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ありのままを受け止めることの大切さ【あふれでたのはやさしさだった】

こんにちは。いつ学校が休校になるかわからないので、今しかできないことは何かを日々考えながら仕事をしているやうたです。今日は、「あふれでたのはやさしさだった」という奈良少年刑務所で実際に行われていた絵本と詩の授業の実践を記録した本を読んで、思ったことを書いていきます。

まず、僕の心が1番動いた詩を少し長いですが、読んでいただきたい。ある施設で育った子どもの詩です。

クリスマス・プレゼント
五十二人の仲間のクリスマス
ごちそうを食べて ケーキも食べて
ゲームをやって 思いっきり笑って
プレゼントだって もらえるんだ
寝ているあいだに だれかが
こっそり枕元に置いていってくれるんだよ
それがサンタさんなのか 学園の先生なのか
ぼくは よく知らないけどね
でも ほんとうにほしいものは 
ごめんね これじゃない ちがうんだ
サンタさん お願い
ふとっちょで怒りん坊の
へんちくりんなママでいいから
ぼくにちょうだい
世界のどっかに きっとそんなママが
余っているでしょう
そしたら ぼく うんと大事にするよ
ママがいたら きっと
笑ったあとに さみしくならないですむと思うんだ
ぼくのほんとうのママも
きっと どこかで さびしがっているだろうな
「しゃかい」ってやつに いじめられて たいへんで
ぼくに会いにくることも できないでいるんだろうな
サンタさん
ぼくは 余った子どもなんだ
どこかに さみしいママがいたら
ぼくがプレゼントになるから 連れていってよ
これからはケンカもしない ウソもつかない
いい子にするからさあ!

言葉になりません。なんてけなげな思いなのか
こんな思いをもった子どもを犯罪者にしてしまう社会って…

僕ができること。それは「愛情を持って接すること」です。刑務所に入っているから、みんながみんな凶暴で何を考えているかわからない恐ろしい子たちばかりというわけではなく、むしろ彼らは加害者になる前に被害者であることが多い。学校にも犯罪までしていなくても、問題行動を起こす子が多くいます

想像を絶する貧困・虐待・いじめなどによって、彼らは心の扉を閉じざるを得なかった。そして、自分を守るために無意味に笑ったり、ふんぞりかえったりする。そんな彼らに圧倒的に足りないのは、「素の自分」を受け止めてくれるという経験です。

この詩の授業で、重要視されたのは「自己表現」+「受け止め」です。

無条件で、ありのままを受け止める。良い悪いではない。そんなものさしではなく、ただただ表現されたことを、真摯に受け止めてあげる。そうすると、やっと自分が認識される。そして、他者も自分と一緒だと認識できるのである。

そうするとなかなか自己を表現できない子も「素の自分」を出せるようになる。

僕は今まで、テストの点数をあげるためとか、社会に出てから生きていくためにとか、そんな尺度で学校現場を捉えていました。でも、それだけじゃなくて「愛情を欲している子」もいてるんだ。僕に何ができるかはわからないけれど、僕なりに精一杯、愛情を持って接してあげることが大事だなと思いました。



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