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舞台 「迷子」 観劇レビュー 2020/11/22

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公演タイトル:「迷子」
劇団:劇団時間制作
劇場:東京芸術劇場 シアターウエスト
作・演出:谷碧仁
出演:岡本玲、桑野晃輔、青柳尊哉、田野聖子、石井康太、武藤晃子、西川智宏、竹石悟朗、田名瀬偉年、野村龍一、大浦千佳、樹麗、山本夢
公演期間:11/21〜11/29(東京)
個人評価:★★★★★★★☆☆☆


家族と日本社会の不条理をテーマにする劇団時間制作の「赤すぎて、黒」に続く2度目の観劇。劇団4ドル50セントとのコラボ配信公演「大人になるには」を合わせると3度目となる。
今回は慣れもあったせいか、「赤すぎて、黒」ほどは観劇していて胸糞悪くはならなかった。しかしそれでも物語は今までの人間関係を引き裂くような容赦のない設定。芦沢家、葛生家、加藤家の3家で行った旅行先で民宿が火事となり、芦沢家は次女を失い、葛生家は両親を失い、加藤家は全員無事という事態に陥り、火事で亡くなった民宿の管理人に対して訴訟を起こすというもの。この火事によって置かれた立場がそれぞれ異なり、そこから溢れ出る憎しみと嫉妬は観ていてかなり苦しいものだった。
そして本当にキャストのレベルが高い、特に武藤晃子さんの娘を亡くした母親としての狂気っぷり、青柳尊哉さんの両親を亡くして抜け殻のようになってしまった哀れな青年の役は凄く惹きつけられた。野村龍一さんのあの独特なオーラを出す弁護士も好きだった。
そして舞台装置がいつも通り凄く豪華で、工夫の凝らされたお家だったのと、今作は音楽が凄くジンワリと胸に刺さる味わい深いものだった点が凄く好きだった。
この劇団の公演はもっと多くの人に魅力を知って欲しい、オススメ。

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【鑑賞動機】

以前劇団時間制作の公演を拝見して、凄く自分の好みに合った作品だと思ったから。またキャストも知っている方が多く、テレビドラマでも活躍している女優の岡本玲さん、劇団ラビット番長の劇団員の西川智宏さん、そして劇団4ドル50セントのコラボ公演でも演技を映像で拝見している、田名瀬偉年さんと野村龍一さんが出演されている点も興味を惹かれた。期待値は高め。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

2017年2月、芦沢家、葛生家、加藤家の3家で行った旅行先の民宿で火事に逢う。芦沢家は次女のココミ(だったかな?)を失い、葛生家は両親を失って息子のショウ(青柳尊哉)だけが残され、加藤家は全員無事だった。この火事によって民泊を管理していた老人も命を落としていた。3家は被害者として民泊に対して賠償責任を負うように裁判で訴え、その時に担当弁護士(野村龍一)と二人の司法修習生(田名瀬偉年、山本夢)が3家についていた。

物語は、この弁護士たちと加藤家のやり取りから始まる。
弁護士たちが事件の詳細を調べた結果、出火原因は年老いた民泊の管理人が、ポリタンクをいつもと違う所に置いていたせいで誤って足をひっかけて倒してしまい出火したというものだった。そのいつもと違う所にポリタンクを置いたのは、ポリタンクの配送業者であり、民泊の管理人は既に火事で亡くなっているので責任の所在が不明確な事故となっていた。
裁判の結果、3家には賠償金が支払われていたが、お金を貰ったからといって死んだ人間が戻ってくる訳ではない。3家は、担当弁護士から2つの選択肢を提案されていた。一つは、今回の判決を認めずに控訴すること。もう一つは、今回の判決を受け入れて訴訟を終了すること。
加藤家の夫(西川智宏)と妻(田野聖子)、そして次男(桑野晃輔)と長女(樹麗)は、火事による賠償金が貰えたことによって、一通り家具などを新品に買い直せたこともあり、早く裁判を終了させたかった。一方で、芦沢家の妻(武藤晃子)や長女(岡本玲)は、次女のココミを亡くしたという事実があることから、今回の賠償金支給だけでは納得がいっておらず、控訴するという意志を強く固めていた。芦沢家の夫(石井康太)は難しいことがよく分かっていないため、妻の言うことに従っていた。
芦沢家から控訴を要求される担当弁護士だったが、控訴した所で勝訴出来る材料がこれ以上存在せず、彼自身はこのまま裁判を終わらせようとしたかった。
その一方で、両親を失ったショウは家族を失った辛さによって引きこもりのような状態となっていたが、それと同時にあの火事現場で消火活動を行っていた民泊の管理人の最期を目撃しており、一概に民泊の管理人を悪者扱い出来ない気持ちとも葛藤していた。
そこへ亡くなった民泊の管理人が、火事が起こる以前から親族から「もう高齢なのだし、そろそろ民泊を畳んだ方が良いのでは、火事でも起きたら大変だし」と引退を勧められていた事実があったことを突き止め、高齢であるにも関わらず民泊の経営を続けていた事実を親族も容認していたことが発覚し、裁判の事態は急変する。
一人部屋に取り残されている民泊の管理人の親族(大浦千佳)は、早く裁判が終われば良いとただそれだけを望んでいた。

誰も犠牲者が出なかった加藤家は、平和に楽しく暮らしている。そこへカナダへ単身赴任していた長男(竹石悟朗)が帰ってきて、家族全員が会いたかったとばかりに嬉しそうに迎え入れる。長男は家族全員にお土産を配る、なんとも平和な光景。その様子を、外の窓越しに芦沢家の妻が睨み付けていた。

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数日後(?)、近所では祭りがあるようで加藤家の長女は法被を着て出かけて行った。芦沢家の妻もどうやら祭りで外出しているらしい。
一方リビングでは弁護士が奇妙な話をしている、人間の心はどこにあると思うかと。人々は頭と言ったり、心臓部分を指したりなどしている。しかし弁護士は、心は移動するんだと説いている。ある時は頭にあり、ある時は心臓部分に、そしてある時は手、足といったように、耐えず心は全身を移動して人間は行動しているんだと説明する。
担当弁護士は、自分たちの陣営が勝訴出来るように頭脳を使うことが使命であり、そこには被害者を同情し哀れむ気持ちはまっさら無いことが徐々に分かってしまう。その点にカッときた若き司法修習生は、担当弁護士を批判する。

一方、夜になっても加藤家の長女と芦沢家の妻が帰宅しないことに家族は心配の念を抱く。加藤家の妻は、長女の友人の家へ電話するも心当たりを掴めず。
そこへ行方不明だった二人が揃って帰宅する。芦沢家の妻の話によると、加藤家の長女は橋から飛び降り自殺をしようとしていたという。でも飛び降りる勇気がなくて、ずっと泣きながらうずくまっていたのだと。
加藤家の長女は自白する。勉強も出来て運動も出来たココミが死んでしまって芦沢家は大騒ぎしているが、自分のことは一向に相手にしてくれない。自分の名前は全然上がってこない。死んだ方が良かったのはココミではなくて自分だったのではと。生き残った方は生き残った方で苦しいのだと、家族全員揃っていても苦しいのだと訴える。
それに対して芦沢家の妻が感情的になって怒り狂う。そう、あんたが死ねば良かったのだと、優秀なココミが死ぬんでなくてあんたが死ねば良かったのだと。加藤家と芦沢家で喧嘩になってしまう。
担当弁護士は、家族を亡くしていない人間より、家族を亡くした人間の方が辛いものだと決めつける。

次の日、加藤家の輪の中に、いつも髪を束ねていた芦沢家の長女が髪を縛らずに酔っぱらったかのような勢いで飛び込んできた。やっぱり控訴はしないと言い張る。その理由は、芦沢家の妻がベランダで首吊り自殺したからだと。現場に駆けつけると、そこには芦沢家の妻が首をつっている姿と、そこに泣きながらうずくまっている芦沢家の夫がいた。
しかしショウは、控訴したいと強く主張する。一方で、民泊の管理人の親族は控訴を取り消して裁判が終了したことを心から喜び、ずっと続けいていた編み物を部屋中にばら撒いて喜びの気持ちを爆発させる。

「おかあさーん、おかあさーん、おとおさーん」芦沢家の長女は家の中でそう呼び続けながら両親を探し回って暗転して終了。

救われない物語、立場の異なる家族の想いのぶつかり合い、そして裁判という無慈悲な存在。心に突き刺さるような台詞やシーンが多く、この胸糞悪さが逆にこの作品の醍醐味なんだということを改めて痛感した作品だった。
前半は、どの人間同士が家族なのかが分からなかったため、状況整理が出来ておらず混乱した。パンフレットに配役を書いてものを無料で用意して貰えると助かったかも。もう一度観劇すれば、人間関係が把握できた上でストーリーを追えるので特に前半部分で新たな発見が得られるかもしれない。
「迷子」についてや「正義」については、考察でじっくり語ることにする。

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【世界観・演出】(※ネタバレあり)

今作も、世界観・演出共にハイクオリティで劇団時間制作らしい仕上がりとなっていた。

まずは世界観から見ていくと、特に着目したいのは舞台装置と音響である。

舞台装置は、今回も時間制作の作品らしく豪華なお家がセットされていた。
1階部分とベランダの2段階構成となっていて、基本的には1階部分でストーリーが進行していき、ベランダ部分は芦沢家の妻一人のシーンでのみ使用されていた。
1階部分の構造だが、下手側にショウの部屋が配置されており、基本的にはその部屋に照明は当たらず、暗い中でショウがずっと一人立ちすくんでいる状態である。その部屋には、ショウの両親の遺影が置かれていて彼はその遺影に向かっていつも話かけている。ショウの部屋の奥には階段が設置されていて、加藤家の人間のデハケとなっている。
舞台中央には加藤家のリビングが設置されている。食卓と下手側にはテレビが設置されている。中央奥には台所が設けられており、外に通じる窓も設置されている。この窓を通じて芦沢家の妻が加藤家を睨み付けるシーンがなんとも印象的。
そしてその舞台中央の真上には、芦沢家のベランダが用意されていて、基本的には芦沢家の妻の一人シーンで使われることが多い。首吊り自殺した箇所もこのベランダ。
最後に上手には、下手と同じく一つの部屋が用意されており、一つの食卓と椅子が置かれていて、基本的には民泊の管理人の親族が居座っているエリアとなっている。こちらにも滅多に照明が当てられない。
その上手の部屋の奥には、加藤家の玄関が設けられていて、上手手前には庭が広がっている。
この舞台装置のクオリティ自体も物凄いのだが、個人的に関心したのはその構造と舞台設定。家族全員が生き残った加藤家の食卓を中央に据えて、家族を失った芦沢家と葛生家の居場所を舞台の端に寄せて照明が当たりにくくなっている、そのギャップの見せ方が素晴らしいと思った。
また、中央奥に窓を設置して加藤家の団欒を外で羨ましそうに眺める芦沢家の妻を演出出来る構成も素晴らしい。

次に音響だが、今作は「赤すぎて、黒」と比較して音楽と環境音が多様されていた印象。
まず注目したいのは音楽、しっかりと音楽が流れる箇所はたしか3箇所あったと思う。最初のタイミングは、映像で「迷子」と表示される箇所であの物静かだけどシリアスな展開を思わせる素敵なBGMにずっと鳥肌が立っていた。
それと、2箇所目だったと思うが少々洋楽チックな音楽が流れる箇所も好きだった。ショウが曲に合わせて踊っているあたりも凄く劇団時間制作に対して新しい印象を与えてくれて好きだった。
環境音も好きだった、まず客入れの車が通り過ぎていく環境音がまず引き込まれた。そして祭りが行われていることを想起させる賑やかな効果音も。さらに一番印象に残ったのはやはり火事を想起させる効果音。「おかあさん」と叫ぶ次女の声とメラメラと燃える炎の音はゾッとするほど苦しかった。

次に演出部分についてみていく。
個人的に印象に残っている演出は、芦沢家の妻が窓の外から加藤家を羨ましそうに見る演出と、民泊の管理人の親族が裁判が終わった喜びで編み物を散りばめる演出、それから「心は人間のどこにあるか?」という話、物語序盤の加藤家の夫の盆栽を例に取って、もう片方も切り落とした方が綺麗に見えるという例え話。
どれも凄く印象に残って心に刺さるものばかりだった。

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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

役者のレベルも全体的にとても高かった。その中で印象に残った俳優と役を見ていく。

まずは今作のヒロインである芦沢家の長女を演じた岡本玲さん。朝ドラ等のテレビドラマにも何度か出演している。彼女は本当にバリエーションの豊富な女優だと感じた。特に母親が首を吊って自殺した後から豹変してしまった演技がとても素晴らしい。今までの髪を縛って冷静さを保ちながら、かき乱していた母親を支える人間から180度人間性が変わってしまったことは、それだけ母の死のインパクトが大きかったということがしっかりと強調されていて良かった。
さらに、最後で「おかあさーん」と呼び続けるシーンがあってこの作品のタイトルにもなっている「迷子」を象徴する演出にもなっているのだが、あの演技も他のシーンで観てきた岡本玲さんの演技と大分に異なっていて、凄く両親に甘えているようなそんな演技に感じられて凄くバリエーション豊富な役者さんだと感じた。

次に、ショウを演じた青柳尊哉さん。彼の演技は初見だったがとても素晴らしかった。
あの両親を失っての脱力感を表現するのがとても上手かった。そして、民宿の支配人が消火活動している行動を目撃して、単純に彼を悪者と決めつけることのできない優しさも凄く伝わってきて、女性はとても彼の演技に引かれるんじゃないかなと思った。
また、途中のシーンで入るダンスが素晴らしい。時間制作っぽくない挑戦的な演出に感じたが、彼の心の中で抱え続けている重たい感情を上手く表現したものになっていて凄く印象に残った。

凄く迫力を感じた演技をしていたのは、芦沢家の妻を演じた武藤晃子さん。彼女の演技は本当に怖かった。3家に走る緊迫感を作り出していたのは彼女なのでとにかく怖かった。ベランダで一人「みんな死ねば良かったのに」とか、加藤家の長女に対して「お前が代わりに死ねば良かった」とか発言がマジでナイフで刺してくるかのような鋭く痛々しいものだった。

武藤晃子さんとは対照的に、加藤家の長男を演じた竹石悟朗さんの演技は観ていてとても清々しかった。とても爽やかで、あのイケイケなノリだったら女性はすぐ好きになりそう。まあ調子に乗っている感じがあって鼻につく箇所もありそうだが。とにかく、終始シリアスで心の休まらない作品の中での唯一のオアシス的存在。

加藤家の次女を演じた樹麗さんも好きだった。彼女は凄く自然な演技をしている点がとてもポイントが高い。長男がカナダから帰ってきたシーンで無邪気に飛び跳ねて喜んでいるシーンとかほっこりしすぎて堪らなかった。家族ってやっぱりいいなあ、そう思わせてくれるほっこり感がとても好き。そして声が若干ハスキーなのもタイプだった。

最後に、独特な演技をして魅了したのは担当弁護士を演じた野村龍一さん。凄く劇団4ドル50セントのコラボ公演「大人になるには」の先生役と近しい所があった。ずっと下を向きながらボソボソと喋る感じ。でも物凄くインパクトのある不条理な発言をしている。非常に冷徹で薄情な発言、「家族を亡くしていない人間より、家族を亡くした人間の方が辛いものだ」とか、あの論理的で異質のあるオーラがとても浮いていて、だからこそ魅力を感じたんだなと思った。

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【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今回の作品のテーマは、「正義」と「迷子」かなと思っているので、こちらについて自分なりに考察してみる。

まずは「正義」から。フライヤーには「交差する3つの家族の想い、司法修習生と担当弁護士による正義の違い。正義VS正義、答えのない問題に向き合った圧倒的な現代劇」とある。劇団時間制作はいつも家族というテーマを必ず取り扱っているが、今回はそこに司法の問題を絡ませてきている。司法は法律によって罪を犯した人間を捌くもの、いわば法律は正義でもある。しかし今作品では、「悪者」が不在である。というよりは、人によって「悪者」の捉え方が異なっていると言った方がよいのかもしれない。
芦沢家にとっての悪者は、長女の命を奪った火災を起こした張本人である民宿の管理人である。しかし、同じ家族を殺されている葛生家の息子ショウにとっては、彼自身が民宿の管理人が消火活動にあたっていた光景を目の当たりにしているので、一概に彼を悪者と決め付けられない。彼は放火したかった訳ではないのだから。
この「悪者」の存在がぼやけているからこそ、「正義」という存在もぼやけているように見える。民宿の管理人を悪者と見立てて、3家に賠償金を与えることが果たして正義なのか。そこの判断には、確たる証拠と法律という存在が大きいがそれで裁くというので本当に正義は貫かれるのか。
そこに疑問を感じたから、司法修習生は担当弁護士と対立することになった。法律が全てという正義を持つ担当弁護士と、しっかりと被害者に寄り添ってあげることを正義とする司法修習生。
おそらくこの作品では、司法制度の欠点や限界を描きたいのだと思っているが、個人的にはもう少しそこを分かりやすくしても良かったかとは思う。もっとその両者の対立構造は観たかった。

そしてそれ以上に、「迷子」というキーワードが重要だったりもするのだろう。もはやこちらをしっかり描きたいがための作品なのだと思う、タイトルからして。
一番象徴的なのは、最後のシーンで「おかあさーん」と叫び続ける芦沢家の長女の姿が、まさしく「迷子」そのものである。だが実は、迷子になっている人物って芦沢家の長女だけでないと思っている。
葛生家の息子のショウだって、両親を亡くした辛さを背負いつつ、民宿の支配人の消火活動姿を見て悪者と断言できずに悩み続ける姿は正しく迷子そのものである。両親の遺影と話をするシーンでも、控訴することに対して両親はどう思っているのみたいな問いかけをしている。正直ショウ自身どうしたら良いか分からないのである。そういう意味で自分の意志があの火事をきっかけに迷子になってしまっているのである。
しかし、彼は最後に控訴することを決意する。これってなぜなのだろうか。ちょっとストーリーを追いきれなかった。

また、加藤家の長女もやはり迷子になっていると思う。自分が本当は死ぬべきだったのじゃないか、自分の存在価値に対して迷子になっている。でも自殺するほどの勇気は持っていない。
そして、芦沢家の長女も最後には迷子になってしまう。母親を亡くしたことによって。結局裁判で裁かれて賠償金が支払われたところで死んだ人が戻ってくる訳ではない。事故は消えて無くなる訳ではなかった。そのため母親は次女の死に耐えきれず自殺してしまった。長女はそのことに気がついて、結局この火事の一件を無かったものにしてくれるものなんてそもそもなかった、裁判で片付くものでもなかったことを痛感したのだろう。そういったやるせない想いによって、自分がどうしたら良いか分からなくなり迷子になってしまったのだろう。

共通しているのは、火事の一件によって若き者が、その辛い過去を払拭するにはどうしたら良いのか答えが分からないという点であろう。悲しみを克服したい、全部終わってなかったことにしたい。でもなかったことにできる手段がどこにもない。そんな不条理さが若き者を迷子たらしめているのだろう。
なんとも辛く悲しい現実なのか、この胸糞の悪さが劇団時間制作が創り出してくれる作品の魅力なのである。

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【写真引用元】

劇団時間制作公式Twitter
https://twitter.com/zikanseisaku
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/news/406121



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