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舞台 「幾度の群青に溺れ」 観劇レビュー 2023/07/08


写真引用元:キ上の空論 公式Twitter


写真引用元:キ上の空論 公式Twitter


公演タイトル:「幾度の群青に溺れ」
劇場:紀伊國屋ホール
劇団・企画:キ上の空論
作・演出:中島庸介
出演:高柳明音、町田慎吾、藤原祐規、久下恭平、竹石悟朗、富田麻帆、高橋明日香、藍澤慶子、平山佳延、髙木俊、名塚佳織、美里朝希、田名瀬偉年、シミズアスナ、陽和ななみ、小林宏樹、熊手萌、楓菜々、花音、濱尾咲綺、河村凌、村田充
期間:7/5〜7/9(東京)
上演時間:約2時間15分(途中休憩なし)
作品キーワード:宗教、シリアス、考えさせられる、群像劇
個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆


中島庸介さんが主宰する演劇ユニット「キ上の空論」が10周年記念公演として紀伊國屋ホールで初めて公演を打つということで観劇。
「キ上の空論」の演劇作品は、『脳ミソぐちゃぐちゃの、あわわわーで、褐色の汁が垂れる。』(2020年9月)、『PINKの川でぬるい息』(2021年2月)、『ピーチオンザビーチノーエスケープ』(2021年2月)と過去に3度観劇しており、2年半ぶり4度目の観劇となる。

物語は、「ピーネイン」という宗教団体を題材にしたものとなっている。
太田マドカ(町田慎吾)は、ホストクラブの店長をやっていたが、店員のホストであるミルキー(平山佳延)に手を焼いていて胃薬を飲む日々だった。
その時、マドカは線路に飛び降りようとしていた女性・川辺タイラ(高柳明音)を助ける。そこからマドカとタイラは親密になるものの、タイラは「浄化液」と呼んでいる水の入ったペットボトルをマドカに売ろうとする。
その「浄化液」にはタイラの唾液が含まれていて、睡眠薬の効果があるのだと言う。
一方、「ピーネイン」という宗教団体の反社会性を社会に知らしめようとした江角弘光(河村凌)という男がいたが、そんな彼の元に宗教団体の恐ろしい影が忍び寄り...というもの。

SNS等の感想で見られたように、この作品ではコミカルで笑いが起きるシーンもあれば、サスペンスシーンで舞台音響を駆使しながらかなり怖くシリアスに描かれるシーンと両方存在し、観客としては135分間様々な感情に掻き立てられる作品ではあった。
舞台音響と舞台照明によって煽るベタな演出はたしかに多かったが、今作の作風であるのならば違和感はなかった。

しかし、個人的には今まで観てきた「キ上の空論」の作品の中ではハマらなかった部類だった。
というのは、脚本の構成にしっくり来なかった部分があって、特に後半は間延びしている感じにより体感時間が長かった。
冗長なシーンをもっと削ぎ落としていれば、サスペンスシーンなどの映えるシーンのインパクトによってより舞台へ引き込まれたと思う。
また、キャストの演技力の問題もあったと思っていて、紀伊國屋ホールという大きな劇場で、主役級のキャストが演技力によって目立っている訳ではなかったので、演技に惹かれる部分があまりなかったからこそ迫力不足で長く感じられたのかもしれない。
今作のテーマに「群青」という個よりも集団を描く描写が多かったので、役者を個で見せる訳ではなく集団で見せる演出があるようにも感じられたが、それが紀伊國屋ホールという大きな劇場だと迫力として乏しくなっていたのかもしれない。

作品の題材としては、昨年「統一教会」も注目されたこともあって、非常に身近にある怖さを扱ったテーマであったと思う。しかしこの類で着地する、集団心理の力や社会批判はありふれたメッセージ性でもあるので、個人的にはもう一つ踏み込んで新規性のある主張を提示してほしかったと思った。

客層は若年層が多かったので、昨今の「オンラインサロン」の普及もあったりして、こういったメッセージ性を舞台作品として提示することは非常に重要だと思うので、DVDも発売されるとのことで特に若年層には観て欲しい。
がしかし、個人的には脚本的にもキャストの演技的にももう一歩踏み込んで欲しかった。

写真引用元:ステージナタリー キ上の空論 10周年記念公演「幾度の群青に溺れ」より。


【鑑賞動機】

「キ上の空論」は過去に3作観ていて、どの作品も好きだったので、今回は10周年記念公演として紀伊國屋ホールで上演するとのことだったので、楽しみにしながらチケットを確保した。昨年(2022年)4月に本多劇場で上演された『朱の人』も観劇したかったが叶わなかったので、2年半ぶりの「キ上の空論」ということで久しぶりだった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

薄暗い中、男女複数人が倒れた男性を運んでいる。どうやら死体のようである。凛(高橋明日香)という女性は、その死体を運ぶ指示出しをしているようである。そしてその死体に、水をかけるなどの会話をしている。
5年前、エマ(富田麻帆)というOLは自宅にキン(花音)という女性を泊めていた。キンはどうやらモデルらしく、撮影がある度に痩せる努力をするのだと言う。
4年前、エマはOLとして働きながら、夜は仲間たちと飲み屋で飲んでいた。その仲間というのは、太田マドカ(町田慎吾)、薫(藤原祐規)、龍太(高木俊)、谷家(名塚佳織)だった。その飲みの席で、ホストクラブの店長をやっているマドカは、職場のストレスでずっと胃薬を服用していた。
マドカの経営するホストクラブには、ミルキー(平山佳延)というホストがいたが、ミルキーに職場中の態度を注意すると、物凄い怒鳴り声でマドカに食いかかってくるのだった。

マドカはある日、電車がやってこようとしているホームで、一人の女性が線路へ飛び降りようとしていたので、その女性を助ける。彼女の名前は、川辺タイラ(高柳明音)という。マドカはタイラとそこから親しくなる。
マドカとタイラがベンチで腰掛けて話していると、タイラはペットボトルに入った何の包装もされていない水を取り出し、マドカに売ろうとする。マドカは、その水のことについてタイラに尋ねると、その水にはタイラの唾液が入っていて、それを飲むとぐっすりと睡眠が取れて元気になるのだと言う。そしてこれを「浄化液」と呼ぶのだと言う。マドカは、その「浄化液」を不気味なものだと思いながらも、その場で受け取ってしまう。ただ、お金を支払うことはしなかった。
その「浄化液」を飲み屋に持ってきたマドカは、周囲の薫たちに嫌がられる。唾液の入った水ではないかと。

エマが家に帰ると、キンがいる。キンは仕事していないけれど、生活費どうなっているのか尋ねる。すると、キンの口座にお金を振り込んでくれる人たちがいると言う。しかも80万円も。その80万円は一人から80万円もらっているのではなく、複数の人から合計で80万円もらっているから大丈夫だとエマに言う。エマはキンにお金を振り込む存在を不気味に思う。

ここは、宗教団体「ピーネイン」のアジト。そこには、キンや権田原(美里朝希)たちが宗教の幹部と思われる小谷(竹石悟朗)から何かをレクチャーされていた。小谷が何かを唱えると彼の手が物凄く熱くなって、その手を触って熱くなっていることを確認しながらキンたちは興奮していた。
キンたちは、凛やミオン(陽和ななみ)に紹介されて、「ピーネイン」の教祖である光焔(村田充)に出会う。「ピーネイン」の信者たちは、光焔を崇めるような形で接する。そして「浄化液」を飲む。

エマには、日向(シミズアスナ)という友人(仕事仲間?)がいた。エマは助手席に日向を乗せながら、日向の彼氏との関係について話している。どうやら日向の彼氏が浮気をしたらしく、腹が立って自分も浮気をして別れたのだと言う。でも、今でも彼氏のことが一番好きなのだと言う。
日向はタイラと知り合って、「ピーネイン」に招かれ、「ピーネイン」の信者になる。日向はこれから初めて光焔と会う。信者たちからは、光焔には絶対に処女であると答えるようにと言われる。日向は抵抗があったが、光焔の前で処女であることを伝え、日向は群青の上着を渡されてそれに着替えるように指図される。
丁度その頃、マドカの飲み仲間であった漫画家の薫はスランプに陥っており、自分の納得出来るような面白い漫画を書けなくなっていた。そして、それを笑ってくる周囲の人間に苛立ちを覚えていた。

「ピーネイン」では、信者だった者が「ピーネイン」の存在を世間にバラそうとしている輩がいることが噂になっていた。それは江角弘光(河村凌)という男が、この宗教団体を世間に知らしめようと密かに活動しているとのことだった。それは宗教信者としてあってはいけないことなので、「ピーネイン」のメンバー何人かによって江角を誘拐しようと行動を起こした。
一方で、社会には、そんな「ピーネイン」の反社会性を批判する「被害者の会」というものが立ち上がっていて、それも江角によって立ち上げられていたのだが、同じように彼らも「ピーネイン」の信者たちを誘拐して尋問しようとしていた。
下手側では、「ピーネイン」の信者たちが江角を捕まえてグルグル巻きに縛り上げ、頭に袋のようなものを被せて、ロープで複数人で引っ張りながら拘束している。そして、そんな彼に向かって凶器で彼を襲い始める。一方上手側では、「ピーネイン」被害者の会の人々が「ピーネイン」の信者である鈴木(小林宏樹)を連れてくる。そして椅子に座らせて尋問する。被害者の会で尋問をするのは、赤い服を着た栄子(藍澤慶子)であり、彼女も以前は「ピーネイン」にいた。栄子は鈴木に尋問しながら、求めたことに答えてくれないと足を凶器で殴りつける。
鈴木は殺されることはなかったが、江角はそのまま殺されてしまい、世間では失踪扱いとなる。その後、江角の父親が「ピーネイン」被害者の会のリーダーとして、「ピーネイン」の反社会性を批判し続けた。

漫画家の薫はスランプに陥っていたが、そんな「ピーネイン」という宗教団体の噂を聞きつけて、自ら「ピーネイン」に入団したいと申し出て、幹部にまで上り詰めていた。もちろんそれは、実際に宗教団体の内部に入り込むことによって漫画の題材にするものを見つけるためだった。
マドカは、薫が「ピーネイン」に入団していたということを聞きつけて驚く。まさか薫がそういった宗教団体に手を出す人間だとは思っていなかったからである。
マドカは薫に「ピーネイン」に入団した経緯を問い詰める。

そんな時、いよいよ「ピーネイン」は被害者の会の活動もあって社会的に追い詰められていた。そして信者たちは地下鉄に乗り込み、その地下鉄に液体を撒き始めた。その液体はシンナーだった。大きな事件となった。
死者は十数人、負傷者は数千人にのぼった。

マドカとタイラの二人がいる。タイラはマドカに助けてもらったあの日、本当は線路に飛び降りるつもりはなかったかもしれないと言う。マドカはタイラに告白しようとする。MC(小林宏樹)が登場し、その周囲には私服に着替えた女性陣たちが登場し、MCのマイクパフォーマンスによってマドカの告白が煽られる。
再びタイラは電車の来ている線路に飛び降りようとする。しかし、マドカはしっかり彼女が飛び降りるのを引き止めて手を掴んでいた。ここで上演は終了する。

このシーン必要か?と思われる内容も結構あって(もしかしたら伏線に気がつけていないだけかもしれないが)、正直終盤は面白さのピークがだいぶ過ぎ去ってしまっていて引き込まれなくなっていた。ちょっと体感時間が長く感じたのはそのせいかもしれない。
今作で描きたいテーマは、宗教団体というものは気が付かないだけで身近に存在するものであるという点と、宗教団体に限らず、誰かのリーダーシップの元で一つの方向に向かって活動する団体があれば、それは宗教的になりうるポテンシャルがあるということ、そしてそういった凶悪な宗教団体を生み出してしまうのは家族や友人、恋人、社会の存在であるということ、そういったコミュニティが人に孤独感を与えることによって宗教に陥りやすくなるのだということ、クリエイターというのはそういった宗教団体によって苦しんでいる人がいるにも関わらず、それをまるでエンタメとして消化して自分の権威や名声にしようと扱う自己批判性あたりかと思う。このあたりに関しては考察パートでしっかりと触れていくことにする。
テーマとしては間違ったものはなく、今まさに「オンラインサロン」が普及して、宗教チックなものに依存する若者というのもいて、そういったコミュニティの危険性を物語るメッセージ性の強い今やるべき作品だったかと思うが、描こうとしているテーマが多すぎて、かつ終盤に収拾がついていない感じもあって脚本的に発散してしまっているように感じた点が、脚本の構成という観点で勿体無いなと感じた。
あとは、もう一歩新鮮な演出やメッセージ性があると、私個人としてはもっとこの作品に面白さを見出せたかなと思う。
終盤は明らかに、1995年3月20日に起きたオウム真理教による「地下鉄サリン事件」をベースにしているが、おそらく今作が描かれる時系列はコロナの話をしていたので、2020年以降であることから、未来の話だと考えられるので、「地下鉄サリン事件」みたいな事件が再び日本で起きてしまったというストーリーになるのかなと思う。そこに関しても考察パートで詳しく触れたいと思う。

写真引用元:ステージナタリー キ上の空論 10周年記念公演「幾度の群青に溺れ」より。


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

「キ上の空論」の舞台作品らしく、演出はかなり舞台音響、舞台照明をガンガン派手に使っていく良い意味でベタな演出だが、舞台装置はかなり抽象的なものが多い。舞台美術としては、かなり今までの「キ上の空論」らしかったと思う。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台上には3つの背の高い移動式の舞台装置が置かれている。どれもまるで巨大なラックのような形状をしていて、黄色や水色などカラフルに塗られている。そのラックのようなものには、椅子やクッションなどが置かれていて、どこかのインテリアの一室として利用されるケースが多かった。特に一番上手にある舞台装置は、エマやマドカたち飲み仲間が集うバーのカウンターテーブルとして利用されている印象だった。
また、この3つの舞台装置が移動することによって、様々なシチュエーションへと場面転換されている印象だった。例えば、この3つの舞台装置がステージの隅へ移動させることによって広い空間が出来るが、そうなると「ピーネイン」のアジトとして使われることが多かった。また、舞台装置に置いてあったクッションに座る光焔が、そのまま舞台装置を移動させることによって転げ落ちるシーンは笑いが起きていた。

次に舞台照明について。
シーンごとに派手に照明の色彩が切り替わる演出で、こちらも「キ上の空論」らしい演出だった。あるシーンでは全体的にブルーの照明、あるシーンでは全体的に紫がかった照明、あるシーンでは黄色い照明とカラフルで当劇団の良さが詰まっていた。
紀伊國屋ホールという広いステージだったので、ステージ内でも2箇所くらいにシチュエーションが分かれていることが多々あった。例えば、序盤のシーンだとマドカとタイラがベンチに座って唾液の入った「浄化液」を渡されるシーンと、薫やエマたちがバーカウンターで飲んでいるシーンの2箇所や、物語後半の江角を複数人の女性でロープでグルグルに縛り上げて引っ張って殺そうとするシーンと、被害者の会が鈴木を尋問するシーンの2箇所などである。このときに、それぞれにスポットが当たることによって、観客が今どちらのシチュエーションに目をやれば良いのか、片方なのかはたまた両方なのかを上手くコントロールする効果があったのが照明演出だったので、これは映画的で且つ演劇的であるので良かった。

次に舞台音響について。
かなりベタな舞台音響効果が多かったが、今回の作品の作風でいけば違和感は全くなかったので良かった。
たとえば、物語後半のステージ上2箇所で、江角と鈴木が襲われるシーンで、あそこが一番サスペンスなシーンだったと思うが、映画的にそのサスペンスっぽさを演出する上では、あの演出は効果的だったかなと思う。凶器を振りかざすシーンで、まるで映画のような恐怖を与える効果音が流れたり、それはステージ上の役者の悲鳴や掛け声とかもあったので、そこと相性良く感じられた。
あとは劇中でBGMがかかっているシーンも多々あったが、先日拝見した舞台『パラサイト』とは違って、音量的にもBGMがかかるシーン的にも違和感はなかったし、役者の演技を台無しにするようなことはなかったと思う。効果音も電車の音だったりと情景説明の意味も込めて多く使われていたが、違和感はなく楽しめた。

最後にその他演出について。
やはり印象に残ったのは、今作のタイトルにもなっている「群青」の使われ方。「ピーネイン」に入団している信者たちは、皆群青色の服装をしている。鮮やかな群青色は雰囲気にあっていたが、個人的には宗教なので、もっとオカルト的な演出があっても良かったかなと思う。それともむしろ、敢えてオカルトっぽくしないことによって、こういった宗教団体というのは日常に溶け込んでいることをメッセージングする演出の一つだったのだろうか。また、被害者の会の藍澤慶子さんが演じていた栄子が、赤い服を着ていたのは印象的だった。群青との対比だろうと思うし、赤い服を着させることよって、被害者の会自身も一つの宗教団体であることを暗に物語っているなと感じた。
「地下鉄サリン事件」を連想させた終盤の地下鉄にシンナーを撒いた事件のシーンのシャボン玉の演出が面白かった。客席の方までシャボン玉が到達していて、舞台やライブ感の良さを堪能出来た。シャボン玉には確かにブルーなイメージがあるので「群青」とも整合が取れるし、空中へ舞って破裂して消滅する感じが、事件の被害者の命のようにも思える。それからシンナーという液体の薬物と、シャボン玉の液体から生成される点もリンクするからだろうか。
あとは、「唾液」というもののメタファー的な扱いについて。劇中で、「唾液」は口の中から吐き出したら、それまでは体の一部だったのにそこには嫌悪する気持ちが働き、再び体内に取り込むか拭き取ってしまうかであるみたいな描写があった。それは、まるで宗教団体のコミュニティから逸脱した人間の扱いにも似ていると。コミュニティを逸脱した人間は、放置しておくとコミュニティの害になることがあるので、抹殺しておいた方がよくてそのままにするのは良くないのと同じで、それは「唾液」と類似するからメタファーとして使われているのだろう。SNSで見かけた感想では、「唾液」を扱うのはちょっと気持ち悪いというものがあったが、それが被害者の会に対して宗教団体が感じる目障りな存在ともリンクするからなのだろうかと思う。コロナ禍に入って、私たちは飛沫感染によってコロナになってしまうこともあって、唾液というものに益々ネガティブなイメージを抱いたのかもしれない。最近では、マスクを取り外して外出も出来るようになったが、まだまだ飛沫に対する抵抗意識は個人的には高い。そういったご時世もあって、この「唾液」というものをメタファーとして取り入れたのかなと思った。

写真引用元:ステージナタリー キ上の空論 10周年記念公演「幾度の群青に溺れ」より。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

紀伊國屋ホールという大きな劇場だったので、ちょっと全体的に役者の迫力が物足りなかった印象だった。小劇場で彼らの演技を観るなら十分楽しめたと思うが、大きな劇場でとなるとやはりもっと観客を惹きつけるインパクトがないとダレてしまうのだなと改めて実感した。
それでも良かった配役や役者は沢山いたので、主役とか関係なく特に注目したキャストについて記載していく。

まずは、エマ役を演じた富田麻帆さん。富田さんの演技は初めて拝見する。
凄くナチュラルな演技をされている点が印象的で、あの自然な感じのOLには親しみやすさを感じられて個人的には好きだった。あんな感じの女友達がいたら楽しそうだな、一緒に飲んでいて楽しそうだななんて思いながら観ていた。
これは演技や配役とは関係ないのだが、脚本上のエマの立ち位置がわからなくて、序盤では主人公なのかなと思いきや、終盤ではあまり出てこない印象だったので、そこが分からなかった。群像劇的に描きたかったのだろうか。それとも、宗教団体との繋がりは意外と身近にあるということを伝えたかったのだろうか。にしても分からなかった。

次に、ミルキー役を演じた平山佳延さん。平山さんの演技を拝見するのは、ENGの『ほんとうにかくの?』(2020年12月)以来実に2年半ぶり。
平山さんの演技は元々好きで、あのイカつい外見とあの声量が堪らなかった。今作でも店長に食ってかかるホストの店員ということでハマり役で好きだった。むしろ平山さんの演技はもっと観たかったので、出演シーンもっと欲しかったなという印象だった。

日向役を演じていたシミズアスナさんも凄く印象的な役をこなされていた。
日常的にあんな感じの女性がいたら、個人的にはあまり近づきたくないが、そんな癖のある女性を上手く演じていて素晴らしかった。教祖の光焔に対して処女であることをなかなか言いづらい中で言って、「ピーネイン」に染まっていく感じがなんとも居た堪れなかった。

凛役を演じた高橋明日香さんも良かった。高橋さんもENGの『ほんとうにかくの?』(2020年12月)で演技を拝見している。
凛は、「ピーネイン」の信者の中でも幹部に近いような上のポジションにいる女性。江角の誘拐・殺人の指揮も取っているくらい。外見上、高橋さんなんて宗教とは無縁といったような純粋な女性というイメージだが、それは外見に囚われず、誰が宗教と繋がっているか分からないという今作のメッセージ性を反映しているように思える。

個人的に一番今作で印象に残ったのは、キン役を演じていたエイベックス所属の花音さん。なんと花音さんは今作で舞台初出演だそう。
初出演とは思えないくらい目立った役を演じられていて、しかも非常にハマり役だった。ゆるふわ系の若い女性で、何を考えているか分からない感じが上手く演技に反映されていた。高橋さんと比較して、たしかにキンのこの感じだったら宗教に引っかかってそうだなと思う。

最後に、「ピーネイン」の教祖・光焔役を演じた村田充さん。実は、村田さんの演技を生で拝見するのは初めて。
本当に村田さんの教祖はハマり役で好きだった。あの何を考えているか分からない感じ、頭の中に宇宙が広がっているんじゃないかと思わせるくらい摩訶不思議なオーラを出す感じが良かった。だからこそ、そこを活かして笑いに変えられる点も良かった。結構光焔のシーンでも笑いが起きていた印象がある。凄くハマり役だった。

写真引用元:ステージナタリー キ上の空論 10周年記念公演「幾度の群青に溺れ」より。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今作は紛れもなく宗教団体の恐ろしさと、そういったスピリチュアルな世界に魅了されてしまう人間の弱さ、脆さを描いている。そして昨年の安倍元総理大臣銃殺事件で取り沙汰された「統一教会」の問題も記憶に新しく、宗教団体という存在が今もなお身近にあることを今を生きる私たちはニュースでも目の当たりにしているだろう。そして28年前にあたる1995年には、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」という空前絶後の大事件が日本で起きてしまったことも、今作で描かれる描写を見ていると思い起こされる所だろう。
ここでは、今作で描かれる宗教についてと、それにまつわる今作で主張したいメッセージについて考察していきたいと思う。

実はオウム真理教の「地下鉄サリン事件」にまつわる内容を舞台化した作品は他にも以前観劇したことがある。それは、2021年11月にこまばアゴラ劇場で上演された「日本のラジオ」という演劇団体による『カナリヤ』という作品である。
この作品は、「ひかりのて」という宗教団体の内側を描いた作品になっているのだが、実はこの作品の終盤の描写はオウム真理教が「地下鉄サリン事件」を起こした前日譚的な内容に非常に近かったということが観劇後の観客のSNS上の感想で知って驚愕した。私は「地下鉄サリン事件」が起きた時、まだ1歳だったので当然記憶になくて昔こういった事件があったというある種歴史として知っているくらいだった。そのため、この内容が「地下鉄サリン事件」の前日譚だとは分からなかったのだが、それを知って驚愕したのには理由がある。それは、『カナリヤ』で描かれている宗教団体の日常が、あまりにも会社の日常に近い、つまり変わり者の怪しい集団とかではなく、最初はごく普通の集団であったということである。それが徐々にエスカレートしてしまって大量殺人に繋がっていくのである。
だからこそ宗教団体というものは、一見おかしな集団に見えないから恐ろしいという側面があるのだということを、私は『カナリヤ』を観劇して思い知った。

また『カナリヤ』と今作で宗教団体を扱う作品として共通しているのは、心が弱った人が宗教団体に入団することで、そのコミュニティで居場所を見つけて生き生きしていく恐ろしさを描いている点である。今作では、「ピーネイン」に入団する人々というのは、家族に見放されたキンだったり、恋人に浮気された日向だったり、精神的に追い詰められて自殺しそうなタイラだったりする。そういった何かしら社会のコミュニティから虐げられてきた人が宗教団体に救われハマってしまうのである。『カナリヤ』でも、同じく父親を殺してしまって居場所を失い放心状態だった人物が入団して居場所を見つけて生き生きとしていく。そこに宗教団体の恐ろしさがある。弱った人の心につけ込んで、大金などを巻き取って依存させて抜け出せなくさせていく。そんな様子が描かれていた。
今作の序盤で、マドカは胃薬を飲むほど仕事で精神的に参っていたが、その時タイラという女性に出会って、その女性から「浄化液」を渡される。マドカはその時、その「浄化液」が怪しいものだと思って手を出さなかったが、もしこれに手をだしていたらマドカも「ピーネイン」に入団していたのかもしれない。マドカがそうならなかったのは、仕事でうんざりしていても、エマや薫といった飲み仲間がいたからかもしれない。そのくらい、宗教団体というのは私たちの暮らしの身近にあって、足元を掬われる存在なのかもしれない。

『カナリヤ』にはなくて、今作に描かれていた点として面白かったのは、その宗教団体「ピーネイン」の被害者の会という団体が存在していて、彼らも「ピーネイン」と同じように宗教化して特定の人を弾圧しようとしている点である。たしかに被害者の会も、「ピーネイン」に酷いことをされたという傷ついた感情を持っていて、その感情を癒すがために被害者の会に依存している関係にあるからである。その意味では、「ピーネイン」も被害者の会も似たような存在である。
このように、一見宗教団体には思えなくても、まるで中身は宗教団体のようなコミュニティは数多く存在するかもしれない。昨今は「オンラインサロン」も沢山増えてきて、クローズドな中でのコミュニティというのが増えてきた印象がある。もちろん、私は一方的に「オンラインサロン」を否定するつもりはないし、社会に有益な価値を創出している「オンラインサロン」だったら問題ないと思っているが、お金を払って快楽を得ているようなコミュニティであったら、それは宗教団体に近い存在になってしまい、一歩間違えると危険なので、そこは警戒するべきなんだなと感じた。

今作の終盤では、「地下鉄サリン事件」を想起させるシナリオがあった。もちろん、今作には「オウム真理教」も出てこないし、劇中に「コロナ禍」を指し示す台詞があることから、コロナ以降の世界線の出来事だと考えられるので、「地下鉄サリン事件」に似た事件が再び未来に起きてしまったと解釈するのが妥当だろう。死者数や負傷者数も劇中でモノローグで語られていたが、「地下鉄サリン事件」の数とは異なるものの、オーダーはその規模に匹敵していた。
このシーンは何を意味するのだろうか。私が思うにこれは、きっと今の日本の状況だと28年前に起きた「地下鉄サリン事件」と類似の事件が起きかねないことを社会に向けて発信しているのかなと感じた。
先述した通り、昨今は「オンラインサロン」が活発に作られるようになってクローズドなコミュニティが沢山世の中に存在している状況である。それらは、お金を会員から得て会員はそこから快楽を得るというまさに宗教団体と全く同じ構造を取るものも少なくないだろう。さらに、「推し活」も考えてみれば宗教団体に近い概念なのかもしれない。アイドルがファンクラブを開設して、ファンがお金を払うことで推し活が生活の生きがいになっているのだから。
私も含め、「オンラインサロン」や「推し活」にハマっていく今の10代、20代、30代の人々は、1995年に起きたオウム真理教による「地下鉄サリン事件」をリアルタイムで知らない人も多い、もしくは幼すぎて記憶が朧げの人も多いだろう。
だからこそ、こういった危険な事件が発生しかねない今の社会を批判しているように私は感じ、そして警鐘を鳴らしているように思えた。

もう一点、今作では漫画家の薫という人物が登場し、彼は漫画のネタを探すために敢えて「ピーネイン」に入団して幹部まで上り詰めている。これは、宗教という人々の生活に根ざすようなセンシティブな内容をエンタメという形で消化して作品のネタにしようとしている薫への批判であると思うが、それは同時に作品中で中島さん自身が舞台作品というエンタメとして宗教を取り扱うことについての自己批判のようにも受け取れる。こういった描き方は、他の舞台作品でも見受けられる。たとえば、2023年4月に「芸劇eyes plus」で上演されたゆうめいの『ハートランド』も創作者の加害性について作品の中で描かれている。
宗教というものはなかなかエンタメとして扱うには重すぎる題材である。だからこそ、観客の感想の中には、このテーマを題材にするのかと驚かれる内容のものもしばしばあり、かなり攻めた姿勢の舞台作品であることは間違いないだろう。しかし、その罪滅ぼしとして薫という作者自身の自己投影的な人物を登場させるのはいかがなものか。なんか逃げ道を作っているだけな感じがして、個人的には潔いとは思えなくて蛇足にも感じた。これは他の方の感想も色々聞きたい所である。

少なくとも、今作のテーマは非常に重くてこの題材を舞台として扱った覚悟は凄いものだし、今論じられるんべきテーマだとは思っている。ただ、薫の存在は蛇足に感じたし、脚本構成的にもダラっとした箇所が何点もあったので勿体なかったのと、もっと描きたいスコープを絞って丁寧に描いて欲しかったかなと思う。そしてもっと小規模の劇場向きの作品だとも感じた。

写真引用元:ステージナタリー キ上の空論 10周年記念公演「幾度の群青に溺れ」より。


↓キ上の空論過去作品


↓藤原祐規さん過去出演作品


↓高橋明日香さん、平山佳延さん過去出演作品


↓田名瀬偉年さん過去出演作品


↓宗教団体を扱った演劇作品


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