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最近また増えてきた。指導者や教員の暴言、暴力、ハラスメント

最近も色々なスポーツでの暴力や暴言がまたニュースに出ています。
いつになったら他人事と思わずに
自分事と思えるようになるのか思う日々が始まりました。
この記事は数年前に書いていたものを加筆や修正をして公開しています。

また学生スポーツでの指導者の暴力や暴言やハラスメントのニュースを日々、目にします。
収まってきたかな?と思っていましたが、
結果的に今まで揉み消しされていたり、
圧力などで隠されていたものが多く出てきているんだろうな〜と感じていますが、
記事や様々なものを調べたりしたときに
やっぱり出てくるのは、
自分の指導は「正しい」とか、
自分は子供達をきちんと見て管理できてる!という、
凄く表面的なもので自分が出来てなかった事を他人の責任にして反省さえもしてないんじゃないか?
と感じる内容がすごく多くありました。

そして、勘違いの多くが
指導者になって結果が出る事や全国大会に出る事で、
勘違いする指導者が凄く多くいるのもわかります。
それを律するだけの器がないのだと個人的に自分に置き換えた時に思います。


これはTBSの報道特集の記事です。


福岡の高校あった事件です。

静岡での暴言暴力の事件の第三者委員会が提出した調査報告書


2024年4月岐阜の高校にて

上の記事や報告書のように
暴言って、いつもすごく身近にあって、
自分は大丈夫と思っていても、
大丈夫じゃない事がたくさんある今の世の中です。
厳しく言うことと暴言はそもそも違います。
そして受け取り手がどう思ったか?
そこを定義されてるのだから、
きちんとした人間関係の構築や信頼が必要になります。
そして、学校はこの報告や通報がきたのが
たった一件だけだから!という考え方ではなく、
一つ出たことを掘り下げて、
きちんと対処し学校内でも、保護者にも公表して
自浄作用やチェックの意識を持つべきであると強く思います。

そして高校の教員や管理職はよくこう言います。
「教員に任せています。」
「注意したので、様子を見ていてください」
それって密室の見えない所で、
どんな言葉を話しをしていたとしても、
その言葉を信じて行動も発言も変わらなければ、
それは後付けの言葉や行動に取られてもしかないと思います。
学生生活や部活の中で、いじめが起こったら、
「自分はそんなつもりではありませんでした。」
「そんなつもりで言ったんじゃなかったです」
加害者は必ずそういう風に言うのが昔から変わらない常套句です。


何かを変えようとしたら発言だけなら誰でも何とでも言えます。
だからこそ行動や発言などを、周りも見ていて
その行動が何ヶ月も伴ってからこそ、
初めて改善されたと世間では認識されるもののはずです。
それにも関わらず、自分から
「自分は変わり始めているところです・・・」
なんて言葉で言うのは、
その被害にあった人たちや家族から見れば
ただのやってるアピールでしかなく、
それを見て判断する周りの人の言葉を真摯に聞くことでしか認識できるはずのものです。

また学校関係でよくあるのが、
「自分が任されているので権限があります!」
と勘違いしてる教職員の方がよくいます。
学校がその人に部活やクラスを任せていても、
その権限を超えるものは必ずあるし、
問題が起こったら上司や権限のある人に話したり
相談して、それに従うべきだったり、
その処分が決まるまでは、その現場から離れさせることで
一時的に上席にあたる人に責任も権権も決定権も同時に移行するはずです。
幹部や管理職でない人間が、何かしらをの問題や注意を受けるようなことを起こした時に、
上席や管理する人や責任者が決めるべきことであるはずのことに、
問題行動を起こした人間の意見や考えなどを
反映させたり入れられるはずがありません。
なぜならすでに問題を起こしてるのだから。
ましてや誰かに不利益を発生させる問題を起こして
注意を受けているにも関わらず
「謝罪しない」なんてことは
一般社会の倫理観の中では通用しませんし、
連絡もしないなんて言うのは、
反省さえもしてなくて、自分がダメな事をしたという自覚もないという
行動の表れでもあると思われても仕方ない行動です。
そういうのは一般社会のお金を頂いてる仕事の感覚としては通用しませんし、
何を言われても謝罪しない。という人やそれをきちんと線引きとしても
出来ない組織がある事が反省も改善もできない風土を作っている原因だと思えます。

学校組織でも教員も問題の重さがわからない。
世間一般のニュースで同じ仕事をしている教員が起こしている問題を対岸の火事と思っている。
そして今の時代のルールと乖離していて一般企業などであれば
一度何かしらの問題を起こしたら、次にまた何かしらの問題を起こした時には
初犯ではないので謹慎、担当解任、解雇など厳しく罰せられるのは当たり前です。
そしてその問題に証拠があったとしたら、後からどんな言い訳を話しても、
その証拠と事実とまず向き合うことが大切だと思います。
学校組織で、教員が問題起こしてるのに管理職が処分を与えられない。
そのくせ、学校や部活などで担任や教員、顧問がしたことは正当化したり、
大人だから問題にはならない!みたいにそこは無視したりするくせに
「生徒には罰を受けさせる」
それってどうなんでしょうか?

他にも、部活や学校でのルールを書面で出していたとしても、
出し手と受け手の認識の違いの問題もあります。
解釈の違いは絶対に少なからずあるはずですし、
そもそもそのルールが何のためにあるのか?
間違った解釈になるような文言だったりしないのか?
そこまで考えて言葉や文章も作る必要があると思います。
どんな文章を作っても認識の違いは出るものです。
ただし、それを見越して質問されたら合理的に答えられるものなのか?まで
見越して作る必要があるのは明確です。
あと個人的に経験してきて実感するのは、ルールを作って例外を認めると、
次から次に例外を認めるような案件が多々出てきて認めることになるという事です。
そのためにも例外は認めない!という部分の必要性も重要になります。

昔に記事にも書きましたが、公立と私立の違いもあります。
そして、JBAにも暴言や暴力に関する相談がめちゃくちゃ多くあると聞きます。
こういう風に書いてきていますが、
自分の指導の中でも、まだまだ自分の認識が足りないこともありますし、
人それぞれの見方や感じ方でも乖離があることもありますが、
どれも事実でもありながら、間違いでもあることもあるからこそ、
一つずつの出来事を慎重に考えながら行動することが、
自分も周りも成長させる出来事になる!
他人のせいにするのではなく、自分や周りの次に繋がるように
謙虚さや素直さを忘れずに自問自答を続けながら、
致命的な失敗を一つでも減らせるような行動や発言をしていきたいと日々強く思います。

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