記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

舞台 「蜘蛛巣城」 観劇レビュー 2023/02/25


写真引用元:KAAT神奈川芸術劇場 公式Twitter


公演タイトル:「蜘蛛巣城」
劇場:神奈川芸術劇場 ホール
劇団・企画:神奈川芸術劇場
原脚本:黒澤明、小國英雄、橋本忍、菊島隆三
脚本:齋藤雅文
上演台本:齋藤雅文、赤堀雅秋
演出:赤堀雅秋
出演:早乙女太一、倉科カナ、長塚圭史、中島歩、佐藤直子、山本浩司、水澤紳吾、西本竜樹、永岡佑、新名基浩、清水優、川畑和雄、新井郁、井上向日葵、小林諒音、相田真滉、松川大祐、村中龍人、久保酎吉、赤堀雅秋、銀粉蝶、新井天吾・田中誠人(Wキャスト)
公演期間:2/25〜3/12(神奈川)、3/18〜3/19(兵庫)、3/25〜3/26(大阪)、3/30(山形)
上演時間:約2時間15分
作品キーワード:時代劇、エンターテイメント、殺陣
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆



ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇の一つである『マクベス』を下敷きに、日本の戦国時代の国盗り合戦をフィクションで描いた日本の映画界の巨匠である黒澤明の名作『蜘蛛巣城』を、赤堀雅秋さんの演出によって舞台化。
『蜘蛛巣城』の舞台化自体は、2001年に齋藤雅文さんの作・演出によって中村吉右衛門さん主演で歌舞伎公演として上演されており、今回の赤堀版はその齋藤版にさらに加筆された上演台本となっている。
私自身は、映画『蜘蛛巣城』はU-NEXTで視聴済みであり、齋藤版の舞台『蜘蛛巣城』は未見である。

物語は、蜘蛛巣城の城主である都築国春(久保酎吉)に仕える鷲津武時(早乙女太一)と三木義明(中島歩)の2人が合戦中に森に迷い込むシーンから始まる。
そこで彼らは、物の怪の老婆(銀粉蝶)に遭遇する。
老婆は「汚れは汚れなし、汚れなしは汚れ」という呪文を唱えながら、鷲津武時は今後蜘蛛巣城の城主になること、三木義明は蜘蛛巣城の城主にはなれずに北の砦の城主となること、しかし三木義明の息子である三木義照(小林諒音)は蜘蛛巣城の城主になることを予言して消える。
鷲津は主君である都築国春が自分に対して強い信頼を置いていることを疑わず、自分が主君から蜘蛛巣城を奪うようなことはしないと言い張るが、鷲津の妻の浅茅(倉科カナ)は鷲津に対して主君を討ち取って蜘蛛巣城を奪い取るようにそそのかし...というもの。

映画『蜘蛛巣城』では鷲津という主人公に終始フォーカスすることで、彼が予言後に徐々に追い詰められていく恐怖と不安を上手く描いた作品として素晴らしかったが、舞台版では全く異なるアプローチで『蜘蛛巣城』を描いている点が新鮮だった。
最初は映画版と同じようなストーリー展開が繰り広げられるが、映画版が持っているような不穏なオーラはなく、時代劇のエンターテイメントといった感じで、劇団☆新感線風な演出で一般ウケしやすい形で進行する。
そのため、前半は脚本が持っている力や良さが薄れてしまっているように感じて好みではないと感じていた。
しかし、後半から終盤に向かって物語は大幅に映画版とは異なることによって、黒澤監督が提示したテーマやメッセージ性をさらに一般化して普遍性を持たせていた点に素晴らしさを見いだせた。
また、映画版では把握できなかった物語の裏設定や伏線も赤堀版では上手く回収されていた点も、映画版視聴済みの私にとっては面白さを増大させてくれた。

鷲津武時を演じた早乙女太一さんや、浅茅役を演じた倉科カナさん、三木義明を演じた中島歩さんも素晴らしかったが、今作は特に脇役の方の演技が非常に素晴らしく感じ、長塚圭史さんが演じた軍師の小田倉則保が非常に味のある武将で好きだった。
また、新名基浩さんが演じた都築国丸も麻呂みたいな演技が非常にハマっていて好きだった。

私が観劇した回が公演初日であったため、役者の滑舌がよくなかったり、声を切らしていたりが見られたが、これから上演を重ねることで調整されていくと思われる。
殺陣のシーンは時代劇ものにしては少なめだが、劇団☆新感線風の時代劇エンターテイメントなので、そういった舞台が好きな人には観て欲しいし、そうでない方にも幅広くオススメしたい舞台作品である。

写真引用元:ステージナタリー KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「蜘蛛巣城」より。(撮影:阿部章仁)


↓映画『蜘蛛巣城』


【鑑賞動機】

赤堀雅秋さんの作演出舞台は今まで観劇したことがなく、いつか観てみたいと思っていた。最近だと2022年4月・5月に上演された舞台『ケダモノ』が人気だったので、今作は情報解禁のタイミングと同時に観劇しようと決めた。映画『蜘蛛巣城』はそれまで視聴したことはなかったが、観劇直前に視聴して非常に素晴らしい映画だったので、どうやって舞台化するのか楽しみになっていた。特に映画版で有名なラストの矢で鷲津が追い詰められるシーンはどうやって舞台化するのか楽しみでいた。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇して得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

お経を唱えるかのようなBGMと共に上演は開始する。鷲津武時(早乙女太一)と三木義明(中島歩)は、合戦中に森の中に迷い込んでいた。2人ともずっと戦いっぱなしだったらしくて、空腹かつ睡眠不足のようであった。
場所は変わって蜘蛛巣城の城主である都築国春(久保酎吉)の陣営、そこには軍師である小田倉則保(長塚圭史)をはじめ都築家の家来たちが陣取っていた。都築家は隣国の細川家と合戦をしており、どうやら彼らの会話からだと、小田倉の策によって細川家に攻めかかって勝負を有利に進めたようだった。
一方鷲津と三木が迷い込んだ森では、彼ら2人の前に物の怪の老婆(銀粉蝶)が姿を現した。老婆は、「汚れは汚れなし、汚れなしは汚れ」という呪文を唱え続けている。2人の武将は老婆を何者だと問いただす。すると、老婆は2人の未来を予言する。それは、鷲津は直に蜘蛛巣城の城主となるということ、三木義明は蜘蛛巣城の城主になることはないが北の砦の城主になるということ、そして三木義明の息子が蜘蛛巣城の城主になるというものだった。三木義明の息子が蜘蛛巣城の城主になるということを聞いて、鷲津と義明は大笑いする。そんなことあるはずがないと。そして鷲津は、この老婆がたわけ者だと思ったのか、老婆に向かって弓矢を引く。しかし、老婆は大笑いしながら消えてしまう。すると、今まで天候が暗かったところから晴れて一気に明るくなった。

都築家の陣営にて、鷲津と三木は都築国春の元に戻る。そして、鷲津は国春から北の館の城主に任命される。また、三木は北の砦の城主に任命される。2人の武将は、細川家との対戦で手腕を評価されて昇格したようだった。
北の館の屋敷にて、鷲津の妻の浅茅(倉科カナ)は、妹の若菜(新井郁)と乳母の雁ヶ音(佐藤直子)と共に鷲津の昇進を喜んでいるようでテンションが高い様子だった。そこへ鷲津がやってくる。鷲津は北の館の城主に任命してくれた主君の国春に感謝し、これは主君に自分は信頼を置かれているに違いないと言う。鷲津は、以前森で奇妙な老婆に出会って、自分が蜘蛛巣城の城主になると予言を受けたことを浅茅に伝える。だが鷲津は、蜘蛛巣城の城主になりたいという野望なんてないと。
しかし浅茅は決してそうは思わず、以下のようなことを言う。鷲津に蜘蛛巣城の城主になって欲しいと。国春を騙し討ってでも蜘蛛巣城を手にして国を治めて欲しいと。鷲津から見たら、国春から非常に信頼が置かれていて決して裏では騙し討ちにしようと思っていないと感じているかもしれないけれど、人間というのは分からないもの、もしかしたら三木義明からその予言のことを聞いて、鷲津のことを国春は警戒するかもしれないと言う。

北の館に都築国春がやってくることになる。国春が蜘蛛巣城を留守にしている間、三木義明が城を守ることになる。
北の館に国春を招いた鷲津は、都築家の家来たちと宴で飲み明かす。国春の息子である都築国丸(新名基浩)は、酔っ払って扇子を持って踊りだす。そして浅茅に対して、そなたは鷲津の后なんぞもったいないなどと言う。
主君の国春を、鷲津が普段使用している一番上座となる居室に案内し、自分と浅茅は普段使われない居室で夜を過ごすことにした。その普段使われていない居室というのは、藤巻という国春の元家来が殺されて藤巻の血痕が残る居室だった。藤巻は、以前国春に謀反を起こそうとして討たれた家臣だった。
浅茅は、今が国春を討つチャンスであることを鷲津に告げる。藤巻も以前は国春から厚い信頼の置かれた家臣だった。しかし藤巻は何を持ってか国春に謀反を起こそうとして討たれてしまった。もし国春が老婆の予言を知ってしまったら鷲津の命が危ない。殺される前に先に国春を殺害すべきだと鷲津に進言する。
鷲津は恐る恐る国春の眠っている居室に入り込み、国春を刀で刺し殺す。そして静かにその血だらけになった刀を、警備について眠っていた兵士に持たせた。すると浅茅が「狼藉者じゃ!」と叫ぶ。皆何事かとやってくると、警備の兵士が血だらけの刀を持って国春が殺害されているので、鷲津が警備の者を逆賊と言って殺す。そしてそのまま鷲津と浅茅は去る。

朝、北の館の裏の雑木林で国春の息子の国丸がシクシクと泣いていた。父親を亡くした今、自分は一体どうすればいいのとばかりに。そばには、軍師の小田倉も一緒にいた。まだ国春を誰が殺したのか分かっていない。
そこへ家来たちがやってきて、国春を殺害したのは小田倉ではないかという噂が立っており、小田倉の命が危ういのでここから逃げた方が良いとの情報が入る。
すると、すぐに小田倉の命を狙う兵士たちがやってきたので、彼らは命からがらその場から逃げていく。

三木義明がいる蜘蛛巣城に、鷲津とその家来たちが国春の首を担いで入城する。三木はその国春が討たれた姿を見て言葉を失う。蜘蛛巣城の城下にいた一人の侍女が「裏切り者!」と鷲津を成敗しようと襲ってくるが、侍女は動きを差押えられる。
都築国春は死に、息子の国丸がいなくなった蜘蛛巣城は、三木義明の推薦もあって城主は鷲津武時が任命される。蜘蛛巣城の居室にて、鷲津と浅茅は喜び合う。鷲津には子供がいなかったため、三木義明の息子の三木義照(小林諒音)を養子に迎えようとするが、なんと浅茅が子供を身ごもったと言う。そのため、義照を養子にするということはなくなる。

都築国春の墓の前で、妙法寺の和尚(西本竜樹)はお経を唱えている。小田倉や国丸は国春の墓の前で合掌をしていた。
小田倉と国丸は、隣国の細川家へ逃亡し、当主の細川政長(久保酎吉)に匿ってもらっていた。細川にとっては、蜘蛛巣城は国春が治めていた時代から喉から手が出るほど欲しかった居城。一緒に手を取り合って鷲津が治める蜘蛛巣城に攻めかかろうと決意する。
一方、妙法寺には出家した若菜と、小田倉と若菜の間の子供である旭丸(荒井天吾)が暮らしていた。若菜は、今の御時世はいつ父親が誰かに殺されてもおかしくない時代なのだと説き、もし父上が殺されたらどうするかと問う。旭丸は、そのときはあの鳥のように生きると答える。その時、小田倉の命を狙う何者かが侵入し、若菜と旭丸を殺してしまう。

一方蜘蛛巣城では、鷲津を中心に宴会を開いていた。三木義明も招いていたが、彼の姿はなかった。
その時、鷲津は義明が座るはずであった席に幻の義明がやってくるのを目撃する。鷲津は驚き、義明を恐れて鷲津は慌てて刀を振るい始める。周囲の人間たちは、誰もいない席に向かって「義明!」と叫びながら刀を振るう鷲津に驚く。そして、周囲に止められてようやくそこには義明はいなかったことに気がつく鷲津。
その時、家来の一人が鷲津の元に一つの生首を持ってくる。その生首は、なんと三木義明のものだった。家来は、鷲津の脅威となる人物を始末しようとしていて、三木義明は殺したが、息子の義照は逃したとのことだった。そして急に、浅茅はお腹に手を当てて苦しみ始め、なんと授かった胎児は流産してしまった。

隣国の細川政長が、小田倉、そして都築国丸、三木義照を擁して蜘蛛巣城へ攻め寄せてくるとの情報が入る。鷲津は怯え始め、「蜘蛛手の森」の老婆に再び会いに行く。最初に出会った時の予言は本当なのかと、本当だとしたら自分は義照に討ち滅ぼされてしまうのかと。老婆はこう言う。この森が動き出さない限り、鷲津殿は討ち滅ぼされることはないと。鷲津は高笑いする。この森が動き出すことなんて起こるはずがないと、つまり自分は討ち滅ぼされることはないんだと。
細川勢が蜘蛛巣城に向かって攻める際に、彼らは森に扮して蜘蛛巣城に近づき奇襲をかけようと言う。その蜘蛛巣城に向かう道中で、五兵衛(赤堀雅秋)という百姓に遭遇する。五兵衛は鷲津のことに関して、嘘の情報を彼らに伝え、違うではないかと突っ込まれる。

一方蜘蛛巣城では、浅茅が一生懸命手を洗っていた。手にこびりついた血を洗い流そうとするのだが、一向に洗い流すことが出来ないと言っていた。
その時、鷲津は森が動き出して徐々にこちらへ押し寄せるのを目にする。鷲津は老婆が予言していたことが起きてしまったとばかりに慌てて、浅茅や家来たちと蜘蛛巣城を去ることにする。そこへ、細川政長率いる勢力が蜘蛛巣城に攻め込む。そこには小田倉、国丸、義照がいたが、小田倉も細川政長も殺されてしまい、残った国丸が蜘蛛巣城の城主になるのは自分だとばかりに叫んだ時に、その国丸を刀で刺殺した義照が、蜘蛛巣城を我がものとするのだった。

雪の降りしきる中、荒れ果てた土地へ鷲津と浅茅とその家来たちが逃げてきていた。そこには五兵衛が待っていた。五兵衛は、なんでこんな所に城主様が?と疑問を思ったや否や、弱った鷲津を彼は刺殺してしまう。そしてそのまま、鷲津の家来たちも皆殺ししてしまう。
最後もお経のようなBGMが流れたまま上演は終了する。

物語前半は、かなり映画版『蜘蛛巣城』に忠実な展開なのだが、後半に進むにつれて映画版とは大きく異なるストーリー展開。特に、ラストの鷲津が大量の弓矢によって追い込まれ殺されてしまう映画の有名なシーンは登場せず、鷲津は命からがら蜘蛛巣城から脱出するも、最期は百姓の五兵衛によって殺されてしまうという下剋上的な展開に息を呑んだ。これは、黒澤映画でいうと『七人の侍』に通じる内容である。
ラストの大幅な映画版からの変更については考察パートで触れるとして、映画版と比較して見やすくなった箇所を記載しておく。まずは、藤巻が謀反を起こしたという過去の事実がこの物語とどう関係してくるかはわかりやすかった。あまり映画版では説明がなかったように思えたが、同じように藤巻も国春に可愛がられていて、そうであるが故の謀反で殺されたということであって、より鷲津が国春を討とういう気持ちが芽生える展開が追いやすくて良かった。
また、都築元春の息子や家来たちが隣国の細川家と合流して攻めてくるというシーンをしっかりと描いている点も、なぜ鷲津が攻め込まれたのかをしっかりと理解させてくれる点で、映画版よりも親切だった。また、森が動くというのが彼らの策略だったことも分かりやすかった。
とにかく、映画版を見た上で赤堀舞台版を観られたことで、ストーリーの細かい裏設定もしっかりと回収できたことは、作品をより楽しめることに繋がったし、やはり映画を観た上でさらに楽しめる舞台作品だという気がした。

写真引用元:ステージナタリー KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「蜘蛛巣城」より。(撮影:阿部章仁)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

劇団☆新感線風な時代劇エンターテイメントといった世界観で、普段観劇をご覧になったことがない方でも楽しめる作品に仕上がっていた。神奈川芸術劇場(以下KAAT)のホールを目一杯使用して、大々的な舞台セットと豪華な音響・照明の演出によって圧倒された。
舞台装置、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出についてそれぞれ見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台セットは大きく分けて2種類存在していて、暗転によって舞台セットが大々的に切り替わる仕様。1種類目は、ステージ上には建物がなく手前側に背景となる幕が降ろされていてその手前側で芝居をするスタイル。蜘蛛手の森のシーンは、幕に森と思しき緑の装飾がなされていたり、都築国春が殺害された直後の国丸と小田倉のシーンでは、背景の幕が竹林になっていたと記憶している。
もう一種類は、ステージ上に降ろされるような幕は存在せず、ステージの奥行きまでしっかり活かして、そこに舞台セットを用意して進行する舞台美術。都築家や細川家が進軍するシーンでは、ステージ上には陣営と思しきセットが設けられていた。北の館のシーンや蜘蛛巣城でのシーンでは、建物の居室と思われる広々とした木造の和室が用意されていた。あとは、妙法寺シーンでは、ステージ中央にはお寺のお堂と思われるセットが配置され、そこには仏像のような装飾などがあった。
あとは、ラストのシーンだけはそのシーンだけに特別に用意されたと考えられる、中央に一本の木が生えていて、その周囲には寒さで元気をなくした草が生える舞台セット。その周囲には特に何も舞台セットが存在せず他のシーンと比較してガランとした印象で、まさに鷲津の最期を物語っているかのように思う。ステージ上に降り注ぐ雪も含めて素晴らしい舞台美術だった。映画版の『蜘蛛巣城』の矢が降り注ぐシーンとは一味違った演出が見ものだった。
舞台セットだけでも十分に作り込まれた美術が多かったが、要所要所のシーンでは細かい小道具や小さなセットも登場する。例えば、藤巻が殺害された居室、つまり壁面に血痕が残された舞台装置も凄く印象的だった。映画版『蜘蛛巣城』の藤巻殺害部屋の血痕は、モノクロ映画というのもあって非常に気味悪い感じのシミに見えて恐ろしかったのだが、今作の血痕は舞台セットがカラーというのもあって、血痕だとしっかり分かる形で残されている演出も、作品の雰囲気に合っていると感じた。あとは、国春の墓石もぶっとくて丸い墓石で、非常に趣があって好きだった。

次に衣装について。
時代劇ということもあって、戦国時代の和装という感じがとても好きだった。こうやってたまに時代劇を見るのは色々と刺激をもらえて良いなと感じた。
個人的に好きだったのは、女性陣のカラフルな着物姿。浅茅を演じた倉科カナさんの桃色の着物姿は本当に舞台映えしていてとても素敵だった。また、脇役の若菜役の新井郁さんや、乳母の雁ヶ音の着物姿もまた違った色彩の着物姿で、かつ浅茅ほどは目立たない絶妙な配色がとても素敵だった。
男性陣の衣装も素晴らしい。着物姿もそうなのだが、甲冑姿の衣装も素晴らしかった。特に刀なども時代劇には必須だが改めて舞台で見られて大満足だった。
物の怪の老婆の衣装も素敵だった。映画版だと本当に怖い感じなのだけれど、エンタメ色の強い時代劇ではあのくらいが丁度良い。怖くはなかったけれど物の怪っぽさは非常に伝わったし世界観にハマった老婆だと感じた。

次に舞台照明について。
エンターテイメント色の強い照明演出が目立つ。例えば、序盤の蜘蛛手の森のシーンで、物の怪の老婆が登場したシーン。雷で舞台上がチカチカと照らされる照明はお決まりながら非常に好みだったし、物の怪の老婆の存在感を際立たせる照明も好きだった。また、老婆のシーンではダークで不気味な照明演出なのだが、そこから老婆が笑いながら去っていって一気に外が明るくなるギャップも良かった。照明演出の効果が舞台シーンを上手く作り上げていた。
あと好きだった照明演出は、やはり三木義明の幻が鷲津の宴にやってくるシーンでの幻を見させられているかのような照明。三木義明が髪をボサボサにして亡霊のように登場し、そこからスモークマシーンによるスモークがブワッと吹き出るのだが、そのときに紫がかった照明によって宴が照らされることで一気にホラーな展開になる演出が好きだった。映画版とはまた違った怖さを醸し出してきて良かった。
ちょっと間違っていたら申し訳ないが、鷲津が国春を殺害して無事蜘蛛巣城の城主になったシーンで、浅茅との2人のシーンで城内の屋敷で語り合う所で浅茅が子供を身ごもったと報告する。その時のシーンが夕焼けのようにオレンジがかっている感じがして、そのシーンの照明も好みだった。どうして夕焼けなのかとか分からなかったので間違っていたら申し訳ない。

次に舞台音響について。
まず音響に関しては、開演のタイミングや劇中の要所要所、そして最終シーンでお経のようなBGMが流れていて個人的に好みだったし、耳に残った。男性が低い声でなんと言っているか分からないが何かをリズムに合わせながら唱えている。そのリズム感に心が躍動されるから、特に開演時にかかった時はこれから始まるぞ!という感じを掻き立ててくれて効果的だった。
あとは、物の怪の老婆の笑い声にエコーがかかっていて、舞台全体に響く仕掛けが良かった。
合戦中の兵士たちの「ワー」という掛け声も音響で流してくれることで、決してアクションモブといった役名のない役者が少ないなかでしっかり舞台全体が盛り上がっている感じがした。

最後にその他演出について。
今回、時代劇ではあるものの殺陣シーンは少なかった。というか記憶しているのは1シーンのみ。それは、国丸や小田倉が鷲津が送った刺客と思われる兵士に襲われるシーン。そこで殺陣が繰り広げられたくらいで、特に激しいいくさみたいなシーンはなかった。殺陣シーンがより盛り込まれていたら、それは特に劇団☆新感線好きなどにウケていたかもしれないが、個人的には殺陣シーンはなくても十分楽しめた。
あとは、鷲津が終盤に物の怪の老婆から森が動かない限り負けることはないと予言されていて、見事森が動いた訳だが、その森が動く演出を舞台セットの天井付近に吊り下げられた森の装飾を上下させることで演出していたのが面白かった。そういった演出の仕方があるかと思った。一切映像を使わずにセットで勝負する演出力を赤堀さんから感じた。
あとはシーンとして、旭丸と若菜が殺されてしまうシーンで、刺客が訪れる前に若菜が旭丸に、もし父上が命を落とすようなことがあったらどうするかみたいな問を投げかけて、未来に希望をもたせるような回答を旭丸がしていたが、その直後に旭丸が殺されてしまって、このシーンに関しては非常にショッキングで理不尽さを感じて心動かされた。映画版には登場しないシーンでもあったので、シーン自体も新鮮でだからこそ印象に残った。

写真引用元:ステージナタリー KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「蜘蛛巣城」より。(撮影:阿部章仁)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

私が観劇した回は公演初日だったので、台詞を噛んでいたり言いづらそうな台詞も目立ったが、その辺はおそらく今後調整される箇所だと思うので、そこを除けば非常に素晴らしい演技だった。
特に印象に残った役者について触れていく。

まずは、主人公の鷲津武時役を演じた早乙女太一さん。早乙女さんの演技を舞台で拝見するのは今作が初めて。
映画版でもそうだが、鷲津の役は序盤は非常に好青年というか嘘などを一切付かなそうで誠実で信頼の厚い若き武将という感じで描かれている。今作でもそういった早乙女さんの誠実な演技が特に前半で輝いていた。
そして徐々に浅茅にそそのかされて、国春を討ち、親友でもある三木義明のことも疑うようになってと、決して悪い人間ではないのだが、自分の身を守ろうとするがあまりそういった野心的な行動をして、それに怯え始めていく姿は本当に素晴らしかった。
あとはやはり武将としての配役が早乙女さんは似合いすぎた。以前からも早乙女さんは時代劇など日本風の作品に向いている役者さんだと感じていたが、今回改めてそう感じた。

次に、浅茅役を演じた倉科カナさんも素晴らしかった。倉科さんの演技も初めて拝見する。
映画版は浅茅が非常に不気味な存在である一方、赤堀舞台版は浅茅が非常に美貌な女性として描かれるので、鷲津に蜘蛛巣城の城主を襲うように進言するには少々無理のある設定ではないかと思っていた。しかし、むしろキャラクターでそそのかすというよりは、今作は論理的に台詞の内容によって鷲津をそそのかしている感じがあって、そこに違和感がなかったので、たしかにこういったストーリー展開でも『蜘蛛巣城』は成立するのだなと感じさせてくれた。
浅茅の役が一番映画版の役とのギャップがあって、こちらの演出に関してはかなり観客に勝負を挑んだ面かなと感じた。結果的に映画版の方が好みだったという観客もいるだろうとは思うが、私はこんな演出パターンもありなんだな、十分成立しうるなと感じながら見ていた。素晴らしかった。
倉科さんの声が非常に素晴らしくて透き通るかのような声なので、凄く今作のようなエンタメ色の強い時代劇にはハマっていたし、私自身は大満足の演技だった。

次に、小田倉則保役を演じていた長塚圭史さんも素晴らしかった。長塚さんの演技は、2021年11月に上演された阿佐ヶ谷スパイダースの『老いと建築』で一度拝見している。
長塚さんがここまで時代劇に登場する武将が似合うなんて思っていなかった。長塚さんは非常に声が独特で、話せば一発で長塚さんだ!と分かる。個人的には長塚さんの声が好きなのだが、今作では軍師役とのことでその声に非常に知的な要素が盛り込まれていて凄く良かった。
そして小田倉の役どころもまた個人的には好きだった。小田倉はずっと国春の家臣として活躍してきていて、国春がいざ殺害されてしまうと、一番近くにいた家臣ということもあって疑いがかけられてしまう。そういった悲劇の将という感じも凄く役どころとして良かった。映画版では小田倉はあまり目立たなかった印象だが、今作では凄く彼にもフォーカスされていて好きだった。

次に、都築国丸役を演じた新名基浩さんも素晴らしかった。新名さんの演技は、2022年4月に上演されたロロの『ロマンティックコメディ』で一度演技を拝見している。
新名さんは非常にひょうきんで面白い芝居をされる方だなと『ロマンティックコメディ』を拝見した時も感じていたが、今作ではより彼の役者としての魅力を十分に引き出していたように感じた。
都築国春は、蜘蛛巣城の城主ということもあって非常にカリスマ性のある有能な大将といったキャラ設定だが、その息子は麻呂的な感じていかにも二世といった雰囲気のちょっと無能そうな武将だった。北の館に都築国春がやってきて宴をしていたときも、国丸は酔いつぶれて踊っていた。そんなうつつを抜かしたような武将を上手く演じていて、新名さんが見事ハマっていたように感じた。
また国春が討たれて泣き崩れる姿も似合っていた(褒めてます)。

あとは、五兵衛という百姓役を演じた赤堀雅秋さんも非常に良かった。赤堀さんの演技は、2021年11月・12月に上演されたナイロン100℃の『イモンドの勝負』で一度拝見している。
五兵衛は、映画版『蜘蛛巣城』では登場しない配役。しかし、今作の赤堀舞台版では非常にキーマンとなる重要な役。最後には鷲津を刺し殺す役で赤堀さん自身が一番おいしい役を演じていた訳だが、百姓っぽさが本当に赤堀さんは似合っていて、あんな感じの百姓は戦国時代にいそうというのを上手く形づくっていた。

あとは、重要な役では三木義明役の中島歩さんも素晴らしかったし、若菜役の新井郁さんも良かった。妙法寺の和尚の西本竜樹さん、物の怪の老婆役の銀粉蝶さんも素晴らしかった。

写真引用元:ステージナタリー KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「蜘蛛巣城」より。(撮影:阿部章仁)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、ウィリアム・シェイクスピアの『マクベス』と黒澤映画版『蜘蛛巣城』を交えて、今作の考察をしていきたいと思う。

シェイクスピアの『マクベス』は有名な物語なので、あえて説明する必要はないかもしれないが、改めて『マクベス』について考えてみると、こうやって様々な作品のベースとして描かれている点に、この作品が持つメッセージの普遍性を物語っていると思う。もちろん『マクベス』は1600年頃にイギリスで書かれた戯曲であるが、日本の戦国時代でも成立してしまうという意味では、人間というのは常に私利私欲によって翻弄されるというのは普遍的真理を突いていると考えられる。いつ、どこの国でもこの真理は変わらないことを証明している。黒澤明映画による『蜘蛛巣城』の登場によって、改めてウィリアム・シェイクスピアの戯曲としての素晴らしさを再度証明した結果になったのではなかろうか。
『マクベス』では、物語序盤にマクベスとバンクォーが森に迷って魔女と遭遇する所から始まる。魔女は、「汚いはきれい、きれいは汚い」という呪文を唱えながら、マクベスがコーダの領主となった後に、スコットランドの王になること、バンクォーは息子がスコットランドの王になることを予言する。そして物語は、その予言どおりに進行していく。
つまり、『マクベス』と『蜘蛛巣城』を対応させると、マクベスは鷲津武時、バンクォーは三木義明ということになる。そしてスコットランドというのが蜘蛛巣城のことであり、コーダが北の館ということになる。『マクベス』ではスコットランドの領主はダンカン王となっており、『蜘蛛巣城』の都築国春と対応する。都築国春が鷲津に殺害されたように、ダンカン王はマクベスに暗殺される。その時、『蜘蛛巣城』では浅茅に対応するマクベスの妻であるマクベス夫人にそそのかされる。そして結果的にマクベスはバンクォーも暗殺することになり、バンクォーの息子たちによってマクベスは殺される。その中には、小田倉則保に対応する貴族マクダフや、都築国丸に対応するダンカン王の息子マルコムも最終的にスコットランドに攻め込んできていた。

このように、映画版『蜘蛛巣城』はシェイクスピアの『マクベス』の登場人物を置き換える形で、見事に戦国時代という時代設定でもシェイクスピアがやろうとした、人間は私利私欲によって自分の身を滅ぼすことになるという人間の業のようなものを再現してみせた。
黒澤明監督による映画版の『蜘蛛巣城』は、その普遍的なメッセージ性が日本でも通じうることの証明だけでなく、敗戦後の日本ということで、戦時中に日本軍が感じた他国へ侵攻することによる私利私欲の邁進とそれに伴う恐怖と不安がリンクし、そこに能のフォーマットを用いることで、シェイクスピアと日本の文化を見事融合させることに成功し、世界的に評価されることになった。これがまさに世界に誇れる「クロサワ映画」の魅力である。

では、この『蜘蛛巣城』を今度は舞台化することによって、一体どんなアップデートが図られたのだろうか。その上演の意義について見ていきたいと思う。
黒澤映画版『蜘蛛巣城』は、常に物語の主人公は鷲津武時であり、彼を中心に、というか彼にほとんどをフォーカスする形で物語を進行させている。だからこそ、鷲津が感じる恐怖と不安というのが観客にもフィットする形で襲いかかってくる。そのため、ラストシーンの有名な矢のシーンに寿命を縮められるほどの緊迫感とスリリングを観客に提供する。
しかし、赤堀舞台版はそうではなく、逆に鷲津だけではなく他の登場人物にもフォーカスした群像劇に仕立てることによって、この作品が主張したいメッセージ性の一般性と普遍性を強めているように感じた。そこに、今作を上演する意義と面白さを個人的に感じられたから好きだった。
映画版『蜘蛛巣城』では脇役はそこまで重要な登場の仕方はしないが、赤堀舞台版では小田倉に長塚圭史さん、国丸に新名基浩さんといった個性的な俳優をキャスティングしている。そうすることによって、脇役たちにも物語上でのウエイトを上げることで、彼らの物語も同時に作品に反映することで、ラストの私利私欲による身を滅ぼす様を普遍的に描いたのだと思う。このキャスティングは、非常に効果的な演出だったのではないかと思う。
正直、物語前半部分は映画版『蜘蛛巣城』をただエンタメに仕立てただけだったので、面白みとしてはそこまで感じなかったのだが、特に物語後半から終盤にかけては映画版との脚本の差分も相まってものすごく面白さを見いだせた。

やはり、その面白み、醍醐味の決定打となったシーンは、小田倉、国丸、三木義照らが蜘蛛巣城へ侵攻したラストシーンではないかと思う。
面白いと感じたのは、国丸が小田倉を討ち取って自分が蜘蛛巣城の王になるのだと意気込んで攻め入ろうとしたときに、不意を討たれて三木義照に殺されてしまうシーンである。あの観せ方が、個人的には完全に好みで刺さった。結構三木義照の存在自体がまだ若くて小柄で、舞台上でも目立たない。だからこそ、遠くで俯瞰して観劇していると、家来たちに三木義照が紛れ込んでいることが分からなくて、急に現れて国丸を刺殺したように見えるのだ。それが、本当に謀反を起こされる時のような構図と似ていて、こうやって主君は不意を討たれて死んでいくのだなと痛感した点に面白さを感じた。これって普遍的な事実で、そうやって盛者必衰の真理が貫かれている感じがして興味深かった。
だから鷲津だけが決して私利私欲のために我を忘れて混乱して恐怖に打ち負けたのではなく、人間誰しもがそうやって我を忘れて何者かによって滅ぼされうることを指し示していると感じた。

一番最後のシーンで鷲津が百姓の五兵衛に殺されるシーンも象徴的である。鷲津はまさか得体も知れない百姓に殺されるはずがないと思っていただろう。しかし、そうやって下剋上が起きることで世界は回っているのかなという普遍性を感じさせてくれた。映画『ジョーカー』で、トーマス・ウェインが名前も分からぬ悪党によって殺されたように、頂点にいる人間が自分が巻いた種によって自分も知らないような身分の低い人間に狙われて殺される。そういった下剋上の世の中をより感じさせてくれるラストで好きだった。
そしてこの描写は、何より黒澤明監督の普及の名作である『七人の侍』の描写とも通じてくるラストである。その土地を守るのはその土地を治める大将なのではなく農民たちである。だから最終的には農民たちがその土地を守るために大将を殺すのである。鷲津が百姓である五兵衛に最期は殺されるように。
少々蛇足的な加筆では?と思う方もいるかもしれないが、これは主君が私利私欲のために翻弄されて家臣などの下級身分の者に足元をすくわれることと共通すると思う。

齋藤雅文版を観劇していないので、どこまでが赤堀さんの加筆かは分かりかねている部分もあるが、こうやって黒澤明の『蜘蛛巣城』をアップデートしていくのは、一つのやり方として有りではないかなと感じながら観劇した。

写真引用元:ステージナタリー KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「蜘蛛巣城」より。(撮影:阿部章仁)


↓ウィリアム・シェイクスピア「マクベス」


↓映画「蜘蛛巣城」



↓長塚圭史さん過去出演舞台


↓新名基浩さん過去出演作品


↓赤堀雅秋さん過去出演作品


↓銀粉蝶さん過去出演作品


この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?