーラシア大陸の一大勢力となることを夢見ていた。そうすれば日本は前からドイツに加味していた勢力ということもあって立場上良いポジションにつけると。そこで北部仏印進軍(現在のベトナム)の決定がくだされる。

しかし1941年(昭和16年)6月、日本にとってまたしても予期しない展開が起こった。ドイツが不可侵条約を結んだはずのソ連と戦争を始めたことである。これに驚いた日本陣営はすぐさま大本営政府連絡懇談会を開く。この時の様子も寸劇で演じた。
松岡洋右はソ連が敵に回って攻めかかってくるようなことになると、恐ろしいことになると不安していた。南部仏印へ攻め寄せればアメリカが日本を警戒し、アメリカとの全面戦争になると考えたからである。しかし戦争を続けていく上では、どうしてもゴム資源が必要になる。そのゴム資源は南部仏印(現在のラオス・カンボジア)に大量にあり、そこに攻め入って確保する必要があると言う官僚たちも居た。
ゴム資源確保という急務に押された松岡洋右は、渋々南部仏印への進軍を認めた。しかし、これが後々考えてみれば全面戦争を回避することの出来ない「帰還不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)」だった。

日本軍が南部仏印に進軍した結果、予想通りアメリカは日本を警戒して「石油禁輸」措置をされた。これによって官僚たちは、どう考えても負け戦となるようなアメリカとの全面戦争へと突入してしまったのである。よくよく考えてみれば、仮にドイツ、イタリア、ソ連、日本で四国同盟を結んだところで、アメリカとの全面戦争ともなれば地理的に一番被害を被るのはアメリカから一番近い日本だった。もうその時点から、日本政府の考えは甘すぎたのである。
日本は1941年(昭和16年)12月に真珠湾攻撃を行ったことで本格的に太平洋戦争が勃発。そこから日本はますますアメリカからの攻撃を受けるようになり、1945年(昭和20年)8月15日に終戦した。
近衛文麿は東京裁判で裁かれる前に服毒自殺した。松岡洋右は刑務所の中で結核にかかって獄中死した。そして戦犯ではあるものの、ほぼアメリカとの全面戦争の流れが作られた上で内閣総理大臣となった東条英機がA級戦犯として処刑された。

岡田は終戦後、総力戦研究所を離れて官僚になることも可能ではあったが、そのような選択肢は取らなかった。官僚にはならなかった理由について語り始める。
岡田は1945年(昭和20年)8月6日に広島に原爆が落とされた時、丁度広島に出張していた。岡田自身は軽いけがをした程度で済み、放射能を浴びることもなかった。しかし、原爆によって広島が焼け野原になって多くの人が犠牲となった光景を見て、官僚として働いていた自分に対して責任感を物凄く感じたと岡田は話す。どこかでこんな事態になることを止めることが出来なかったのかと自問するのだと。だから自分は官僚には戻れなかったのだと言う。
しかし周りの元第一期生たちは、自分たちにはどうすることも出来なかったと、先ほどの軽い空気感とは裏腹な殺伐とした雰囲気を作りながら返す。

その時、道子が山崎進次郎と出会った時のことを語ってくれる。
道子は実は進次郎と結婚する前に結婚しており子供もいた。しかし、戦争の空襲で夫も子供も失ってしまった。道子自身も体に複数の怪我を負っている上に歩けなかったので、このまま死んでしまおうと思っていた。
そんな時に進次郎に出会った。進次郎は彼女を助けた。まだ命があるのにここで命を投げ出さないで欲しいと言わんばかりに。道子は進次郎のおかげで生きる希望を見出すことが出来た。進次郎も病気で妻を亡くしていた身だったので、進次郎と道子は結婚した。
そしてこの前、進次郎は病気で息を引き取っていた。

そんな道子の今までの生き様を聞いた元第一期生たちは、最後に帰還不能点とされる内閣会議において、時の内閣総理大臣を戦争へ導かないように説得し、アメリカとの全面戦争を避ける形となる寸劇を演じて物語は終了する。

前半は昭和のオジさんたちが飲み会でウカレているような軽快な感じだが、でもそこには戦争を経験したという重々しさも伺えるような絶妙な雰囲気だったが、後半の岡田のモノローグから始まる「官僚だった自分たちはこれで良かったのか」という自問と悩み・葛藤が垣間見られるシリアスな展開への持って生き方が非常に良かった。
そして、道子が演じる進次郎に出会った時の寸劇で語られる戦争の悲惨さが映像として浮かび上がってきて凄く良かった。
そして、脚本的にはやはり歴史背景をしっかり理解していると非常に楽しめる作品になっていると思った。自分は太平洋戦争史は詳しくなかったので、中学レベルの日本史の知識しかなかったので、松岡洋右という人物を初めて知ったり、天然ゴムが戦争の必需品だったりと前提を把握していなかったので、そこらの知識がもっとあれば没入感は高かったと思っている。
それにしても、日本史をベースにここまで脚色してメッセージ性を磨いて作品にしてしまう、脚本家の古川健さんを個人的には物凄く評価したい。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/news/417125


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

今作品の世界観としては、シンプルではあったが舞台装置・照明・音響と質が高かったのでそちらについて触れていくのと、個人的に好きだった演出箇所について触れていく。

まずは舞台装置だが、中央にコの字型の木造の簀子のような縦長のオブジェが特徴的で、その前に居酒屋の卓となるテーブルが3つと、その後ろに道子が立つカウンター(これも木造)が設置されている。舞台中央の一番後方には、居酒屋の入り口となるような暖簾の下がった出ハケが用意されていた。
舞台装置としてはこれで全てで、かなりシンプルな空間となっているが、コの字型のオブジェに照明が当たるとなんとも美しく映える。

その照明についてだが、基本的には黄色い照明が照らされていて、岡田が企画した現在の飲み会の場での照明は普通な演出である。
しかし、寸劇を演じる時の照明は少し薄暗く青くなる。この時にコの字型のオブジェにかかる照明が美しかった。ちょっと薄暗くなるので、その分舞台空間も暗く重苦しくなって内閣会議の臨場感が出るあたりが好きだった。
また、中央のスポットだけが当たって、道子と進次郎が出会うシーンの寸劇が非常に良かった。2人にだけスポットが当たるが、ちゃんと薄暗く周囲の役者たちも見える状態で明かりがついているのも好き。戦争の悲惨さ、酷さを物語るような照明効果だった。
そして最後の、元第一期生全員で南部仏印進出を止める寸劇のシーンの、未来を思わせるような白く明るい照明も印象に残った。あの時の照明がたしか一番明るかった。そして、その時にコの字型のオブジェに映し出される反射がとても美しかった、照明効果のクオリティの高さを感じた。

次に音響だが、今作は本当にチェロの音楽の絶妙さに尽きる。
客入れ時に音楽はかかっておらず、開演して暗転する前からチェロの音楽が流れ始める。そしてそのチェロの音楽のボリュームがどんどん大きくなっていくように暗転していく。あの導入は完璧だった。凄く舞台の世界観に上手く誘ってくれた。
そこからの、チェロの音楽がフェードアウトしてセミの鳴き声から始まる冒頭も凄く素敵だった。非常に舞台音響が丁寧に作り込まれて洗練されている印象を受けた。
また、中盤の寸劇のシーンでもチェロの音楽が流れていたが、選曲といい、ボリュームといい、音程といい、曲調といい全てが絶妙過ぎて鳥肌立った。これほどまでにピタリと劇中曲がハマっている作品も珍しいというくらい良かった。

そして演出部分で特筆したい箇所を記載していく。
まず気になったのが、冒頭シーンの内閣会議で南部仏印への進軍が決定してしまう箇所で、中央に座る官僚たちが客席に対して背を向けて座っている光景が凄く特殊で妙だった。基本的には俳優は客席に対して背を向けないものなのだが、敢えてこのような構図にした理由はなんだろうか。劇中の台詞から舞台正面後方に内閣総理大臣が座っていると想像できる(はず)ので、総理と向き合うように座っているということなのだろうか。それにしてもなぜ総理のポジションを舞台中央後方にしたのか。観客の位置って国民側だから、観客に背を向けるということは、これはきっと国民の意志を尊重せずして戦争へと駒を進めてしまったという構図を敢えてポジションで再現しているということなのだろうか、気になる。
次に、寸劇をする時に小道具を使っているあたりが面白かった。近衛文麿役はえんじ色のたすきのようなもの(たしかに近衛文麿は史実でもたすきをしていた記憶)、それから松岡洋右役は帽子を被って入れ替わり立ち替わり演じていたのが印象的。また、泉野が持っていた傘も印象的だった。
最後は、冒頭の南部仏印への進軍の決定により戦争へと進んでしまう一方で、最後のシーンでは戦争を回避するというポジティブなシーンで終わっており、冒頭と最後で対比構造になっている点も面白かった。またこれが、冒頭は暗く現実で、最後は明るく理想という形で設計されているのがなんとももどかしく感じた。これによって日本に明るい未来(高度経済成長期)が来たのだから、それを暗示する良い終わり方なのかなとも思った。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

今作に出演されているキャストさんは、本当に役作りが洗練されていて一体感となって、戦後の昭和の懐かしく人間の温もりを感じられるような空気感が非常に好きだった。まるでNHKの大河ドラマや、「その時歴史が動いた」のような真面目な歴史番組に登場する重々しく重厚で洗練された空気感というものがそこにはあった。非常に落ち着いていて肝がしっかり座っていて磨きのかかった演技が非常に素晴らしかった。
中でも、個人的に素晴らしいと思った役者を取り上げて詳しく見ていく。

まずは主人公の岡田一郎役を演じた劇団チョコレートケーキの岡本篤さん。岡本さんは非常に小太りな感じで可愛いオジさんといった感じ。喋り方にも癖があって、どんな役も器用にこなせるような役者ではなさそうだが、今回の岡田一郎という役柄はこれでもかというくらいピタリとハマっていた。
凄く真面目な性格が滲み出るように感じられて、特に印象的だったのはモノローグのシーンで、このまま戦時中に官僚としていながら、戦争は避けられなかったで終わらせてよいのかと悶々と悩み続ける真面目さが、他の元第一期生に比べて非常に強く感じられて好きだった。あのモノローグのシーンで突走って語る勇気というのもあると思って、個人的にあのシーンはいつ周囲の同僚がキレだすだろうかとヒヤヒヤしながら観劇していた。
そういう空気感が作れるというのも、岡本さんのハマり役があってのことだったのだと思った。

次に、今回のキャストの中では紅一点だった山崎道子役を演じた黒沢あすかさん。
まず、あの居酒屋の店主っぽさが物凄く人間味溢れていて好きだった。こんな居酒屋にあんな店主さんがいたら、通い詰めてでも飲みに行ってしまう(それは言い過ぎか笑)。それくらい人当たりの良い店主さんに感じられて好きだった。
そして一番驚いたのが、道子と進次郎が出会うシーンで戦争によって足を怪我しており、心も荒んで死のうと考えていた場面での道子の演技。まるで別人とも思えるくらい憤ていて、周囲の人間を寄せ付けないような迫力がそこにはあった。そのギャップが物凄く良くて感動した。

そして、千田高役を演じたDULL-COLORED-POPの役者である東谷英人さんの演技も素晴らしかった。
東谷さんの演技は、2019年12月に観劇したDULL-COLORED-POPの「マクベス」でマクベス役を演じた以来の2度目の観劇になる。「マクベス」の時も思って、そして今回も改めて思ったが、東谷さんは声に独特な迫力があって素敵だということと、「マクベス」とか今作のような歴史ものの作品のようなお固い作品の役柄が似合っているように思う。そしてスーツ姿がとても良く似合う。
また東谷さんには劇団チョコレートケーキの芝居にも出演して欲しいし、他の舞台でも演技を拝見したいと思った。

その他だと、久米拓二役を演じたファザーズコーポレーションの今里真さんの演技も好きだった。今里さんは、久米という役もあってか久米宏にも見えてくる。「23階の笑い」でお目にかかった山崎一さんのようなひ弱なオジさんぽさが窺えて好きだった。そしてスーツがよく似合っている。
また、城政明役の文学座の粟野史浩さんのいかにもビジネスマンで力強そうなオジさんも凄くはまり役で良かった。岡田の頭を引っ叩く演技がなんとも強烈だった。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/news/417125


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今回初めて劇団チョコレートケーキの舞台作品を観劇したが、非常に完成度が高く洗練されていて素晴らしかった。エンターテインメント性でいったら一般ウケはしないと思うので、劇団四季のように万人にオススメとは言い難いが、歴史好き特に大河ドラマとか「その時歴史が動いた」のようなNHKの時代劇が好きな人なら絶対楽しめる作品だなと思った。そんな洗練された舞台作品に出会えたことに感謝している。

舞台作品としてのクオリティもそうなのだが、よくここまで日本史を調べ上げて脚本に出来るなあという部分にも凄さを感じた。自分は太平洋戦争の日本史は詳しくないのであまり深く考察できないが、公演チラシには参考文献として実に10冊ほどの書籍が記載されていて、それらを読み込んで脚本作りをするって相当な覚悟と歴史への憧れがないと出来ないと思った。

そんな太平洋戦争に突入してしまった日本を描いた今作だが、個人的に一番刺さったのが、岡田一郎のモノローグでもあるような官僚という立場として戦時中の政治に携わったにも関わらず、戦争は不可避だったとして責任逃れをして良いのかという自分自身への責任の重さから来る悩み・葛藤である。
これは戦後を描く作品であるならばよく取り上げられるテーマかもしれない。例えば、NHKの朝の連続テレビ小説の「エール」で主人公として取り上げられた古関裕而という作曲家は、戦時中は国からの命令で軍歌を沢山作曲せねばならず、戦後は自分の作曲した曲によって若き青年を沢山戦場へ送り込んでしまったという責任を物凄く感じたという逸話は有名である。
きっと太平洋戦争終戦時の日本では、この岡田や古関裕而のような自責の念に悩む人はきっと多かったのだろうと思う。

岡田はこの自責の念があったからこそ官僚として戻ることは出来なかったのだが、そういった自責の念は姿形を変えて現在の日本にも存在するものだと思う。
以前私は「新聞記者」という映画を観たことがある。この作品は、内閣情報調査室に勤める若き官僚が、国の不正を暴こうと奔走するが結局新聞に掲載した内容は誤報であり始末されてしまうという物語である。
どうしても国家公務員として働いている身柄であると、勿論自分の意志で仕事をすることは出来ないし、自分の信念に反しているようなことを国家の仕事としてやらなければならない時だって出てくるだろう。たとえその仕事が、国民の意志に反するようなことだったり、国民を裏切るようなことであったとしても。
今作では岡田という官僚としての男が、官僚であるが故に国の意向に歯向かうことは出来ず、結果的に日本を戦争へと推し進めてしまった。推し進めてしまったというか、押し進む事態を容認してしまったというべきか。
映画「新聞記者」では、主人公の若き官僚は行動を起こすが、周囲の官僚は時の内閣の権威には逆らえないと知っているので、たとえ国民の裏切るような行為でも黙認していた。
だからこそ戦時中の官僚もそうだが、今を生きる官僚にだってきっと国民を裏切りたくないけど、国家の圧力によって国民を裏切らなければならないようなしがらみが存在し、そのしがらみに呪われている官僚は沢山いるのだろうなと思った。

そう考えると今作品を観劇して、改めて官僚として働いている方々に対して尊敬の眼差しを向けることが出来た。勿論自分は官僚に憧れて官僚になることはおそらくないが、そういった自責の念に耐えながら官僚として働いている人々がどこかにいると考えると、彼らをリスペクトせざるを得ないのではないかと思った。



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