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舞台 「ヒミズ」 観劇レビュー 2021/09/18

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【写真引用元】
劇団時間制作Twitterアカウント
https://twitter.com/zikanseisaku/status/1426347952499396612


公演タイトル:「ヒミズ」
劇場:Mixalive TOKYO Theater Mixa
劇団:劇団時間制作
原作:古谷実
脚本・演出:谷碧仁
出演:西山潤、松田るか、三津谷亮、木ノ本嶺浩、久獅、柴田時江、前田悠雅、田名瀬偉年、佐々木道成、モロ師岡
公演期間:9/18〜9/26(東京)
上演時間:約155分(途中休憩10分)
作品キーワード:家族、シリアス、考えさせられる、サスペンス
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


現代の格差社会を家族という視点から理不尽に描く劇団時間制作のプロデュース公演第二弾ということで、古谷実さんの漫画が原作で、園子温監督が映画化もしている舞台版「ヒミズ」を観劇。
私自身としては「ヒミズ」は原作未読で映画版を2年前に鑑賞済み。
劇団時間制作の公演は、「赤すぎて、黒」「迷子」に続き3度目の観劇。

主人公は家に殆ど帰ってくることのない父と男遊びばかりする母を持つ中3男子住田祐一(西山潤)で、学校で将来の夢を持つことを強要されることに腹を立て、普通に暮らしたいと願うのだったが、両親の金銭がらみのトラブルに巻き込まれ人生が狂い始めるという物語。

過去の劇団時間制作の舞台作品は、内容も演出も台詞もかなり抉られる要素が多くて観劇するだけで体力を奪われてしまうのが定石だが、今作は事前に内容を知っていたせいかそこまで重たい作品には感じられなかった。
個人的にはもっとどん底に突き落として欲しかったという期待感があったので少々満足度としては低いのだが、Twitterで感想を見る限りかなり好評な作品に仕上がっている。

また、要所要所で凄く引き込まれるシーンはあるのだが、シーンとシーンがちょっとぶつ切りな感じがして若干ストーリーについていけなかった箇所もあった。
初日というのもあり、これから千秋楽に向かって洗練されていくのだろうか。

ただ役者陣の演技力は非常に高く、主人公住田祐一を演じた西山潤さんの発狂していく感じ、茶沢景子役を演じた松田るかさんの恋に盲目になって夢中で何かにすがりつくような元気いっぱいの青春らしい演技、それだけでなく脇役の俳優のレベルも高かった。

今回は映画版を過去に観ていてそちらと比較してしまった点と、過去の劇団時間制作の舞台作品のもっとどん底に突き落とされる感じが好みだったので、相対的に満足度がそこまで高くなかったが、「ヒミズ」に触れたことがない人、劇団時間制作の舞台作品を初めて観劇する方には非常にお勧めできるんじゃないかと思う。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/445810/1665619


【鑑賞動機】

お気に入りの劇団の一つである劇団時間制作の舞台作品であることと、「ヒミズ」を映画で鑑賞済みでそれをどうやって舞台化するのか興味があったから。
キャスト陣も結構知っている俳優が多かったので、それぞれが劇中でどのような交わり方をするのか観てみたいというのも決めての一つだった。非常に期待値は高めだった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

世間では新型コロナウイルスが蔓延していて、毎日のように感染者数の報道が流れる最中、中学3年生の住田祐一(西山潤)は教師から将来の夢を持つべきだと諭されて嫌な思いをしていた。自分は普通に暮らして生きていきたいと思っていたからである。同じクラスメイトの中には、漫画家を目指したいという小野田きいち(佐々木道成)という学生がいたが、自分はどうもそうはなれないと思っていた。そしてクラスメイトには、住田と同じように将来の夢を見つけられていない、夜野正造(田名瀬偉年)、赤田健一(久獅)と教師の言ったことを突っぱねながらつるんでいた。
そこへ一人の女子中学生である茶沢景子(松田るか)が現れる。彼女は普通に暮らしていきたいと願う住田に惹かれ、「普通バンザーイ」と叫びながら住田に付いて回ることになる。周囲のクラスメイトたちは彼女を変人扱いする。

住田の家は貸しボート屋を営んでいた。しかし、両親は幼少時に離婚しており父親(モロ師岡)はギャンブル依存症でたまに戻ってくるだけで、母親(柴田時江)は男遊びが絶えなかったため、店の切り盛りは住田祐一が行っていた。今日もすぐ戻ってくるからと言い残して「母より」と書かれた300万円入っている封筒を残していなくなってしまう。
住田は学校には行かなくなってしまうが、クラスメイトの友達である夜野や赤田と、彼を好いている茶沢はよく住田の家に訪れた。そこへ母親と離婚した父親が一文無しでやってくる。住田は父親に思いっきり殴り倒され、顔が血だらけになりクラスメイトたちに心配される。
貸しボート屋には、奇妙な女性客(柴田時江)がやってきた。住田に対して「あなたは生産性のあることをしてますか?」と問われる。「生産性のない人間は生きる資格はない」のような言葉を残してボートを漕ぎに行く。

ある日、住田の家にクラスメイトの友達が遊びに来ている所へ、借金取り立て人がやってくる。一人はボスのような格好(モロ師岡)をして、もう一人はボスの一番弟子(佐々木道成)のような感じでサングラスをかけていた。借金取りが来た理由は父親が以前借りていった300万円を返してくれといった内容だった。住田は以前母親が残していってくれた300万円が入った封筒を探すが、なくなっていることに気がつく。そしてそれは、父親によってこっそり奪われたんだと判断する。
住田は借金取り立てに脅され続け、必ず300万円を用意して持って来いと契約を交わされて借金取りは去っていく。住田はバイトをして返そうと言うが、クラスメイトたちには300万円なんてとんでもない額だと言われる。

それから茶沢は住田を助けようと毎日のように貸しボート屋の手伝いに来るようになる。住田はそんなに茶沢が自分のことを好きでいてくれるのならセックスがしたいと言うが、それはさせてはくれない。
一方、夜野は飯島テル彦(木ノ本嶺浩)という男と仲良くなる。夜野は友達である住田が借金取りから300万円を要求されていて助けたいと飯島に相談する。そして良い方法があると飯島は夜野を案内する。
それは、お金の持っていそうな家に忍び込んで300万円を盗み出すことだった。飯島はスリの常習犯だったので、その盗みに入る家が何時まで家を留守にしているかなどの情報にも詳しかった。
飯島と夜野はこっそり家に上がり込み、リビングから300万円を発見して大喜びする。しかしその時、家の主人が帰ってきてしまったため、飯島と夜野はベランダの外の影に隠れる。主人は「家の鍵開けっ放しだったかなー」とか「リビングの電気もついている」などブツブツ言いながらテレビをつける。そして、ゴルフクラブを持ってまるで二人が隠れていたことを知っていたかのようにベランダにやってきて取っ組み合いが始まる。
飯島は主人と争った挙げ句、主人を殺してしまう。夜野はこれでは強盗殺人をしているだけではないかと怯える。
夜野は目標は達成して300万円を手に入れ、飯島は主人の遺体を青いブルーシートで巻いてどこか見つからない場所へ隠した。

住田が一人で家にいるところへ、父親がふらっと戻ってくる。住田は借金取りに脅迫されて300万円をなんとかして返さないとと必死であるのも関わらず、その原因を作った父親はそんなことも知らず悠々としていた。
住田は無性に腹が立ち、コンクリートブロックで父親を何度も殴りつけて殺してしまう。殺してしまってから自分は初めて殺人を犯してしまったという自覚を持ち、その時点で自分は夢としていた普通の人生を歩みたいということが絶たれてしまったことに気が付き、絶望しながら父親の遺体を家の近くに埋める。
そして住田は決意する。自分をこんな状況に陥れた借金取りを殺しに行こうと。
その時テレビのニュースでは、以前貸しボート屋に訪れていた奇妙な女性客が殺人の罪で逮捕されており、彼女は「生産性のない人間を殺した」と述べていると伝えていた。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/445810/1665616


住田は袋に包丁を潜ませて街中を徘徊する。さくら(前田悠雅)という20歳くらいの若い女性が道端でギターで弾き語りをしていた。熊本から上京してきたようである。住田は、夢を抱いて人生を歩んでいる姿に腹が立って「なんで歌っているの?」と尋ねる。さくらは「え?」と答える。そして、さくらが弾き語りで必死に集めた投げ銭を住田は300万円ないかと言いながら荒らし始めていざこざになる。
住田は、借金取りの家の前までやってくる。片手には包丁を潜ませた袋が入っている。住田は借金取りの家に入ろうとする瞬間は彼らと争いになるからじっと身構えていたが、予想に反して借金取りたちは住田に対して穏便だった。住田は訝しむ。
住田は借金取りの家のリビングへ案内されると、ボスがやってきて住田の友達の夜野という奴がやってきて300万円を返してくれたと伝えた。そして住田に「良い友達を持ったな」と言う。
住田はその事実が初耳だったので、急いで家に帰る。家にはクラスメイトたちが集まっていた。住田は夜野に殴りかかる。なんで自分のために300万円を用意して返してしまったのだと。夜野は友達を助けたかったからだと答える。
住田は借金取りを殺すことを目標に生きようとしていたのに、一気に彼らを殺す理由がなくなってしまったので生きる目標がなくなってしまった。その時、住田は自分が中学を卒業するまでに、生産性のない世間の役に立っていない人間を殺すことを生きる目標とすることを決意して、袋に包丁を潜めて放浪し始める。

ここで幕間の休憩が入る。

住田は妄想を抱く。父親と母親と自分がいて幸せそうにクリスマスパーティーの準備をしている。そして食卓には雪が降ってくる。この雪はきっと家族に囲まれて幸せに暮らしている人しか綺麗だと思えないことを。
正月、住田はクラスメイトの友達から初詣に行かないかと誘われる。乗り気になれなかった住田は断ってしまう。
住田は卒業するまでに、世間の役に立たない人間を必ず一人殺してやろうと決めていたが、なかなか世間の役に立っていない人間を見つけることは出来なかった。ある日、住田は電車に乗っており優先席で近くに妊婦がいるのに席を譲らない男を目撃した。とある女性乗客がなぜ席を譲らないのかと問いただしている。男はその女性に向かって刃物を突き出した。周囲が動揺する中、住田が彼に刃物を向けて刺す。
しかし、それは住田の妄想で現実はその男は素直に妊婦に席を譲った。住田が期待したような酷い状況は起こらないのだった。

住田は茶沢と二人きりで家にいた。茶沢は住田と結婚したいといきなり言う。結婚して、子供を産んで育てて、子供がパパとママに向かって、「この世に産んでくれてありがとう」と言ってくれるのだと。それが茶沢の生きる目標なんだと。
しかし住田は一つ告白をする。自分は以前父親を殺してしまって、家のすぐ近くに埋めているのだと。茶沢は凍りつく。

住田が一人家にいる時に、借金取りの一番弟子がやってくる。住田には感謝していると言う。そして彼に本物の拳銃を授ける。これを使いたくなった時は使いなさいと言って、洗濯機の中に入れて去っていく。
卒業が間近に迫る時、住田は「死ね」とずっと呟いている中年男を発見する。住田はついに自分の目標を達成出来る対象が見つかったと思うが如く、彼を追跡する。
その中年男は、首吊り自殺を謀ろうとしていた。そこへ住田がやってくる。「この社会の何の役にも立たない人間め。真面目に仕事もしないでこの歳まで生きてやがって」と。中年男は怒り出す。「俺はリストラされたんだ」と。家族もいてずっと仕事も頑張ってきたのに理不尽にもリストラされて先がなくなってしまったのだと、勝手に人生を決めつけないでくれと言う。
住田は途端にその中年男を殺せなくなってしまった。

住田は家に戻ると、クラスメイトたちが待っていてくれた。茶沢の手から卒業証書が渡される。住田は学校には行けていなかったが無事卒業出来たと言われる。
クラスメイトたちは帰り、住田と茶沢が二人きりになる。そこへ警察官が住田の家にやってくる。警察官は住田に優しく話しかけて会話を始めるが、要件としては茶沢から父親を殺して近くに埋めたことを聞き、その遺体が見つかったので現行犯逮捕に来たということだった。茶沢は泣き崩れている。彼女はこうすることが住田のためになると思って起こした行動だった。
住田は明日出頭するから一日だけ待って欲しいと伝える。

夜、住田は茶沢と二人で話す。茶沢は住田にこう言う。「住田くんは、ちょっとした病気にかかっているだけ。暫く休めばこの病気は治ると思うよ」と。
深夜、住田は洗濯機に置かれていた拳銃を取り出す。そして自分に向けて発砲する。しかし自殺した訳ではなく、殺されたのはずっと住田に取り憑いて彼を悪い方向へ導いていたソレ(三津谷亮)であった。ソレは口から血を流して倒れる。そして、住田はずっと自分を悪い考えへと支配していたソレから解放されたことによって朝を迎えるのだった。ここで物語は終了。

映画版を鑑賞しているからこそ気づけるが、今作品の脚本は原作から大きく脚色されている。
特に個人的に印象に残った脚本の変更は、時代設定が「コロナ禍」であるという点。映画版が「東日本大震災」だった点と照らし合わせると、時代にあった社会全体を覆う不条理な世界を上手く世界観として取り込んでいて、物語にリアリティを強く突きつけている感じが良かった。
もう一点は終わり方に救いがあるという点。これは普段の劇団時間制作の作品を知っている私からすると少々驚きだった。当劇団は最後まで苦しい展開で重たいラストを迎えるので、結構覚悟して観ていたのだが救いがあってこういった終わり方も、コロナ禍という現実に近い世界線で物語を描いているからこそアリなんじゃないかと思った。
深い考察は、考察パートでしたいと思う。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/445810/1665618


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

舞台美術に関しては、さすが劇団時間制作で毎度ながらハイクオリティのセットで仕上げてくる。今回の作品も非常に作り込まれた舞台装置に対して、非常に効果的な舞台照明と舞台音響が使われていた。
舞台装置、照明、音響の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台装置は非常に横幅も奥行きも高さもあり巨大なものとなっており、場面が展開されるステージはいくつか存在していたという感じ。
まず下手側手前には、沢山の大型家具が廃棄されているエリアがあり、住田の家の周囲の荒れ果てた模様を再現しているものと思われる。その奥には、住田の家として使用される直方体の細い枠で囲われた空間がある。そこにはソファーが置かれていたり、テーブルが置かれていたりとリビングのようになっていて、クラスメイトたちが談笑するシーンで主に使われる。
その奥には、「つり舟ボートすみた」と書かれた看板がかかっている小さな個室のような空間があり、そこで貸しボートをやりにくる客を接待したり、壁に覆われて舞台上からはよく見えない空間なので、住田が父親に殴られるシーンもそこで行われているようであった。
その下手側には、上段のステージへと続く階段が設置されており、この階段はまるでファンタジーの世界のような樹木の装飾が施されているちょっと変わった階段になっている。
上手側奥には、もう一つ直方体の空間が設けられており、ここは劇中では多目的に室内のシーンが演じられており、序盤の教室のシーンだったり、飯島と夜野が忍び込む家に変わったり、漫画家を目指す小野田の家になったり、電車の中になったりした。
その上段には、下手側に設置された例の階段から行けるようになっている空間なのだが、高台のようなステージが存在し、主にさくらが弾き語りをするスペースとして使用された。その頭上には大小様々な四角い枠のようなものが壁上に設置されていて、様々な色に光り輝く美しい舞台美術となっていた。
本多劇場みたいな大きな劇場で舞台を観ているような感覚で、私は席が前方だったので上段の芝居は見上げるような形で観劇していた。
映画化されている「ヒミズ」を舞台化するという観点で、一番気になってた部分は舞台装置の使い方であったが、大体のシチュエーションを上手く上記のセットで表現してまとめていたといった感じ。個人的には物語前半が、色々なステージで次から次へと場面が移るので付いていくのが大変だったが、気になったのはその程度で、どこで起きているシーンなんだろうと分からなくなる場面はなかったので、さすが谷さんの演出は素晴らしいと感じられた。

次に舞台照明。
基本的には雨のシーンが多いので、全体的に暗い照明が多かった印象。でもしっかりと役者の顔には照明がちゃんと当たって表情は見れたのでよく工夫されているなと感じた。
個人的に印象に残った照明演出は、クラクションが鳴りながら上手側から赤い照明が照りつけ、ゆっくりゆっくりとおばあさんが舞台上を横切るシーン。おそらく早く歩くことが出来ないおばあさんが横断するのを待ちきれない運転手が痺れを切らせているという描写。「生産性のない人間」の下りの直後なので非常にこの劇中の中では残酷なシーンではあったと思う。
住田が父親を殺すシーンの照明演出も素晴らしい。住田がコンクリートブロックを振り落とす直後に照明がカットインで切り替わって、さくらが上段でギターの弾き語りに移るあたり、そしてその弾き語りの演出が壁上にカラフルな大小様々な四角いオブジェが輝くので、なんとも言えない素晴らしくインパクトの残る演出だった。夢を持ち続けて輝かしく生きているさくらと、父親を殺すことによって夢が絶たれてしまう住田の対比というか、でも対比にしてはどちらの演出もどこか物哀しい感じがあるが、とにかく素晴らしかった。
電車内のシーンを表現した照明も素晴らしかった。水玉の照明が左右に流れていくようにスポットを当てる感じ。ああやって表現することによって、音も相まって確かに電車の中だなと分かるものである。そういった照明効果の工夫が見られて良かった。
あとはラストのシーンで、ろうそくの明かりだけ使用されていたシーンがあった点だろうか。たしか映画版の園子温監督の「ヒミズ」にもラストでちょっと宗教チックな演出があったことを記憶している。園子温監督は好んでそういった宗教っぽいろうそくを使う演出を取り入れるのだが、谷さんの演出にもそういったシーンが残されていて驚きだった。ろうそくってなぜか贖罪を想起させるので、そういった意味合いもあって凄く素敵に舞台が映えていた。

そして舞台音響。
今回の作品ではテーマ曲とも呼べるような同じBGMが何度か劇中で流れる。静かな曲調の音楽なのだが、それが舞台装置や脚本に非常に合っていてもっと聞きたかったという印象。
また雨の音や、クラクションの音、遺体を遺棄したときの「ドン」という音、電車の音、ラジオから流れるニュース速報、テレビの音、住田自身が録音した住田の声の音声、全てが絶妙でハマっていたと思う。

最後にその他演出で気になった箇所だけ取り上げておく。
一番記憶に残ったのが、飯島と夜野が盗みをしたタイミングで主人が帰ってきてしまったシーンでの緊迫感。主人が「あれ電気もついている」って独り言を発した後で丁度客席側から主人の姿が観えなくのが恐怖を掻き立てられて良かった。びくびくしている夜野、飯島たちと上手く感情移入が出来て、そして暫くしてそっと扉の影から主人が姿を表す演出は最高だった。
電車内のシーンで、最初は住田の妄想で席を譲らない男が刃物で目の前の女性を刺してしまうという描写があったが、実際には平和に席を譲るだけだったという描写が後になって流れるというのも非常に上手い演出方法だった。住田に上手く感情移入させてもらえる演出だと感じた。
また、終盤のシーンで住田が完全に生きる目的を見失った時のシーンで、家にいるのが茶沢だと思いきやソレが女装していたというのは自分自身も騙されたので凄く良かった。
それとカーテンコールがなかったというのも特徴の一つかと思う。あ、これで終わりか。。。ってなった。唐突な終わり方だったのでびっくりしたけど、カーテンコールがなかったというのは何か意味があるのだろうか。感染症対策だろうか。いやそうではない気がする、分からなかった。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/445810/1665622


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

本当に実力の高い役者が揃っての作品だった。全ての役者の演技力が高いと思った。
その中でも特に特筆したいキャストに絞って見ていく。

まずは主人公の住田祐一役を演じた西山潤さん。西山さんはどちらかというと舞台というよりも、映画やドラマで活躍されてきた俳優さん。
映画版の住田祐一役が染谷将太さんだったが、染谷さんよりも良い意味で普通の中学生に見える所が良かった。本当に見たくれはその辺の中学校にいそうな男子学生である。その住田がどんどん狂っていくキャラクター性の変化を上手く演じ切れていて素晴らしかった。

次にヒロインの茶沢景子役を演じた松田るかさん。松田さんも舞台というよりは、映画やドラマで活躍している女優さん。
きっと私が映画版の「ヒミズ」を見ていなかったら彼女の演技を絶賛していただろう。非常に小柄な体で体力を使って約2時間半ひたすら大声出して元気よく声も切らさずに動きわまり叫びまわっているので、その演技をしっかりとやりきっているという点に関しては凄く評価したい。
ただ、二階堂ふみさんの茶沢を見ていると、あくまでそれを真似ている感じしかなくて、松田さんオリジナルの茶沢というものをあまり感じられなかった気がする。凄く二階堂ふみさんの役作りに近くて、そして比較してしまうと二階堂さんの方が結局上手に見えてしまって個人的には惜しかったなと思う。

夜野正造役を演じた劇団時間制作の俳優である田名瀬偉年さんも、今回も良い演技をしていた。
西山潤さんとの年の差に中学生という設定に若干違和感は感じたものの、中学生が持つ無邪気な元気さみたいなものをちゃんと追求している感じに見えた。そしてちょっと太った?と感じた。個人的な好みとしては、「迷子」で演じていたような好青年な紳士役の方が好きだったかなという所。田名瀬さんが学生を演じると、松岡修造みたいな暑苦しい感じの体育会系男子にちょっと見えてそれはそれで面白いのだが、完全な好み。

さくら役などを演じていた劇団4ドル50セントの前田悠雅さんも好演だった。
まず彼女が特技としているギターの弾き語りが劇中で観られただけでも良かったし、歌も上手くてギターの演奏も哀愁漂う感じが世界観にマッチしていて良い。コロナ禍の世界で皆が夢は抱いているものの行き先を見失っている感じがなんとなく伝わってくる。
他のギャル役もさくら役とはギャップがあって好きだった。

年配俳優の、モロ師岡さんと柴田時江さんがとても良い味を出して演技をされていた。
モロ師岡さんは初めての演技拝見、柴田さんは江古田のガールズの「12人の怒れる女」以来2度目の演技拝見だが、他のキャストが皆若い分二人の演技には厚みと雰囲気をちゃんと作ってくれている感じがあって好きだった。
特に柴田さんはあき竹城みたいな感じで、凄くちょい役を回すのが上手い。「生産性のない人間」の女性客も不気味さをしっかり作っていたし、住田の母役の感じもいい大人してだらしない感じが非常にハマっていた。
モロさんは、特に終盤のリストラされて自殺しようとする中年男性が良い。あの弱々しさとプライドと。それとギャップして借金取りの役は本当にでんでんさんに近いくらいの迫力を出せて素晴らしいと感じた。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/445810/1665614


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

私は映画版の「ヒミズ」を2019年12月に鑑賞済みで、原作は未読でもストーリーと結末はよく知っていたので、今回の観劇で特に衝撃みたいなものは受けなかった。ただTwitterの感想とかを見ていると、色々衝撃を受けた人は多いようである。
以下はFilmarksに投稿した、映画版「ヒミズ」を観た時の自分の感想である。


これは「JOKER」東日本大震災バージョンだと思った。震災によって希望を絶たれた人々が沢山出てくる。
誰かに希望を見出す者、自分という存在が何なのかを見失う者。普通に生きていたかった少年は、親の虐待によって普通の暮らしが出来なくなっていく。ひたすら胸苦しいシーンが続く。
しかし最後には、生きる希望を見出してくれるちょっとした救いがあった。
自分も誰かのために生きて頑張ろうと思える作品。


正直舞台「ヒミズ」を観る前までは、「ヒミズ」を「JOKER」東日本大震災バージョンと捉えたのは言い過ぎだったと感じていた。映画版「ヒミズ」を観る少し前のタイミングで「JOKER」を映画館で鑑賞していたので、その時の衝撃に引っ張られていたのがあったんじゃないかと思っていた。
しかし、改めて時間を置いて舞台「ヒミズ」を観劇した時に、やはり「JOKER」の内容が頭にチラつくのであの表現は決して言い過ぎではなかったのかなと今では思う。

この「ヒミズ」と「JOKER」には共通点が沢山ある。
まず一つ目は、主人公がどちらも本来は優しい普通の青年であるという点である。そして二つ目として家庭状況が非常に芳しくなかったという点、そして三つ目はその家庭状況の悪さによって、人を殺すことでしか自分の欲求を満たすことが出来なくなった点である。
「JOKER」の主人公であるアーサーは元々優しい青年で、人を笑わせることが好きだった。しかし自分の母親だと思っていた存在が実は血がつながってないと分かってから、自分の置かれた境遇に腹を立ててその母親だと思っていた女性を殺してしまう。そこから、人を殺すことに対する快感を覚えて殺人鬼へと変貌していく。
「ヒミズ」の主人公の住田もまた、普通の暮らしをしたいと願う普通の男子学生だったが、父親がギャンブル依存症なせいで借金取り立てに追われるようになって父親を殺してしまう。その殺人から自分は普通には後戻り出来ないと悟って、この世に不必要な人間を殺していくことを生きがいにしようとするのである。

また共通点はこれだけではなく、アーサーも住田も妄想をよく見るのである。こうであってくれれば良いなと言う妄想。二人とも精神的な病気を抱えているので。
その妄想に脅かされるという点においても共通していて似ているなと感じた。そう考えるだけでも「ヒミズ」は深くて重いテーマを扱った作品なんだなと改めて考えさせられる。

それを劇団時間制作が脚本・演出を務めて上演すると聞いていたので非常に期待値は上がっていた。
しかし、私の想定通りではなくむしろ劇団時間制作にしてはマイルドな終わり方で物語を締めくくっている。これはなぜなのだろうか。

パンフレットにはその理由について谷さんの言葉で書かれていたが、要は今作品のベースとなる社会が「コロナ禍」を設定しているのだが、どうやら谷さん自身がこの「コロナ禍」を経験してコロナ以前のようにバッドエンドな救いようのない終わり方をする作品を描きにくくなったからだと言っている。
「コロナ禍」を題材にしておいて救いようのない作品を描いてしまうと、本当に現実問題として我々が救われない存在みたいな非常に辛くて酷な作品になってしまうので、救われる作品にしたかったのだと谷さんは述べていた。
あれだけ劇団時間制作の作品の中で、救いようのない結末を描いていた谷さんでさえ、コロナという厳しい現実を突きつけられると救いを求めたくなってしまうのだなと感じて面白かった。

またこれをパンフレットで読んだ時、たしか園子温監督も「ヒミズ」を映画化する時に同じようなことを述べていたことを思い出した。
映画版の「ヒミズ」が上映されたのは2012年であり、丁度東日本大震災が起こって1年後のことである。当時は東日本大震災による衝撃が大きかったので、それまでは園子温監督自身も谷さんと同じように救いようのない作品を沢山作っていらっしゃったのが、震災を経て作品作りに向かう際に作品までもバッドエンドにしてしまうと、本当に現実世界でも救われないような辛い作品になってしまうので、希望を見出したくなったと言っていた記事を読んだことがあった。
つまり、園子温監督と劇団時間制作の谷さんという二人のバッドエンドものシナリオライターは、それぞれ東日本大震災とコロナ禍という大きな社会的困難を経て、「ヒミズ」という作品を通して若者に希望を見出してもらいたいと願ったということなんじゃないかと思う。
この時、園子温監督が口にしていた言葉が面白くて、シナリオライターとして希望という存在に負けたと表現している。

バッドエンドものを執筆するシナリオラオターたちが希望に負ける。それだけ社会的困難が与える影響は大きいということと、やはり希望が持てるって大事なことだし、作品を通して自分も多くの逆境を乗り越えて頑張っていこうと改めて思える作品だった。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/445810/1665617


↓劇団時間制作過去作品


↓前田悠雅さん過去出演作品


↓柴田時江さん過去出演作品


↓映画「ヒミズ」レビュー


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